インフォメーション
象に放射性物質の量を抽出検査する。これまでは生鮮食品や野菜、水産物など一部に
限られていた。さらに品質管理当局は3C(コンシューマエレクトロニクス、コミュ
ニケーション、コンピューター)製品や機械、玩具などにも対象範囲を広げる意向を
固めており、具体化されれば日台貿易に広範な影響が及びそうだ。(台湾版編集長・
高田英俊)
http://news.nna.jp/free/news/20110322twd002A.html
に伴う仕入れコストの値上がりに加え、放射線問題が大々的に取り上げられたことで
客足が遠のき、飲食店経営に二重の重圧となっている。外食産業の従業員が加入する
労働組合「飲食業職工総会」は20日、「大量解雇にもつながりかねない」として政府
と関連業界に状況改善策の速やかな実施を求める声明を発表した。(香港・華南版編
集長・安部田和宏)
http://news.nna.jp/free/news/20110322hkd002A.html
マルハニチロホールディングスのプレスリリース発表によると、
エビとカニ(加工された食品も含む)を年1回以上食べる割合を事前調査で確認
したところ、全体(事前調査回答者1778名)では、エビを年1回以上食べる
割合は95・3%、カニを年1回以上食べる割合は87・5%、エビとカニの両
方を年1回以上食べる割合は86・2%という結果となったそうです。
エビとカニの両方を年1回以上食べる割合を男女別、エリア別に見ると、男女別
では、男性87・8%、女性84・6%エリア別では北海道・東北86・2%、
関東86・1%、中部87・5%、近畿86・4%、中国・四国・九州85・0%という結果になったそうです。
このプレスリリースに関する詳しい内容はこちらをご参照下さい。
http://www.maruha-nichiro.co.jp/news/
今回も「マ-ケティングの定義」の続きを説明しよう。
マ-ケティングの定義⑩ |
(3)1970年代(節約時代)
1970年(昭和45年)は、3月15日から9月13日までの6ケ月間、大阪府吹田市の千里丘陵で、日本万国博覧会(Japan World Exposition Osaka 1970)が開催された。この博覧会は、略して「万博(EXPO70)」とも呼ばれ、「人類の進歩と調和」がテ-マで世界から77ケ国参加して、入場者は621万人(外国人170万人)であった。
日本人にとって、当時はまだまだ海外旅行はビジネスが中心であったが、この「万博」は、格好の海外の国々に触れる絶好の場で、海外旅行ブ-ムのきっかけになった。さらに、海外の料理を味わうことができて、新しい味覚を知ったのであった。
1971年(昭和46年)は、8月15日にアメリカ合衆国のニクソン大統領が、突如として「金とドルの交換一時停止、輸入品に対する一律10%の課徴金等」を発表した。世にいう「ニクソン・ショック」である。
この結果、東京株式市場は暴落し、為替市場は固定相場が守り切れず、8月28日より円は変動相場制に移行した。円安を利用して対米輸出によって成長してきた日本経済は深刻な不況になり、長期にわたって高度成長に終止符が打たれた。
1970年代は、何といっても第4次中東戦争を契機にした、オイルショックによる物価の高騰が、マ-ケティングの思想を覆してしまった。メ-カ-も何の手の打ちようがなく、ただ流されるままであった。トイレットペ-パ-のように物不足が喧伝され、混乱と大衆消費社会が一挙に崩壊してしまった。
「消費は美徳」というように、テレビ・コマ-シャルに踊らされていた人々は、「節約は美徳」に転換していったが、物を買いたくても、狂乱物価では何も手が出ないのが真実の姿であり、耐久消費財の物あまり時代となった。
流通サービス業関係は、ファ-ストフ-ド、コンビニエンスストア、持ち帰り弁当の登場と、ファミリ-・レストランのロ-ドサイド化なとといったように、ささやかな楽しみが外食を発展させた。
経済は低成長時代になり、企業は減量経営化をはかり危機を脱したが、貿易摩擦は拡大され、反公害、反工業志向も生まれたり、自然環境保護、消費者保護などが問題化されたり、自然志向、健康志向も一段と進み、企業の社会への対応が必要になってきた。
2度にわたるオイルショックは、わが国の生産技術のレベルを高める結果となり、家庭電器、自動車、メカトロニクスなど世界のリ-ダ-役にしてしまった。
ドラッカ-の「断絶の時代」、レビットの「マ-ケティング発想法」「発展のマ-ケティング」、ロスチャイルドの「経営戦略発想法」などが紹介され、消費者志向の経営戦略やマ-ケティング戦略が本格的に議論されるようになった。
1970年代に入ると、総合ス-パ-は、売場面積を拡大して、2500~3000坪の規模が出現した。また各地で提携や合併が積極的に行われ、第1次流通再編成時代となった。
総合ス-パ-の躍進ぶりはすざましく、1972年(昭和47年)には、ついに小売業に占めるセルフサ-ビス店のシェアが、百貨店を上回って、ダイエ-が三越の売上高を抜き、小売業のトップの座についた。
コンビニエンスストアは、1972年(昭和47年)に「マイショップ」が実験店を開始したことが報ぜられて、次々と新規の出店が行われた。
1973年(昭和48年)のオイル・ショックは、物不足を呼び、国民生活は混乱に陥った。1974年(昭和49年)には総合ス-パ-「便乗値上げ阻止」の声明を発表し、価格凍結や値下げを実施した。
1978年(昭和53年)に大規模店舗法が成立し、実質的に総合ス-パ-の出店許可制となり、自治体単位で大中型店の進出阻止や出店凍結宣言が相次いだ。この結果、総合ス-パ-は、新しい成長路線の模索を行った。
1970年代は、海外企業が続々登場し、外食元年の年になった。1970年(昭和45年)は「ウインピ-」「シチュ-・ケトル」「KFC」。
1971年(昭和46年)は「ミスタ-・ド-ナツ」「マクドナルド」「ダンキン・ド-ナツ」「トニ-・ロ-マ」、1972年(昭和47年)は「A&W」、1973年(昭和48年)は「ピザハット」「ピザイン」「アンナミラ-ズ」「シェ-キ-ズ」「ウインナ-ワールド」「31アイスクリ-ム」、1974年(昭和49年)は「バ-ガ-・シェフ」「デニ-ズ」などが開店しファ-ストフ-ドという言葉がもたらされた。
一方、わが国の企業も、新たなチェ-ンが誕生した。1971年(昭和46年)は「ドムドム」「すかいら-く」、1972年(昭和47年)は「モスバ-ガ-」「ジロ-」「ロッテリア」、
1973年(昭和48年):「サイゼリア」「サンテオレ」、1974年(昭和49年)は本格的なロ-ドサイド・レストラン時代に突入、1976年(昭和51年)は「ほっかほっか亭」、1977年(昭和52年)は「肉のハナマサ」が開店した。
1970年(昭和45年)は、航空機ではジャンボ747型が導入、東名高速道路が開通し、交通革命が起こった。この年代は、ホテル業界では、海外企業との提携が活発に行われた。
1975年(昭和50年)には、新幹線は岡山~博多間が開業し、東京~博多間が全通し、新たな交通網が形成され、レジャ-新時代を迎え、ヤマト運輸の小口貨物の翌日配達が可能になり、いよいよ宅配便時代の到来となった。
「フランチャイズ・ビジネス」は、第2次のブ-ムになった。ビジネス種類としては、建材、ス-パ-マ-ケット、ミニス-パ-、カ-用品、ファッション雑貨、紳士服、婦人服、ジ-ンズ、アイスクリ-ム、リビング・インテリア、日曜大工、コンビニエンスストア、靴、ギフト、ベ-カリ-、メガネ、持ち帰り寿司、持ち帰り弁当、コ-ヒ-専門店、和食、牛丼、ステ-キ、焼肉、ピザ、大衆食堂、ホテル、ブックレンタル、ヘア-ケア、ハウスクリ-ニング、居酒屋、カレ-、ピザ、たこ焼き、クレ-プ、自動車防錆、リネンサブライ、全身美容、ホテル、ミニュチュア・ゴルフコ-ス、エスティック、学習塾、軽印刷、フラワ-リ-ス、オフィスコ-ヒ-サ-ビス、DPEなど多岐にわたるビジネスが展開された。
特に、コンビニエンスストアは、「ブルマ-ト」「セイコ-マ-ト」「ファミリ-マート」「ロ-ソン」「セブン-イレブン」などが展開を始め、コンビニエンス時代が始まった。海外と提携した企業もフランチャイズ化を始めた。チェ-ンとしては、「ケンタッキ-・フライド・チキン」「ミスタ-・ド-ナツ」「ダンキン・ド-ナツ」「ニッポンレンタカ-サ-ビス」「ジ-バ-ト」「ディリ-クィ-ン」「ホリデイイン」「サ-ビスマスタ-」「31アイスクリ-ム」など、積極的な店舗開発が行われた。
【問い合せ先】
E-mail | kisihiro@mva.biglobe.ne.jp |
H P | http://w.w.w.kishida-consul.jp |
今回も「マ-ケティングの定義」の続きを説明しよう。
マ-ケティングの定義⑨ |
(2)1960年代(販売志向時代)
1960年代のわが国は、神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気と続く経済の高度成長によって大量消費の時代を迎えた。つまり、大量生産方式はさらに進展したが、ス-パ-マ-ケットを中心とした大量販売方式の流通機構が構築され、生活革命といわれた「新三種の神器」と言われる「3C時代(ク-ラ-、カラ-テレビ、マイカ-)」時代となり、高度大衆社会となった。
マスコミ、特にテレビの爆発的な普及で、テレビ・コマ-シャルによって新商品を売りまくった。中でも商品の差別化を中心に、ブランド・イメ-ジづくり、販売促進や広告中心のマ-ケティングという販売志向であった。これらは、中流意識を生んだものの、けっして豊かさというものは感じられず、不実現のライフスタイルをつくりあげた。
生産一辺倒であったメ-カ-にも、アメリカと同じようにテイラ-・イズムの欠陥を是正する動きが起こった。つまり、ア-ジリスの「組織改善」、マグレガ-の「Y理論」から出発した「目標管理」、リカ-トの「新しい経営体系」、ゲラ-マンの「人間発見の経営」、マズロ-の「欲求の5段階説」などを中心に、「ヒュ-マンリレ-ション」「グル-プダイナミクス」「経営における行動科学」といった人間重視のマネジメントが導入された。これらは、「小集団活動」「ZD運動」「目標による経営」制度の導入になった。
わが国においては、1962年(昭和37年)には、田島義博が「日本の流通革命」、林周二が「流通革命」を出版し世間の話題を呼んだ。これらの著書は、わが国のス-パ-マーケット・チェ-ンの動向を深くとらえ、大量生産大量販売制による低価格政策による国民生活への利便性の提供と、大量仕入制による流通機構の合理化といった面が論じられた。
1960年(昭和35年)には、わが国で初の食品卸売の「広屋」が主宰する「ボランタリ-・チェ-ン」である「ヒロマルチェ-ン」が結成された。また、この年には、「丸井」が「クレジット元年」を宣言して、従来の月賦販売という暗いイメ-ジを脱し、信用販売である「クレジット産業」へと転換した。
1963年(昭和38年)になると、大型チェ-ンの株式上場、再編成が行われると同時に、ナショナルチェ-ン化が活発に行われるようになった。
1965(昭和40年)になると、ス-パ-チェ-ンが大型化し、SSDDS(セルフ・サ-ビス・ディスカウント・デパ-トメント・ストア)路線のスタ-トとなった。
1968年(昭和43年)はダイエ-香里ショッパーズプラザ、1969年(昭和44年)は玉川高島屋ショッピングセンタ-、専門店とレストランだけの池袋パルコがオ-プンし、本格的ショッピングセンタ-時代の幕開けとなった。
1960年代に入ると、本格的レストランがようやく発芽した。1961年(昭和36年)にドライブイン・レストランが登場した。また大型レストラン(瀬里奈、ミカド、留園など)も登場した。
1962年(昭和37年)には、名古屋で「あさくま」がロ-ドサイド・レストランを開業した。また、西武百貨店池袋店で「キャフェテリア」が登場した。
1964年(昭和39年)には、新宿や横浜のステ-ションビルが登場し、レストランが続々開店した。1964年(昭和41年)に、フランスのパリの3ツ星レストラン「マキシム・ド・パリ」が東京銀座に登場した。
1967年(昭和42年)に、マンモスバ-とかグランドパブなどが登場すると同時に、第1次の資本の自由化が開始された。また、「どさん子」がラ-メン・チェ-ンとして先陣をきった。
1968年(昭和44年)には、第2次資本の自由化で、レストラン業は100%自由化さ、アメリカから日本進出のために使節団がやってきた。
1960年(昭和35年)に、パンアメリカン航空が太平洋線にジェット機を就航させ、国内では、日本航空が東京~札幌間をジェット機化させ、航空機革命が起こった。
1961年(昭和36年)には、スキ-客が100万人を突破し、登山者が224万人など、レジャ-ブ-ムになった。
1963年(昭和38年)には、「ヒルトン」と「東急電鉄」は「業務委託契約」で「東京ヒルトン・ホテル」が開業して、日本のホテル業界の近代化に貢献し、話題を呼んだ。1964年(昭和39年)は、東京オリンピックが開催されホテルの新規開業が続々行われ、さらに東海道新幹線が開業して交通の新機軸を迎えた。
1963年(昭和38年)に、わが国に「不二家(洋菓子店)「ダスキン(愛の店)」が「フランチャイズ・ビジネス」として初めて登場した。
1968年代後半になると、第1次のフランチャイズ・ブ-ムになり、洋菓子、アクセサリ-、漬物、薬局、書店、家庭電器、デリカテッセン、ファミリ-・レストラン、居酒屋、ラ-メン、チャンポン、うどん、回転寿司、お好み焼き、ダストコントロ-ル、クリ-ニング、ハウスクリ-ニング、レンタカ-、などあらゆるビジネス・タイプにもおよんだ。
