米国の取引所に上場するテック株のうち、時価総額で世界トップクラスに君臨するのがエヌビディアである。しかもテクノロジーセクターは、米国市場全体において極めて大きな比重を占めている。半導体メーカーのエヌビディアは、AI特化のハードウェアを提供することで、マイクロソフトやアップルといった巨人を追い抜き、世界を席巻した。
デニーズで生まれた会社としては、悪くない。そう、台湾出身のジェンスン・フアンは、客がボックス席でコーヒーを飲みながら長居できることで知られる、象徴的なレストランチェーンでの朝食を囲みながら、この会社を構想したのだ。
それはまさに、貧しさから富へと上り詰める物語だ。ある意味では、ガレージでの創業どころか、ソーセージや卵の香りが漂うファミリーレストランのボックス席から世界一の企業が誕生したという、まさにドラマチックな創業譚だ。
現在、エヌビディアはSKハイニックス、ネイバー、SKテレコム、斗山グループ、LGグループといった韓国の有力企業と契約を結んでいる。
「提携の焦点は、重要なメモリ技術の開発と確保、AIインフラの拡張、そしてAI計算需要の世界的増加に対応するAI『ファクトリー』の構築支援にある」と、GlobalDataのBV・スワガスは書いている。「エヌビディアとSKハイニックスは先進メモリ製品の開発と供給確保で協力し、エヌビディアのAIインフラロードマップを支える」
あの謙虚な原点へ
「1993年、3人の友人、フアン、クリス・マラコウスキー、カーティス・プリームがデニーズに集まり、パソコン上でリアルな3Dグラフィックスを可能にするグラフィックス・チップ(GPU)の開発について話し合った」と、ブライアン・コールフィールドは2023年9月にエヌビディアのブログで書いた。フアンが自社を最初に思い描いた場所に銘板を設置するために戻ったことを伝える記事だ。「シリコンバレー中心部の交通量の多い大通りから少し入った場所にあるそのデニーズは、事業を始めるのに最適な場所だったとフアンは語った。当時フアンは妻と子どもとともに近くに住んでいた」
2つの言葉
コールフィールドの報道によれば、フアン自身は15歳のときに、そのデニーズで初めての仕事に就いたという。フアンは当時をこう語っている。
「食器洗いもやったし、バスボーイ(下膳係)もやったし、ウェイターもやった。コーヒーカップを運ぶ量なら、私より多い人はいない」
さらにフアンは、取材でデニーズについてこうも語っている。これが、なぜあのレストランがエヌビディアのインキュベーターになり得たのか、その一端を示している。
「飲み放題のコーヒーがあって、誰も追い出しに来なかった」とフアンは説明した。1990年代にデニーズで過ごしたことのある人の多くは、これが本当だったと覚えているだろう。少しだけ注文して、長居し、友人と語り合い、そして起業の計画を練ることができた。ある意味でそれは当時のスターバックスだった。ブランドの誇示は控えめで、肘を置く余裕があり、当時の米国の風景のなかで独自の「本物らしさ」を備えていた。
盛大な帰郷
コールフィールドは、その再訪をこう描写している。
「火曜日のイベントは、賑わう店内の一角で行われた。そこは北カリフォルニアでも特に人気の高いデニーズの1店舗で、家族連れや退職者、夜勤明けの労働者が、卵とパンケーキを山盛りにした皿、ソーセージやベーコンの皿を求めて次々と入ってきた。フアンもそのなかにいて、彼と同席者は、ランバージャック・スラム(パンケーキや卵のセット)などの米国定番メニューを平らげ、たっぷりのコーヒーで流し込みながら、会議で1日を始めた」
まさにランバージャック・スラムである。
やがてデニーズは、賞金2万5000ドル(約401万円)の「Denny's Trillion-Dollar Incubator Contest」を立ち上げた。ケンタッキー州レキシントンのウォルター・アーネットが、寄付のための「Dad Mob」コミュニティプラットフォームで優勝した。
ソウルへ
現在へと話を進めると、エヌビディアに関する最も新しい動きは、これらの契約について話し合うためのフアンの韓国訪問である。
「皆さんとここにいられて本当にうれしい」とフアンは述べたと報じられている。「これが韓国のエコシステムだ。これが産業基盤だ。これがベンチャー投資家だ。これが若い起業家だ。私たちは彼らを一堂に会させた。率直に言って、来年はこれを2倍ではなく、10倍の規模にしたい」
フアンはまた、同社がAIチップへの投資を決断するに至った哲学についても語った。
「偉大な技術のほとんどは、最初は玩具として始まった」と彼は言う。「そして私たちは、コンピューターゲームは現実を再現しようとしているから複雑なのだと気づいた。現実の再現には、並外れたアルゴリズムと並外れた計算技術が必要だ。そしてその出発点から、いつか世界で最も重要なテクノロジー企業の1社になれるかもしれないと夢見た。それが私たちの夢だった。33年前のことだ」
確かに、デニーズのあのボックス席から大きなものが生まれた。これと同じような話は、どこを探してもまず見つからないだろう。エヌビディアはまさに、この時代の金融の巨獣である。半導体の大半が製造される台湾の出身で、しかも米国で学んだ人物(若い頃にはケンタッキー州やオハイオ州の学校に通っていたとはいえ)なら、この圧倒的な巨大企業を創業するうえで好位置にいたと言うこともできる。だが、あのコーヒーも、多少は関係していたのかもしれない。
デニーズのボックス席から世界一へ エヌビディア創業者が語る飲み放題コーヒー | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)


