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せいゆう丸釣行記
昨日ラジオでニュースやローカル番組を聞いていたら、 「油断してた。あなどってた。」 の感想の言葉が多かった。
「雨戸をしなかったらエライ目に会った。」 とか 「道路に水があふれて浸水して車が動かんごとなった。」 などの情報がよせられてましたなあ。
昨日も書いたが今年九州に近づいた台風の中で一番大したこと無さそうだったのが、結局一番手ごわかったです。
内海の港付近でも大雨の傷跡があちこちに見られました。
このお写真は港の北側の市場上流付近ですが、堤防が海側に倒壊してその後ろの道路が落ちてしまっている。
流木がいたるところに漂ってて、船の運行に支障をきたしております。
定置網漁船がクレーンを使って流木の回収作業にあたっておられました。
波も落ち着いたので、身軽で喫水の浅いはたはた君を繰り出して魚探とになめっこしながら避難港から白灯台付近まで出てみましたが、港の中の水深があちこちでかなり浅くなってしまってましたわ。
今日から沖に出てみますが、ペラを海底や流木に当てないように慎重に運行しなきゃいけませんね。
ペラと言えばペラの前方に犠牲亜鉛が装着されてるのですが、まだ亜鉛が痩せてないにも関わらずいつの間にか脱落してて、本来なら橋の下の天然ドックで修理したかったのですが、台風避難で漁船がドバっと入って来たので身動き取れず、結局港の中で船の上からの修理を余儀なくされちゃいました。
まあ、慣れてるからさほどしんどい仕事ではありませんが、うかつにも部品をポロっと海に落としでもしたら暫く沖に出られなくなるので、慎重にも慎重を期して作業にあたりました。
チルトする油圧装置が壊れて無いので、手で引っ張り上げてロープで固定して身を乗り出して作業するという、綱渡り的ヤバイ行為であります。
やっとペラと亜鉛を外せました。
毎度のことですが、ペラの軸には嫌というほどにハリスや道糸が絡んでました。
作業を開始して凡そ30分、無事に取り付けが完了しましたが、2週間以上シケでお休みしてて動けなかったので、ペラの表面に青のりがビッチリ付着してました。
今日あたりから漁業関係者も本格的に沖に出て行かれると思うけど、とにかく今月は全滅に近かったですね。
あれよあれよと言ってる間に今日で10月は終わり、明日からは霜月の11月であります。
久しぶりに今日お会いするのだが、統計が大好きなタコ釣り名人さんが多分計算してくれてるとは思うが、せいゆう丸の今月の出船率は2割台じゃないだろうか?
そんな数字で良く生活出来てるものだと、自分ながらに感心しちょります。
さあて、今日から久しぶりの沖行きですが、北風がチョイと残ってるっぽいのが気になりますが、その時はダメとは思うが潟から攻めてみることにしましょうかね。
新規探索ポイントも楽しみであります。
今度の台風22号は勢力が最初から小さくて、通るコースも宮崎にあまり影響を及ぼすと思われなかったけど、なにがなにがエライな雨と風と波を宮崎にプレゼントしてくれました。
今回も青島ではプレジャーボートが1隻転覆していて、オーナーさんが岸壁に佇みがっくりと肩を落とされてて、ずいぶん気の毒でした。
幸いにも内海ではこれといった特に被害はありませんでしたが、市場のチョイと上流側の岸壁をえぐるくらいの激流によって、山からものすごい量の土砂と流木が港に流れ着いてて、土砂で極端に水深があちこち浅くなってるので船を座礁させたり、流木にペラを当てて損傷させはしないか心配であります。
内海港の入口に位置するもう一つの避難港の中には、根っこの付いた1本まるごとの流木が数本漂っていて、奥の方は歩いて渡れるのじゃないかと思えるくらい木切れなどのゴミで、辺り一面埋め尽くされてました。
九州に接近もしくは近づいた今年の台風は、3号・5号・18号・21号、そして今回の22号でしたが、今回の台風が一番激しかったですなあ。
ニュース見てないからハッキリ分からないけど、結構あちこちやられているみたいだね。
今朝も船の中で台風が通り過ぎるのを朝ごはん食べながら待っていましたが、我が避難港でも北風が結構吹く時間帯があり、その時はさすがに少し揺さぶられたですがね。
今日は北風が残るので無理ですが、明日からは数日間は出られそうです。
最近少し寒くなってお湯たっぷりのお風呂が恋しくなってきたので、昨日は自宅のお風呂のお湯を沸かす手作りボイラーの点検整備と試運転作業をしてました。
このお風呂用ボイラーはかれこれ4年目を迎えると思うけど、2台分の古いファンヒーターの燃焼筒部分とコントローラーを取り出し、台所用のガス瞬間湯沸かし器の熱交換の部分を乗っけて、バスポンプで風呂の水を循環させるだけの単純な構造なんですが、あまり知られてないけど都市ガスは熱量で換算するとガソリンのほぼ2倍の単価になるので、灯油を燃料とするこのボイラーで風呂を沸かすと燃料代が4分の1になる仕組みであります。
本当はこれに太陽風呂を組み合わせると燃料代はほとんど要らないのでしょうが、集合住宅ではさすがにそこまでは出来ませんわな。
それにしてもお休みが長かったなあ。
雨でも出来ることはきちんとやれたと思うけど、前半の雨続きで外のお仕事が出来なかったのは残念でした。
まあ、恐怖の月末もなんとかクリアー出来たから、明日からまた心機一転沖に出て頑張ろうかなあ。
小さいとは言え台風は台風。
いよいよ近づいて来ましたなあ。
家の外はビュンビュン風の音がしちょります。
昨日は朝から雨が降り続いてたので朝のうちに船と船をロープで繋いで、大風に備えての対策を行いました。
後はお船の書斎?にこもって読書を楽しんでおりました。
沖に出た時合間を見てちょこちょこ読んでいた 「地政学」 の書物でしたが、昨日半日かけて一気に読んじゃいましたね。
恥ずかしながら若い時あまり勉強しなかったので、還暦近くになり又自由人で時間がたっぷりあるから少しは勉強してみましょうかと、最近少しずつ本に目を通すようになりましたが、言うだけ将軍のトランプ大統領の誕生や、異様に太ったロケットマンの挑発やISの問題など、世界的に複雑な問題が多すぎるから、とりあえず地政学関連の書物からエントリーしてみました。
あらためて日本って国は島国という地理的条件のおかげで、世界的にも例の無い、外から力をほとんど受けることのなく単一民族で有り続けられた幸せな国だと気が付かされますね。
船の推力を人力と風力に頼らざるを得なかった大昔は、日本近海を速い速度で流れる黒潮と親潮の存在が、よそから日本に侵入して来るのを阻んでいたらしい。
そんな奇跡の国日本なんですが、660年に唐によって滅ぼされたもともと倭国(日本)と同盟国の関係にあった百済の復興を援護するため、663年に1万人余の兵と1000隻の倭船を送り、無謀にも唐と新羅の連合軍と白村江付近で戦ったけどわずか2日でボロ負けしたそうな。
そもそも中大兄皇子の母親である斉明天皇が百済支援を決め出兵する準備を進めていたらしいが、自ら指揮を執るため現在の福岡県朝倉郡辺りまで来たところで崩御なさったらしい。
後を引き継いだのが中大兄皇子(天智天皇)で、無謀な戦いを挑んで大敗した後は戦後処理に相当追われたことであろうと想像に難くないが、マッカーサーのような進駐軍の司令官みたいなのが唐の国から倭国にやって来て3ヶ月間滞在したらしいが、その間そりゃ飲めよ食えよの凄いおもてなしをして 「頼むから倭国に攻めて来ないでね。」 と懇願したに違いない。
その当時の唐の国は強大でその後勢力を拡大し続け、百済に続き高句麗も滅亡させ、朝鮮半島は唐と関係の深かった新羅が統一することになったが、唐はあちこちで勢力拡大の戦をしてて、倭国成敗に関わるには忙しすぎて手が回らなかったのが、日本にとって幸い中の幸いだったのでしょうね。
説によって回数は違うけど、894年に菅原道真の建議で取りやめるまで遣唐使を20回ほど倭国は送ったが、白村江の戦いの後は友好使節団としての重要な任を担っていたのかもしれませんね。
この白村江の戦いの後、対馬や太宰府に水城をこさえ、各地に山城や防人を配備するなどの国としての防衛体制を整えることになるけど、結果として1274年と1282年の2度にわたる元寇(蒙古襲来)を撃退することに繋がったみたいだわ。
白村江の戦いでボロ負けしたトラウマが、太平洋戦争まで日本国をよその国から占領されずに済んだ原動力になったのかも知れぬ。
こうして断片的ではあるけど歴史と地政学を学んでいくと、いかに今の日本が恵まれているかを心の底から思えるようになるのが不思議ですがね。
さあて、そろそろ内海に向かう時間ですが、風がかなり強いので気をつけて出立することにしますかね。
昨日は内海では朝から雨が降り、外回りのお仕事やりたかったがほとんど出来ず、3隻繋いでの作業を諦めて台風対策のため通常のポジションに戻しました。
お休みが続いてもうかれこれ2週間になりましたが、一向に海が穏やかになる気配が見られませんねえ。
雨でお外の仕事が出来なかったので、昨日は船の中で読書などしておりました。
あれこれ読んでいたら面白い日本の歴史に関する書物にぶち当たり、午前中は没頭して読んでおりました。
その史実は 「白村江(はくすきえ)の戦い」 であります。
最近北朝鮮が頻繁に核やミサイルやらで挑発行為を繰り返しておりますが、朝鮮半島は有史以来大陸と日本との緩衝地帯としてずっとゴタゴタしてて、紛争や争いは今に始まったことではないそうな。
緩衝地帯は地政学的に世界にはあちこち存在するけど、日本に一番近いのが朝鮮半島。
長いこと地質に関するお仕事もしてたから良くわかるのですが、岩石の力と力がぶつかるところには必ず破砕帯という、石と石のぶつかり合いによって生じた一定の幅のグチャグチャになった層が生じるのと同じように、国と国との力がぶつかる地域はいつも紛争が絶えず、悲しいかな地理とか地形はすぐに変化するものではないから、哀れなことに朝鮮半島は有史以来力と力がぶつかり合う破砕帯の役割を担ってきたようだ。
常に紛争のタネを抱えた地域で揉まれに揉まれ、あらゆる手段を講じて巧みに生き延びて来られた朝鮮半島のお方達に対して、島国の私たちが容姿は似ているものの国民性がかなり違うなあと感じるのは、当然と言えば当然かも知れませんねえ。
恥ずかしながら自分は全く歴史の勉強してこなかったがゆえ、豊臣秀吉の朝鮮出兵が国として初めての朝鮮半島へ仕掛けた戦さと思い違いをしてましたが、実は661年から663年に倭国(日本)が無謀にも唐と新羅を相手に兵を送って戦いを挑み、ボロ負けした事実があったのですね。
それが 「白村江(はくすきえ)の戦い」 で、その史実をご存知のお方は沢山いらっしゃるとは思いますが、今の朝鮮半島の紛争が続いている根底には、そんな地政学的な要因が複雑に絡んだ歴史的事実があるということを知ることによって、異様に太ったロケットマンの狂った動向を少しは冷静に見ることが出来るかも知れませんねえ。
内海に向かう時間が来ちゃいましたので今日のパチパチはこの辺りでやめますが、台風の影響でもう暫くお休みになるでしょうから、この 「白村江の戦い」 についてもう少し勉強して、明日以降に書いてみたいと思います。
スパコンお天気予報のGPVを昨日の朝の出かけに確認したら、台風22号は偏西風に乗ってさっさと立ち去るかと思いきや、あらまあ偏西風が北に後退するためそれに乗り切れず、Uターンして暫く太平洋上をウロウロする予想を立てておりました。
日曜日の夜9時
来週火曜日の12時
来週金曜日の午前0時
ヨーロッパスパコンの中期予報ではUターンの表現はなかったけど、微妙に荒れる感じの気圧配置を予測してました。
来月3日の予想気圧配置です。
GPVは午前4時に長期予想の更新をするからそれまで何とも言えないけど、最悪来月の1週間も潰れることを覚悟しておかねばならないかも知れませんね。
そうなると見事に1ヶ月連続休漁の記録達成も有り得るけど、自分もそうだが漁業関係者は大変でしょうなあ。
我が家ではこうした休漁時期に入ると直ちにお買い物は御法度となりまして、現在では冷凍庫に真空冷凍保存してある食材を整理がてらに食べており、早朝の半額ハンティングさえ行かないことにしております。
昨夜は多分3年間は保存してあったと思われる北海道のシャケのフィレーを冷凍庫から取り出し解凍して、秋のキノコ類とバターとでホイル焼きをいただいたけど、味は全く変わらず実に美味しかったですよ。
真空冷凍の威力をまざまざと感じましたが、買えるときに買い、買えない時には一切買わずに冷凍の蔵の在庫で生活するという、形は違えどエスキモー狩猟民族みたいな生き方をしちょります。
我が家には何故か食料だけはふんだんに備蓄してありまして、お米・かあちゃん手作り味噌・真空冷凍食品などが1部屋を占拠している状態で、あとは必要なお野菜をチョロっと買うくらいかな。
鮭は産卵のため川を遡上する前に、汽水域で海水から淡水に体を慣らすための訓練をするけど、それと同じで自分達夫婦も衰え行く身体と体力に見合った生活に慣れるため、なんとなく自らを訓練しているのかも知れないなあ。
おかげなことに借金ゼロだし、電気料金さえ払っていれば5台の冷凍冷蔵庫の中に、かあちゃんと2人で1年は食べていけるだけのストックがあるから、食べ物なくて行き倒れする心配はなさそうだ。
そして、必ずいつかは沖に出られるようになるから、お刺身はそれまで我慢々だね。
ゴタゴタしっ放しで政治ネタは面白くなくなったので、明日からは趣向を変えて地政学に基づく外国のことについて考えてみようかな。