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せいゆう丸釣行記

2017-10-29 03:53:00

小さいとは言え台風は台風。

 

いよいよ近づいて来ましたなあ。

 

家の外はビュンビュン風の音がしちょります。

 

 

 

昨日は朝から雨が降り続いてたので朝のうちに船と船をロープで繋いで、大風に備えての対策を行いました。

 

後はお船の書斎?にこもって読書を楽しんでおりました。

 

沖に出た時合間を見てちょこちょこ読んでいた 「地政学」 の書物でしたが、昨日半日かけて一気に読んじゃいましたね。

 

恥ずかしながら若い時あまり勉強しなかったので、還暦近くになり又自由人で時間がたっぷりあるから少しは勉強してみましょうかと、最近少しずつ本に目を通すようになりましたが、言うだけ将軍のトランプ大統領の誕生や、異様に太ったロケットマンの挑発やISの問題など、世界的に複雑な問題が多すぎるから、とりあえず地政学関連の書物からエントリーしてみました。

 

 

 

あらためて日本って国は島国という地理的条件のおかげで、世界的にも例の無い、外から力をほとんど受けることのなく単一民族で有り続けられた幸せな国だと気が付かされますね。

 

船の推力を人力と風力に頼らざるを得なかった大昔は、日本近海を速い速度で流れる黒潮と親潮の存在が、よそから日本に侵入して来るのを阻んでいたらしい。

 

そんな奇跡の国日本なんですが、660年に唐によって滅ぼされたもともと倭国(日本)と同盟国の関係にあった百済の復興を援護するため、663年に1万人余の兵と1000隻の倭船を送り、無謀にも唐と新羅の連合軍と白村江付近で戦ったけどわずか2日でボロ負けしたそうな。

 

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そもそも中大兄皇子の母親である斉明天皇が百済支援を決め出兵する準備を進めていたらしいが、自ら指揮を執るため現在の福岡県朝倉郡辺りまで来たところで崩御なさったらしい。

 

後を引き継いだのが中大兄皇子(天智天皇)で、無謀な戦いを挑んで大敗した後は戦後処理に相当追われたことであろうと想像に難くないが、マッカーサーのような進駐軍の司令官みたいなのが唐の国から倭国にやって来て3ヶ月間滞在したらしいが、その間そりゃ飲めよ食えよの凄いおもてなしをして 「頼むから倭国に攻めて来ないでね。」 と懇願したに違いない。

 

その当時の唐の国は強大でその後勢力を拡大し続け、百済に続き高句麗も滅亡させ、朝鮮半島は唐と関係の深かった新羅が統一することになったが、唐はあちこちで勢力拡大の戦をしてて、倭国成敗に関わるには忙しすぎて手が回らなかったのが、日本にとって幸い中の幸いだったのでしょうね。

 

説によって回数は違うけど、894年に菅原道真の建議で取りやめるまで遣唐使を20回ほど倭国は送ったが、白村江の戦いの後は友好使節団としての重要な任を担っていたのかもしれませんね。

 

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この白村江の戦いの後、対馬や太宰府に水城をこさえ、各地に山城や防人を配備するなどの国としての防衛体制を整えることになるけど、結果として1274年と1282年の2度にわたる元寇(蒙古襲来)を撃退することに繋がったみたいだわ。

 

白村江の戦いでボロ負けしたトラウマが、太平洋戦争まで日本国をよその国から占領されずに済んだ原動力になったのかも知れぬ。

 

 

 

こうして断片的ではあるけど歴史と地政学を学んでいくと、いかに今の日本が恵まれているかを心の底から思えるようになるのが不思議ですがね。

 

 

 

さあて、そろそろ内海に向かう時間ですが、風がかなり強いので気をつけて出立することにしますかね。