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せいゆう丸釣行記

2019-09-21 03:29:00

西都に住んでいる娘夫婦に、結婚5年目で待望の赤ちゃんを授かることになったのだけど、前置胎盤とやらで病院に入院してましたが、一昨日出血がみられたとのことで、昨日2週早く帝王切開で2350gの元気な女の子の誕生となりました。

 

手術室から病室に帰ってきた娘の目に涙が溢れてましたが、思わずこちらもウルウルしてしまいましたがね。

 

 

 

 

昨日の朝は田野に行って両親にご飯と薬飲みをさせ、とんぼ返りで市内の病院に向かって娘の出産を待ってたものだから、今朝のブログで予定していた 「儒教と朱子学」 について準備が整わず明日以降のアップとなりました。

 

 

 

明日台風17号が九州の西海上を通過するようですので、今朝はもう一度船の係留ロープが大丈夫かを確認してその後田野に行き両親にご飯を食べさせ、次は娘の病院に向かい、夜は再び田野に行き、親宅に泊まって台風が行き過ぎるのを待つことにしますわ。

 

両親とも耳がメチャ遠くて聞こえないので風の音を怖がることは無いでしょうが、まあ停電の可能性もあるから発電機の準備などしておきますわ。

 

仕事は無いけど何故か忙しすぎますがね。(笑)


2019-09-20 02:55:00

北東アジアの歴史を知れば知るほどコリアの人々の特有の気質が分かりやすくなり、マスコミが連日発する韓国に関する情報に、自分が以前みたいにいちいち過度に反応しなくなったことは、実に面白い変化だと思いますねえ。

 

彼らの気質とその原因さえ分かってしまえば 「けしからん」 とか 「何を考えてるのか」 などの批判する必要がなくなり、 「ははーん、そうだろうね」 ってな感じになってしまいますがね。

 

もちろん韓国政府や政治家や裁判官などの官僚さん達がとんでもないことをしなさると困ってしまうけど、少なくとも慌てることは無くなりそうだわよ。

 

 

 

さてと、中華思想について17日に書きましたが、実はコリアには 「小中華」 という独特な思想がありまして、これがまたひねくれていると言うか、大きくねじれて屈曲した思想なのであります。

 

 

コリアは冊封体制を徹底して維持することにより、なんと2000年余もの間その時代々の中華の大国に冊封体制に組み込まれ、その甲斐あって決して根絶やし的に滅亡させられることはなかったようだが、実は漢民族以外で、しかも中華思想では最も卑しいとされた北狄(ほくてき=ツングース族・女真族・満州)や西戎(せいじゅう=モンゴル族)が、漢民族の王朝を倒して新王朝を開いた 「元」 と 「金」 と 「清」 の時の冊封は随分と辛かっただろうと考えられてます。

 

コリアは漢民族による中華に対しては好んで政治的に事大を行い、文化的には慕華(中華を慕う思い)であり、整合性の取れた環境で冊封体制に身を置いていたのだが、ある日突然コリアより格下であるはずのモンゴル(元)や女真族(金・清)が中華の王になったために、気持ち的には 「卑しい奴らには決して従いたくないけど、政治的には従わないと間違いなく滅亡させられる」 という否定感と危機感とがガチンコぶつかり合って、相当苦しんだに違いない。

 

そうしたねじれた現状の中においても、一応漢民族以外の王朝にもけなげに事大し冊封体制下に入るも、心の中では 「中華の中心はあくまで漢民族によるもので、コリアだって中華に同化して中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)なのだ」 と無理やりみなそうとし、文化的優越主義思想が興ったとされる。

 

まあ平たく言えば 「俺が場合によっては中華であり、少なくとも第一の子分なんだからな」 と本人は思いたかったのだろうが、どうやらそれは一人よがりだったようで、中華思想の枠組みの中ではコリアは所詮非漢民族で、東夷としての位置づけを免れることはなく、むしろ倭国(日本)や琉球王国より下に見られていた時代もあったらしく、倭国には金印を琉球王国には銀印を送られたけどコリアには贈られなかったところからもそう推察できるそうな。

 

そうしたねじれて屈曲した思いが、コリアより卑しいと信じる国を徹底してさげすむ文化を醸成していったのかも知れませんねえ。

 

ましてや漢民族の王朝では無いものの、まがりなりにもコリアが我慢しながら事大して冊封してくれていた親分である 「清朝」 が、アヘン戦争で力を落としていたとは言え、さげすむべき東夷の国である日本に日清戦争でやすやすと敗北し、その後日韓併合で35年もの間日本がコリアを統治していた訳だから、日本に対する感情が良いはずがないですわな。

 

 

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(これはイギリス海軍軍艦から吹き飛ばされた清軍のジャンク船を描いた絵)

 

 

つまりは小中華思想で優越感に浸っている間に、いつの間にやら四夷や夷狄と呼ばれた野蛮な国のはずである日本が西洋の文化をいち早く取り入れ文明開化を果たし、世界の列強の仲間入りに成功した訳だから、そりゃいまいましく思ったことでしょうよ。

 

すなわち、コリアには日本をさげすむ 「優越感」 と、先を越され大きく離されたたという 「劣等感」 が意識の中に混在し、コインのように表裏一体になってそれが終わりのない反日の原動力になっていると指摘する識者もいらっしゃる。

 

 

 

でもそれが 「反日」 の原因の全てではないのですわ。

 

 

 

明日はコリアの人々の気質を決定づけた 「儒教」 と 「朱子学」 について考えてみますわね。


2019-09-19 04:52:00

今まで自分的には、一番近いお隣の韓国の国民が反日スローガンを掲げ日常茶飯事に反日運動を展開している理由が良く分からなかったけど、あれこれ調べてみるうちに朝鮮半島で 「中華思想・事大主義・冊封体制」 がおよそ2000年も続いた結果、極度に中華という強大な存在に怯え、その反動として倭国(日本)をさげすむ意識がコリアの人々のDNAに記録されるようになったものと理解出来るようになりました。

 

最近の出来事で言えば、2016年7月パククネ大統領の時代にアメリカの防衛システムであるTHAADの導入を決定して、その配置場所をロッテ所有のゴルフ場に決定して配置工事を進めたところ、ものすごい中国からの怒りを買うことになり、作るには作ったものの運用を延期せざるを得なくなったり、ロッテグループは中国国内の不買運動等により中国から完全撤退することになった。

 

ちょうど今の韓国国内で繰り広げられてる日本製品の不買運動のようなものだが、なにせ中国共産党主導でやることだから徹底的にロッテが叩かれて2000億円以上の損失を被ったらしいが、韓国政府は中国に対して糾弾するようなことはしなかった。

 

それどころか中国から怒られたことに怯えて、これ以上THAADを追加配備しませんと約束させられる始末で、今度は逆にアメリカから怒られることになったが、DNAにアメリカに対する怯えの情報が組み込まれてないので、あまり深刻に考えて無いように思える。

 

それどころかこの間、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄を通告した祭、アメリカから 「非常に失望した」 と怒られたことに対して、韓国政府は駐韓大使を呼びつけて 「失望したなどと言うな!」 と逆ギレして叱りつけたらしいが、多分彼等のDNAの中にはアメリカに対する恐怖の情報が組み込まれてないので、アメリカに対してあまり怯えることが無いのであろう。

 

コリアの人々においては超大国であるアメリカはあくまでも新参者であって、怖いのはやはり中国ということになるのでしょうねえ。

 

中国に対する怯えは、逆作用として中華思想に依るところの東夷である日本を見下す感情に繋がったようですが、後日書くことにするけどその東夷である日本から過去に度々やられたものだから、より反日の気持ちが高ぶるのでありましょうよ。

 

 

 

コリアの人々は頭で考えて行動せずに、往々にして感情で行動することが多いと良く言われるが、あながち間違いではないでしょう。

 

仕方ないと言えばそうなのかも知れぬが、日本人としては 「コリアの人々はそんなものだ」 と理解して相手にするように努力しないといけないということになりますわな。

 

 

 

ところが問題は反日意識だけにとどまらず、最近激化する日韓問題の中で表面化した理解が出来ないコリアの人々の様々な問題点において、 「中華思想・事大主義・冊封体制」 だけでは説明出来ない複雑で屈折した感情がどこから来ているのかを探るべく、明日からは 「小中華思想」 「儒教」 「朱子学」 について考えてみますわ。

 

 

 

さあて台風17号は、チョイと早まって日曜日の朝に九州に最接近するみたいです。

 

 

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早く通り過ぎて沖に出られるようになると良いですけどねえ。


2019-09-18 04:20:00

世界四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)の一つである黄河文明(長江文明と遼河文明が含まれることがある)は4~5000年の歴史があるとされ、その文明の中心には栄枯盛衰を繰り返しながらも常に強大な国家が存在していた。

 

紀元前400年から同200年頃まで続いた戦国時代を終焉させ初めて中華統一国家を樹立したのが、あの万里の長城を作ったことで有名な秦の始皇帝でしたが、始皇帝の死によりわずか15年で滅びた実に短命の王朝だったそうな。

 

(万里の長城の大半は明の時代に築かれたみたいで、秦の始皇帝が作り始めたというのが正解のようです。)

 

 

 

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ちなみに世界遺産にもなった 「兵馬俑坑」 は秦の始皇帝が崩御して作られたそうだが、わずか15年の王朝だったとは言え、当時絶大な権力を保持していたことがこれを見ただけでも容易に伺い知れると思う。

 

 

 

それに比べると、中華の外側にある文明の低い卑しいとされた地域の諸国の力は極めて脆弱で、いつ何時中華に攻め入られて征服されるか分からない不安定な状況にあったので、とりあえず定期的に王朝の天子に大量の銀とか絹織物などの貢物を献上してご機嫌を伺うようになったそうな。

 

それが日本で言うところの 「長いものには巻かれろ」 みたいな 「事大」 大きなものに事える(つかえる)的な主義が周辺諸国に定着し、君主である天子に一生懸命貢ぎ物を繰り返すことで見返りにその存在を約束してもらう 「冊封体制」 が構築されたみたいだ。 

 

冊封とは 「冊(さく)=文書 を授けて封建する」 という意味で、中華王朝から王とか侯などの爵位を授かり君主関係となってそれぞれの国を治めることが出来たのだが、日本(倭国)も遣隋使や遣唐使として諸説あるけど合計20回程度朝貢している。

 

日本書紀に記載されてるらしいが、遣隋使として小野妹子が国書をたずさえて隋の皇帝である煬帝(ようだい)に謁見したものの、その国書の中に 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。・・・」 と書いてあったものだから煬帝が外交担当官に 「東夷のこんな無礼な書を今後一切自分に見せるな!」 と激怒したそうな。

 

つまりは 「天子と呼べるのは中華の皇帝である俺様だけで、卑しい東夷に天子と言わせるな!」 ということみたいだね。

 

しかしながら倭国(日本)は朝貢はしたものの、冊封体制に組み込まれるのを頑なに拒み続けた結果、その当時隋と対立していた高句麗などのコリア情勢も手伝って、倭国からの冊封無き朝貢を受け入れたものとされています。

 

 

 

まあそう考えると日本という国は海という防御壁から守られて、様々な国難を乗り越えてこられたものだと思いますねえ。

 

隋とか唐などの強大な大国であっても、海を渡って戦争を仕掛けて倭国を征服するにはリスクもコストもかかると分かっていたようで、常に陸続きのコリア諸国やモンゴルやマンジュ(満州)との争いに忙殺されてたから、倭国にはそもそも興味が無かったのかも知れませんねえ。

 

 

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今日はここまでにしますが、今度の日曜日の夜あたりに次の台風が最接近する予報となってますので、この先少なくとも1週間はお休みになりそうなので、この話題をチビリチビリ出しながら時間稼ぎをしたいと思います。(笑)


2019-09-17 03:00:00
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お昼のワイドショーを見ていたら、相変わらず韓国の法相のスキャンダルの話題で盛り上がってましたなあ。

 

あまりにも日本人との常識の感覚がかけ離れているからか、出演者が半分呆れたというか嘲笑うような場面も見受けられたけど、ヘイトは論外で当然とんでもないことだけど、見ててあまり良くない感じがしましたがね。

 

それぞれの国の考えがあることだし、そもそも国民性が違うのは当たり前だから、よその国の有り様を日本人の尺度で見比べることはやらないほうがよかろう。

 

そのような思いから、ここ数日すぐ近くの隣国なのにあまりにも感覚の違いが有りすぎる韓国についてあれこれ調べてましたが、自分なりに 「なるほど」 と納得できる点を見いだすことが出来たので、沖に出られずネタが無いのも手伝ってチョイと書いてみることにしました。

 

 

 

先日2500年前までさかのぼって考えると書きましたが、その前にコリアの歴史を語るには中華(現在の中国)の存在を抜きにしては語れないようです。

 

現在のコリアの人々と、島国である日本人との価値観に大きな隔たりがあるのは、中華の存在を無視しては語ることは出来ないでしょう。

 

 

 

さてさて、数千年に亘って中原(黄河・長江の河口域の肥沃な平地)を中心に栄枯盛衰を繰り広げた漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想が中華思想というらしいが、それは世界の中心はあくまでも中華であって、その中心より離れた異民族は文化程度の低い蛮族と蔑む思想らしい。

 

中華の中心から離れれば離れるほど文化レベルが低いと思われてたようで、図のようにコリアより日本(倭国)が中華より離れているのでコリアの人々は太古より日本(倭国)を卑しむ対象としていたようだ。

 

 

 

ちなみに日本は東夷(とうい)と呼ばれ、ツングース系民族(狩猟民族で北東アジアに住んでた)は北狄(ほくてき)と呼ばれ、モンゴル系民族(遊牧民)は西戎(せいじゅう)と呼ばれ、東南アジアの焼き畑農業をする民族を南蛮(なんばん)と呼んで、とにかく文化レベルの低い卑しむべき対象にしていたようだ。

 

この中華思想こそが、今のコリアの人々の性格を形成する上で重大な存在であることはどうやら間違いなさそうだが、出立の時間になったので続きはまた明日書きますわ。

 

 

 

2日間も港に行ってないのでノラ夫婦たちがお腹を空かしているだろうから、好物の焼きそばを携えてそろそろ出立しますわね。

 

 


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