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せいゆう丸釣行記
北東アジアの歴史を知れば知るほどコリアの人々の特有の気質が分かりやすくなり、マスコミが連日発する韓国に関する情報に、自分が以前みたいにいちいち過度に反応しなくなったことは、実に面白い変化だと思いますねえ。
彼らの気質とその原因さえ分かってしまえば 「けしからん」 とか 「何を考えてるのか」 などの批判する必要がなくなり、 「ははーん、そうだろうね」 ってな感じになってしまいますがね。
もちろん韓国政府や政治家や裁判官などの官僚さん達がとんでもないことをしなさると困ってしまうけど、少なくとも慌てることは無くなりそうだわよ。
さてと、中華思想について17日に書きましたが、実はコリアには 「小中華」 という独特な思想がありまして、これがまたひねくれていると言うか、大きくねじれて屈曲した思想なのであります。
コリアは冊封体制を徹底して維持することにより、なんと2000年余もの間その時代々の中華の大国に冊封体制に組み込まれ、その甲斐あって決して根絶やし的に滅亡させられることはなかったようだが、実は漢民族以外で、しかも中華思想では最も卑しいとされた北狄(ほくてき=ツングース族・女真族・満州)や西戎(せいじゅう=モンゴル族)が、漢民族の王朝を倒して新王朝を開いた 「元」 と 「金」 と 「清」 の時の冊封は随分と辛かっただろうと考えられてます。
コリアは漢民族による中華に対しては好んで政治的に事大を行い、文化的には慕華(中華を慕う思い)であり、整合性の取れた環境で冊封体制に身を置いていたのだが、ある日突然コリアより格下であるはずのモンゴル(元)や女真族(金・清)が中華の王になったために、気持ち的には 「卑しい奴らには決して従いたくないけど、政治的には従わないと間違いなく滅亡させられる」 という否定感と危機感とがガチンコぶつかり合って、相当苦しんだに違いない。
そうしたねじれた現状の中においても、一応漢民族以外の王朝にもけなげに事大し冊封体制下に入るも、心の中では 「中華の中心はあくまで漢民族によるもので、コリアだって中華に同化して中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)なのだ」 と無理やりみなそうとし、文化的優越主義思想が興ったとされる。
まあ平たく言えば 「俺が場合によっては中華であり、少なくとも第一の子分なんだからな」 と本人は思いたかったのだろうが、どうやらそれは一人よがりだったようで、中華思想の枠組みの中ではコリアは所詮非漢民族で、東夷としての位置づけを免れることはなく、むしろ倭国(日本)や琉球王国より下に見られていた時代もあったらしく、倭国には金印を琉球王国には銀印を送られたけどコリアには贈られなかったところからもそう推察できるそうな。
そうしたねじれて屈曲した思いが、コリアより卑しいと信じる国を徹底してさげすむ文化を醸成していったのかも知れませんねえ。
ましてや漢民族の王朝では無いものの、まがりなりにもコリアが我慢しながら事大して冊封してくれていた親分である 「清朝」 が、アヘン戦争で力を落としていたとは言え、さげすむべき東夷の国である日本に日清戦争でやすやすと敗北し、その後日韓併合で35年もの間日本がコリアを統治していた訳だから、日本に対する感情が良いはずがないですわな。
(これはイギリス海軍軍艦から吹き飛ばされた清軍のジャンク船を描いた絵)
つまりは小中華思想で優越感に浸っている間に、いつの間にやら四夷や夷狄と呼ばれた野蛮な国のはずである日本が西洋の文化をいち早く取り入れ文明開化を果たし、世界の列強の仲間入りに成功した訳だから、そりゃいまいましく思ったことでしょうよ。
すなわち、コリアには日本をさげすむ 「優越感」 と、先を越され大きく離されたたという 「劣等感」 が意識の中に混在し、コインのように表裏一体になってそれが終わりのない反日の原動力になっていると指摘する識者もいらっしゃる。
でもそれが 「反日」 の原因の全てではないのですわ。
明日はコリアの人々の気質を決定づけた 「儒教」 と 「朱子学」 について考えてみますわね。