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今回から、アメリカのハンバ-ガ-・チェ-ンの「競争戦略」について概括してみよう。その第一段階として「競争戦略の基本コンセプト」として、「マ-ケット・リ-ダ-戦略」について説明しよう。
個性化戦略(13) |
[7]ハンバ-ガ-・チェ-ンの競争戦略
アメリカの企業の「競争戦略」というのはすざましく、「競争戦略」ありきで、何はさておいて「競争」に打ち勝つという闘争心がみなぎっている。
(1)競争戦略の基本コンセプト
① マ-ケット・リ-ダ-戦略
1.小売業のマ-ケット・リ-ダ-
アメリカの小売業の「マ-ケット・リ-ダ-」は、ディスカウント・ストアでは「ウォルマ-ト(Walmart)」、「Kマ-ト(K―Mart)」、ス-パ-マ-ケットでは「アルバ-トソン(Albertson)」「セ-フウエイ(Safeway)」、コンビエンスストアなら「セブン-イレブン(Seven-Eleven)」、スペシャリティ・ストアでは「リミテッド(Limited)」、DIYなら「ホ-ム・デポ(The Home Depo)」、デパ-トメント・ストアなら「ノ-ドストローム(Nordstrom)」などがあげられている。
2.フ-ドサ-ビス業のマ-ケット・リ-ダ-
フ-ドサ-ビス業のマ-ケット・リ-ダ-は、ハンバ-ガ-なら「マクドナルド」フライド・チキンでは、「KFC」、ビザでは「ビザ・ハット(PIZZA HUT)」、タコスでは「タコ・ベル(TACO BELL)」、デリバリ-・サービスでは「DOMINO PIZZA」、カジュアル・レストランなら「TGIフライデ-(TGI FRIDAY)」などがあげられる。このような中で「マクドナルド」は、ハンバ-ガ-・ビジネスでも、ファ-ストフ-ドでも、いやフ-ドサ-ビス業全体、いや世界中のマ-ケット・リ-ダ-である。
3.マクドナルドの創業
「マクドナルド」は、フ-ドサ-ビスの売上高においては、1972年にトップに躍進して以来の王座を守り、そのシェア-も年々上昇していて、当分の間他の企業は追いつかないほど格差が生じている。
また「マクドナルド」もこれに安住することなく、リ-ダ-としての「経営戦略」や「マ-ケティング戦略」を次々と打ち出している。「マクドナルド」の創業は、1955年4月15日にイリノイ州デス・プレ-ンズに第1号店オ-プンさせたが、1959年末には150店に迫ろうとしていたし、1960年末には200店を突破した。
4.世界最大のサンドイッチ・メ-カ-
1960年当時の「マクドナルド」のポスタ-には、「オ-ルアメリカン・ハンバ-ガ-、フレンチフライ、シェイク45セント!」とあるように、「オ-ルアメリカン」というスロ-ガンをかかげていることは、「マクドナルド」の躍進を象徴すると同時に出店している地域はまだ9州だったが、ナショナルチェ-ンをめざしていることも表わしている。また1960年8月にサンドイッチ月間に、創業者のレイ・クロックが「世界最大のサンドイッチ・メ-カ-」として表彰されている。
5.ハンバ-ガ-大学の開校
1960年初頭には、ハンバ-ガ-大学を開校し、「マクドナルド」の「基本理念」をはじめ、「マクドナルド」のあらゆるオペレ-ションを完全にマスタ-する「教育訓練」のシステムが出来上がった。1962年末には、400店を突破すると同時に、いまでもお客様に親しまれている「フィレ・オ・フィッシュ」のメニュ-が登場し、ハンバ-ガ-だけの単純なメニュ-に多様性を加えた。1963年には550店になり、10億個目のハンバ-ガ-が売れたのは、ビッグニュ-スとなった。
6.株式公開
1965年には、株式を市場に公開し、この年の売上高が1億2900万ドル、店舗は657店、全米50州のうち44州まで進出し、まさにナショナルチェ-ン化に一歩近づきつつあったと同時に創立10周年行事も行われた。
1960年代の「企業戦略」で革新的なのは、車の中のお客様にサ-ビスするドライブ・イン・システムから、ゆっくり客席に座ってハンバ-ガ-を召し上がっていただくレストラン・システムに転換したことである。また1966年9月には「ロナルド・マクドナルド」が全国にデビュ-させ、お子様の人気を一気に集めた。