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せいゆう丸釣行記
じっと様子を見ていると大体概ね釣るお方と、何故か釣れないお方に大別出来ますが、昨日は年に一度あるかないかの出来事を目撃することとなりました。
出港時間は午前7時。
夜明けが随分遅くなったものです。
出港すると、最近しばしばよその港からやって来るお邪魔なプレジャーボートが居座っていたが、自分の港の近くで釣れば良いものをわざわざ朝早くから遠出してやって来るのだからご苦労なことであります。
魚影がパッとしなかったのでそこはスルーして沖のアジの巣床に行きましたが、北東の風がそのうち出てくる予想だったので早く行って早く戻る作戦でありました。
幸いにも一昨日より潮が動いてたみたいで魚影がくっきりしてたから 「多分釣れるだろう」 と思い、イカリをドボン。
すると毎回 「このお方どうしてこんなに釣れないのだろう?」 と不思議に感じてた方が、昨日は何故か天秤で次々とチダイやデカアジを釣りなさる。
あってはならない事が起こってしまったようで、数年分の運を使い果たしたのじゃないかと思われるから、当分宝くじとかパチンコとかの賭け事はしないほうが良いだろうなあ。
予想通り北東の風が出て来て船酔いさんがキツそうにしてたので午前中で納竿したけど、潮が動いてくれるとコンスタントにお魚は喰って来てくれるね。
今日も北東からの風が吹くみたいだけど、今日のメンバーはよりによってコテコテにキャラの立った、F爺・タコ釣り名人さん・レレレのおじさん・ジェントルM爺と、最強のメンバーときたものだから今日はどうなることでしょうかねえ?(笑)
シケの時には海底付近でも上下にかなり揺さぶられるという話を元潜水士に聞いたことがありますが、カサゴのようにいつも岩の間に身を寄せて暮らしているお魚と違って常に回遊しているアジは体表が傷つきやすく、自分の意とは別の動きをする上下動を嫌ってるのかも知れません。
昨日も潟近くにはほとんど魚影を見ることが出来なかったので、凪ぎということもあって沖のアジの巣床に直接行くことにしました。
到着すると上の潮は上りで下の潮は下りの2枚潮でしたが、ほとんど止まってるくらいだったからか群れが居るにはいるもののすぐにバラける感じで、イカリを打って1~2匹釣れるもののすぐに群れが居なくなっちまうを繰り返し、何度イカリを打ち直したか分からんくらい付け直すが次第に全く釣れなくなりました。
動きたくなかったけどあまりに調子が悪いので沖の瀬周辺を探索して仕掛けを落としてみるけど全く駄目で、午後には結局また朝一の場所に戻ってみると少し潮が動き始めたようで、サバの猛攻の合間を縫ってデカアジやチダイやクロエバなどがひと切れのお刺身食べられる程度に釣れてくれたようです。
今手首にサロンパスを貼っておりますが、現在使用中の超重いイカリを揚げる作業をし過ぎた関係で、どうやら左手首を痛めたようです。
今日のイカリ揚げに差し障りなければ良いがなあ。
ネタが何か無いかものかと、昔読んでた書物を押入れから探し出してた時に目に止まったのが 魯迅の 「阿Q正伝」。
確か中学生の頃に読んだ本だと思いますが、その当時あまり意味が分からずに読み流した記憶がありますが、阿Qと言うちゃらんぽらんでルンペン農民の間抜けな男が、あれよあれよと言う内に革命騒ぎに巻き込まれ、遂には処刑されてしまうお話なんですが、その中には世の中の状況変化にに流されながら何となく情勢を受け入れるという、その当時の中国社会に根強く存在し続けていた 「馬々虎々」 の土壌を深く憂う、魯迅の問題意識を感じ取ることが出来る気が致します。
あまり聞き慣れぬこの 「馬々虎々」 の意味を調べると 「どうもどうも」 とか 「ぼちぼち」 的に大らかな意味合いの一方で 「とりあえず馬でも虎でもどっちでも良いんじゃないか」 的にいい加減な(欺瞞に満ちた)方が出世するんじゃないの?的に、軽蔑の意味もあるそうな。
魯迅は、半植民地的状況を甘受する当時の中国社会に蔓延る悪しき汚職の意識土壌である 「馬々虎々」 心理を厳しく批判するべく 「阿Q正伝」 を書き上げたらしいが、これって今の日本の問題そのものなんじゃないかと思いましたね。
自分は 「馬々虎々」 を 「そのあたりはなかなかでして」 と訳すれば分かり易いとおもうのですが、時代の空気に合わせ 「流れに乗る」 とか 「長いものには巻かれろ」 的な考えで、自ら主体的に考えず選択することもなく、 「仕方ないよ、そのあたりはなかなかでして。」 とお茶を濁し、そしてもたらされた結果について誰も責任取ることを取らない状況は、まさしく 「馬々虎々」 だと思いますよ。
数え切れないほどの具体例の中で一つ二つ取り上げてみますと、まずは福島の原子力発電所の事故後の国の原子力政策。
今でも家に帰れない被害者が沢山いらっしゃる現状の中、あちらこちらの原子力発電所を 「今度こそ安全ですよ」 と再稼働を次々に決めておられるようだが、近頃では 「原子力発電が増えて来たので電力の需給バランスが崩れることも考えられ、再生可能エネルギーを受け入れられないこともありますよ。」 と涼しい顔でおっしゃってるが、事故からの時間が経つに連れて 「やっぱり原子力産業は旨みがあるからねー。そのあたりはなかなかなんですよねー。」 と、政治家や官僚さん達や原子力産業関係者のほくそ笑む顔が浮かんできそうだ。
次に、安倍さんお得意のアメリカ盲信的追従のあり様ですが、70年前にアメリカに無謀な宣戦布告をしてコテンパンにやっつけられて、しばらく占領下に置かれたトラウマが日本人にあるのは仕方ない事実ではありますが、今に至っても何でもかんでもアメリカ追従する姿勢から、そろそろ卒業する日が来ているのではないかの問題。
そのうちマッカーサーによるGHQ統治のことについても書くことがあると思いますが、戦いに負けるまで 「鬼畜米英」 とアメリカ・イギリスを罵ってた国民が、負けた途端にマッカーサーを父や神と称え 「米国の属国としてなし下され」 と軽薄なまでにすりより 「長いものにはまかれろ」 と変わり身の早い日本人の姿について、帰国後のマッカーサーはこう述べたそうな。
「日本人は全ての東洋人と同様に勝者に追随し、敗者を最大限に見下げる傾向を持っている。米国人が自信・落ち着き・理性的な自制の態度をもって現れたとき、日本人に強い印象を与えた。アングロサクソンが45歳の壮年に達しているとすれば、ドイツ人はそれとほぼ同年輩であるが、日本人はまだ生徒の時代で、まだ12歳の生徒である」
安倍政権は事あるごとに憲法を拡大解釈して、数の論理で有事法制等をなし崩しに決めてきたが、何においても全てアメリカのフィルターを通さなければ事が進まないのであれば、日本は未だアメリカの占領下にあると外から言われても仕方ないだろう。
敗戦のトラウマで日本人に染み付いた、ある意味諦めの心理から来る 「馬々虎々」 から早く日本国民は脱却しないといけないと思いますがね。
あれあれ、小難しいことを書いてたら時間になったので、そのうちお休みでネタが無いときに明治時代から現在までの日本の国がどう動いたかを考えてみたいと思います。
今日は久しぶりに沖に出られそうですが、シケ明けにお魚が釣れた例しはないので、お散歩気分で出かけることにしますわ。
台風続きで沖行き出来ないので、ブログのネタが尽きてしまいました。
現在話題になるネタ探しであれこれ本を読んでおりまして、明日から何らかの話題を書こうかと思っております。
台風25号は北に反れてくれたのでこの程度で済んでるけど、少しでも南に近かったら大変だったでしょうなあ。
今から内海に向かって船に被害が無かったか確認してきますわ。
この前沖に出てる時、セルモーターが突如として不調となりはたはた君で曳航したことがありましたが、その原因が分かりました。
それがこれ。
お絵かきが下手くそなので分かりづらいかも知れませんが、2箇所のうち1箇所でハンダ付けが振動で外れ電気が通らなくなった結果、半分の出力しか出せなかった模様であります。
どうして突然 「グル・グル・グー」 とエンジンのフライホイールを回し切れなくなったか不思議でしたが、セルモーターをばらしてみて納得した次第です。
海の上では何が起こるか分かりませんねえ。
さてとお休みが続いているので今日もこれと言ったネタが無いので、 「ジェロントロジー その3」 と題して、超高齢化社会の中で高齢者が社会とどのように向き合って行くかを書いてみましょう。
理不尽な 「定年制度」 でそれまで有能だった働き手が活躍の場から退場を余儀なくされるから、 「知の再武装」 で残りの人生を有意義なものにしようではないかというのが、昨日までのお話でありました。
もちろん社員が元気で働く意欲があれば、幾つになっても働ける間は雇用し続ける企業もあるでしょうが、極まれで有りましょう。
まあせいぜい65~70まで雇用するのが一般的なんでしょうが、再雇用になると仕事内容を単純作業に変えさせられたり、自分がやりがいのあると思っている仕事から外れたりすることは現実の問題でありまして、でもそれは企業にとってもやむを得ない事情もある訳で、日本国全体として超高齢化社会に対応したシステムの構築が遅れに遅れた結果、給与体系や昇進の制度が昔のまま厳然と残っているから、どうしても定年を迎えたお方に極めて厳しい条件での再雇用だったりするのですねえ。
それでは再雇用が終了した後の人生をどうやって生きていくかと言うことになりますが、それこそ長生きされるお方においては20年30年も残りの人生が存在するから、やはり社会の中の一員として仕事なり活動なりをずっと行えることが理想でありますが、手に職のある職人さんはそれが比較的容易に出来ても、一般職のサラリーされてたお方においてはそれが容易なことでは無いことを想像するに難くありませんわな。
ですから多くの高齢者が 「健全な形での社会参画」 するためには仕事そのものを 「稼ぎ」 から 「務め」 に切り替える必要があると著者である寺島実郎さんはおっしゃってます。
家族を養い子供を社会に送り出すために必要なお金を 「稼ぐ」 時代から、社会の一員として活動し続ける 「務め」 の時代にうまく切り替えることが出来さえすれば、いつまでもイキイキと毎日の生活を送れることなんじゃないかな、と。
そこで大切なのが 「知の再武装」 なんでありまして、 「稼ぐ」 時代に培った知恵や技術に更に磨きを掛けて新たな仕事を生み出すか、それとも自分が好きでたまらないことを見つける自分探しを時間かけて行い、改めてその分野の勉強に勤しむことにより新たな仕事を生み出すことも可能でありましょう。
自分の場合、何となくいつの間にか自分が好きでたまらなかったお船が仕事に結び付いた訳ですが、運が良かったとは言えやはり苦しい時期はありました。
苦しさは今も続いているのかも知れませんが、誰にも負けないプロのガイドになるのが自分の究極の夢だから、新たな場所の開拓や経験をさらに積み重ねることで、さらなる高みを目指す意欲だけは持ち続けたいと考えてます。
「知の再武装」 をするには、若い時からそれを意識する必要があったなあと感じる今日この頃ですが、特にある程度の年齢ともなれば漫然と現状の仕事にだけ向き合うのではなく、将来の自分の姿を想像しながらある程度の準備は必要だと存じます。
そして最近ふと気が付いたことがありまして、 「インパーソナルドリーム」 (自分ではなく、他の誰かのための夢を叶える) 的に仕事をしていればそれなりに結果はついてくるようで、人様から何らかの形で頼りにされてると思えるだけで、そりゃ嬉しくて楽しくて面白い人生に繋がる気がしますがね。
それこそ自分の 「稼ぎ」 の時期はとうの昔に過ぎ去り 「務め」 の時期に入った訳ですから、無理をせずゆっくりまったりと美味しいお魚を求めて凪ぎなら毎日沖に出て行けるので、そう考えると多分自分が一番の幸せ者なんでしょうねえ。
さてさて、隣の長男一家が輸入牛肉のステーキが食べたいと言ってたが、そろそろ半額になる時間になるので半額ハンティングしながら内海に向かうことにしましょうかね。