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古本屋日誌

2019-05-08 12:57:00

今朝も部屋の中では肌寒く感じられるくらいで、この調子で太陽にはお願いしたいところですね。

「週刊文春」に連載していた宮崎哲弥の「時々砲弾」が今週号で終了、最終回は宮崎が10年前に文藝春秋誌上で経済不況に立ち向かうには需要を喚起することが肝要で、そのためには政府の財政出動が切に求められると主張したところ「新ケインズ主義だ、時代遅れの亡霊だ」と散々たたかれたと述べて、一知半解の経済学者に痛撃を与えている。

また「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の新井紀子が池上彰と対談、SNSであれこれ発信している連中を「タダ働きしているだけ」と指摘し具体例としてAmazonのレビューにあれこれ書き込んでいる人を挙げている。確かに新井先生のおっしゃる通りAmazonレビューのポイントを稼いでも特に素晴らしい出来事などなにもおこらず、単にAmazonが得をするだけですね。

人に認めてもらいたい、目立ちたいという欲を資本主義にうまいこと利用されてただの仕事を喜んでやっているようなものです。

まあ確かに長くこの世で生きていたら、取り立てて才能も能力もないのに有名になっている人がたくさんいることはよくわかります。そしてそれは社会や資本主義体制が色々なジャンルの作品を金儲けの手段として切に欲しているからであり、そのレールに乗っかってちょうどいい製品を生み出せば有名になれるということがわかってきますよね。だから新井紀子先生には悪いけれど今後ともSNSでのタダ働きは増加するばかりだと思いますよ。

 

 


2019-05-07 12:28:00

今朝はよう晴れてはいるものの、空気が冷とうてひんやりしている上に風も吹いて肌寒い。

京阪電車の萱島駅の高架は1980年に落成していますが、西口のエントランスは高架線路を支える高い柱は全て深緑のタイルで、はるかに高い線路までの数メートル全面が覆い尽くされており、対して壁面は打って変わってアイボリーのタイルで占められている。また大阪行きホームに上がるエスカレーターは上部が円筒状のスリ天井になっていて、見上げると樹齢700年といわれる巨大な楠を仰ぎ見ることができるようになっている。

高架線路落成記念として人と人モノとものの出会いや別れをイメージした有田焼風の赤い石像も京都行きホームの下に設置してあって、高架ホームまでの数メートルを覆い尽くした白いタイルとコンタラストも効いている。


2019-05-06 13:07:00

先日朝日新聞に金井美恵子が面白いエッセイを書いていた。天皇の即位を持ち上げたり、大騒ぎする連中を揶揄していて余すところがない。評論家や物書き、コメディアン、詩人などをおちょくるのみならず、そこらへんの大衆にも容赦がないのが金井美恵子らしくて楽しかった。

平成は大災害があいついだ時代だった、天皇夫妻が被災地を訪問して被災者に声をかける、人々は「感謝です」とかいうんだが、金井美恵子はこの言葉に対して「感謝❓」と突っ込む。

前の前の天皇の時に、戦争責任というような文学的な問題は答えられないと天皇が言ったことに、藤枝静男が「形容しがたいくらいの怒りを覚えた」と書いたことを述べる。戦争体験者である藤枝静男としてはこのような発言は腹に据えかねたのだろう。

翻って今回の即位に北野武が声をかけてもらって嬉しかったと述べたり、日本を代表する詩人である高橋睦郎や吉増剛造が賛美の言葉を惜しまなかったのを引用した上で「それは詩人の批評的言語意識を超えた存在なのだろう」と揶揄する。

まあその通りだな。身分制度がお好きな人がそれなりにいることが今回の騒動でよくわかった。


2019-05-05 13:17:00

オス猫が7.5キロもの体重になってしまい、このままでは糖尿病のリスクもあるので食事制限を試みています。朝カリカリと病院でもらったダイエット用のエサを与えて、それ以降は容器が空になっても与えないようにしています。
代わりにマタタビをやってみましたが、西宮のアクタでこうてきたものやネット通販でこうたものは安くはあったのだが、食べるはものの期待したような酔っ払う仕草はしてくれません。四条畷のイオンのペット売り場に出向いて500円以上するイトスイのやつを与えてみたらこれはオス猫はゴロゴロ床に転がり、体をなすりつけて恍惚の表情、メス猫は全く反応しません。
小学館から牧久の「暴君」が出ました。動労やJR総連の指導者だった松崎明の伝記です。
高卒でバイトとして国鉄に入った松崎が持ち前のバイタリティと人を惹きつける巧みな話術でのし上がっていく話です。
国鉄分割民営化で動労は国労との抗争に勝ちNo.1の組織率を誇るJR総連を手中にしたわけですが、ストライキ権の行使をJR総連に委ねる決定に西日本の労組が反発して離反していきます。
それはさておき、なかなか読ませるのが冒頭の東北本線の黒磯駅の話です。
ここは1970年代後半、国労の拠点駅になっていて、「駅も構内の建物もビラや、闘争を支援する各地の支部から送られてくる真っ赤な檄布で埋め尽くされている」状態で、また朝の点呼の際には助役がある地点の保線を指示したら「そこの地形はどうなっているのか?」とか「退避するときはどこに逃げるのだ?」と次から次へと質問して助役が口ごもろうものなら「お前は労働者が車両に引かれても構わないと思っているのか❗️❗️」と詰問するのだという。
まああれですね、この程度のことは国鉄のみならず、郵便局や鉄工所やらいろんな会社でその頃はいくらでもありました。
これはこれで結構なことで、労組の指導部としては当局を追い詰めて譲歩を引き出す方策としてやっているわけで、合理的な、統制のとれたものでしょう。

しかし現場の職員はいろんな人がいますからね、サボタージュをいいことに日頃からのやる気のなさが上からも仲間からも公認されたように受け取って徹底的に手を抜き出すんです。昼間から酒を飲んで車やバイクを運転して客のところに行ったり、勤務時間をごまかしたりします。

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2019-05-04 10:29:00
私の父は大工で祖父は宮大工をしていた。祖父が墨江に立てた多宝塔の上棟式に幼い頃出て、なかなか器用で大したものだと感心したし、父がバタコにたくさんの廃材を山のように積み上げて上からロープをかけてあんばい結わえていくのにも心打たれた。
祖母は何度も「お前もあんな風に大工になったらええんやで、勉強したかてしゃあないよってな」と言い聞かせていて、そういうものかなと思っていた。
しかし私は生来の不器用で釘一本打つのにも難渋して間違えて左の親指を叩いて怪我をしていた。
結局塾の先生になって長らく子どもを教えて来たが、それはそれとして、定年も近づき老後の生業として数年前から古本屋を始めてそれも店舗をもつ営業形態ではなくネット販売で、幼い頃ほのかに建築の道を夢見たのとはまるで違った道に踏み迷うことになり、残念ではないが、こんなもんでええんかな、なんか地に足がついていない浮き草のような感慨を覚えている。

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