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古本屋日誌
28日はJR芦屋の近所の居酒屋で日能研関西労働組合の宴会があって、俺も出た。
そこで算数課の課長であった酒井が過労死した2000年に、社員であった人たちからあれこれ証言を得た。
当時算数課の課員だった高見の話、「その時はね、私も酒井さんの顔色が悪かったから、何回も『病院行き‼️』ゆうたんやわ。食事もたこ焼きくらいしか食べてないみたいやったし」とのことだ。
俺が「酒井に『病院行きや』ゆうたらどないゆうてました❓」と聞いたら
「『うん、そうやな』みたいなことゆうてた」
そうなんだよね、結局疑問は残る。
かなり体調が優れない時があったのに、なぜなのか医者にかかってない。
確かに回復する時期や時間帯はあったのだろうけれど、相当きつい時もあったようだから、そこで踏みとどまって休むとか病院に行くとか、そういう、ごく当たり前の対処がなぜできなかったのか。
酒井は免許の更新期日が来ていて、それはなんとか時間を作って出向いたことがわかっている。
免許の更新に行く時間と医者に行く時間を比べてみたら、後者の方が手軽に思えるから、やはり俺は、かなりしんどい時期はあるものの、騙し騙しで行けるという判断をしていたのではなかろうか。
高見がたこ焼きを食べていたと言っていたのも、ある程度食欲がないとあれは食べにくいと思うのだ。
次回から具体的に仕事の中身を考えてみることにする。
先日JR芦屋駅の近所の居酒屋で、日能研関西の労働組合の宴会があった。
なかなか楽しい一時だったが、中小企業に入社してくる新卒の人たちのタイプが話題になっていた。
会社に不満がある若い人たちは、わりとすぐに見限って退職することが多い。
そうでなく、社内にとどまって、労働組合を利用するなり、地位をあげて居心地をよくするなりはしないという。
確かに今は売り手市場で、どこの会社も人手不足だから、嫌な会社に居続けるのは時間の無駄だろう。
おれの印象は若い子はよく働くし、実にありがたい存在だな。(もちろん無能で、どうしょうもない連中もたくさんいるけど、それはどの世代もおんなじだ。中小企業が出せる給料の限界もあるわけだし)
そもそも、通販で古本屋が出来るようになったことからして、若い世代の努力のおかげだから、ありがたい。
モダニズムへの批判からポストモダニズムへの移行期が1990年代だったのだが、結局今はそのゆり戻しで、近代主義が幅を利かせている。
資本主義、帝国主義への批判をはじめ、例えば緑の革命への問題指摘なんかも行われていた。
しかし『FACT FULLNESS』や『資本主義が人類最高の発明である』に見られる通り、近代主義の勝利はもはや認めざるを得なくなっている。
中学受験の進学塾の日能研関西の過労死の問題だ。
二つ目の問題は倒れるまでの健康状態のことだ。実は、ずっとすぐれない状態ではなかったのではなかろうか、と考えているという話なのだ。
算数課の課長であった酒井が2000年の1月末にくも膜下出血で亡くなった。
それも倒れてから一度も、意識が戻らなかったので、われわれも言葉を交わすこともできなかった。
これでは心残りでもあるし、本人もやりきれない思いがあると考えて、霊能者に頼んで降霊してもらうことにした。
降霊というのは、亡くなった人の魂を呼び戻し、よりましといわれる霊能者の口からその思いを伝えてもらう儀式だ。
日能研関西の理科の先生なんだが、日頃そういった方面に詳しい女性がいた。
ある時、日能研関西の講習会の打ち合わせ後、宴会があって、その2次会で三ノ宮の居酒屋に3人で行ったことがあった。
わしとその理科の先生、同じく日能研関西の算数の職員の東だった。
その時彼女は、東をしげしげと見て「後ろに上下(かみしも)を着たような、江戸時代の侍みたいな人がいてしきりに話しかけてきますね。『夫婦仲が悪くなっているから、そう伝えてくれ』と言ってます」などと言うのだ。
東はいつもの軽口はたたかず、神妙な面持ちで聞いていたが「それで、死んだ人が見えるゆうけど、それてどれくらいなん?❓密度ゆうのはどんなくらいなん❓」
「この雑踏くらい霊が溢れている感じの時があります」と言う。
この予言めいた背後霊の言葉なんだが、東はその後「家で嫁に確かめてみたけど、そんなことはなかった」と俺に報告してきたが、まもなく離婚することになったので、当たっていたといえる。
そういうこともあって、彼女に頼んで西宮北口校での授業が終わってから、夜の10時半くらいに、門戸厄神の酒井のマンションに来てもらい、その時はやはり日能研関西で社会の講師をしている竹安も一緒だった。
彼女は「よりましをするのは初めてなので、うまくいくかわからないですけど」と言いながらも「故人の身につけていた物を貸してください」というので、酒井が愛用していたカバンを渡すと、彼女は手を置いてしばらく反応を窺うような格好だった。
「今気になってるのは2人の妹さんがいて、それがねと言ってます。
発作が起こる1週間は食欲がなく食べ物を押し込んでいる感じだった。
また救急車で運ばれて手術されてからはずっと痛みが激しくて本当に大変だったと言ってますね」と言うのだ。
この、あの世からの酒井の言葉が、真実だとすれば、倒れる前の1週間は食欲がなく、食べる気力もなかったということになる。
彼女は酒井とは面識もなく、2人の妹がいることや手術を受けたことも知らないわけだから不思議な話ではあるのだ。
そういう意味から信憑性も感じて、われわれはこれまで四半世紀にわたって、酒井はずっとしんどかったと思ってきたから、それならなんで医者に行かなんだんやという疑問があったのだ。
大阪の古本屋では、もちろんブックオフは日本一の古本屋なので、素晴らしいのだが、天牛書店が圧倒的にすぐれている。
戦前からすでに有名な古本屋であったし、角座前の店も、アメ村の店もよかったし、さらに勢いに乗ってハワイにまで出店したことがあった。
この古本屋の立派なところは本のコンディションのチェックが行き届いていることだな。
線引きがある場合はきちんと表示されて値段も安くしてあるし、小口に焼けがあったり、本に歪みがあったり、カバーにスレがあったりする場合もその旨記載があって安くてしてあるのだ。
俺も本のチェックをもちろんするのだが、線引きを見逃してしまうこともある。
前に、天牛の本店で「線引きの有無はどないして見つけはりますの❓」と尋ねたことがあるが「こないしてね、パラパラみてね、違和感やね、どこか不自然ゆうのがあるのやわ」とのご返事をいただいた。
「違和感」ねぇ、さすがはプロの中のプロフェッショナル、俺には理解することも難しい。
さて、天牛の天神橋店を訪ねてみよう。
11時のオープンと同時に店頭に2台のワゴンが引き出され、外側のには50円均一の文庫と新書がぎっしり詰まっている。
こういうワゴンには時代小説が入っている古本屋が多いが、天牛はそれは少なく、かなり古い文庫本や海外の作品が並んでいる。
中上健次の『岬』(文春文庫)、トフラーの『第三の波』(中公文庫)、新潮文庫の髙橋たか子の本とか、なかなかこういう少し昔の本は手に入れにくい。
内側のワゴンには100円均一の単行本がたくさん並んでいる。
ドアを開けて店内に入ると、左側の壁にラックが設けてあってたくさんの雑誌(『ランティア』「文藝別冊』など)とその上には図録が並んでいる。
少し進むと左手壁面には300円均一の単行本がずらりと並んでいる。法政大学から出ている『化粧』、ミネルヴァ書房の『船場』などがある。
さらに進むと講談社学術文庫がたくさん並んでいる。
その向こうには大きなショーウィンドウが設置してあって、司馬遼太郎の初版本やちくま文庫の『夢野久作全集』なんかが置いてある。
その左には海外の文学作品、国内の文学作品、本に関する本 作品論、黒っぽい小説、日本の歴史、世界の歴史、民俗学、宗教学、理工書、辞書と並んで店の奥に到着。
どんつきには、天井まで届く大きなガラスが嵌め込まれていて、その外はせんざいだ。
今度は右手を見てみると、店に入ってすぐ右には腰くらいまでの高さのショーウィンドウが置いてあって中には一押しの図録なんかが置いてある。
また壁面にも図録や全集が置いてある。さらに進むとレジがあって、いつも3人くらいの店員さんがいる。
そして右手壁面にはマンガ、マンガ雑誌(『COM』『火の鳥』『ガロ』など、300円。)その上に特選の単行本。
進むと大阪本、『大阪平野のおいたち』や大谷晃一の本。
さらに進むと料理本、落語の本、タレント本、芸能本、建築本が並んでいて、その向こうの壁面は上下にラックが作ってあって大型の雑誌や図録が入れてある。
『大阪春秋』『小野十三郎全詩集』などがある。
その向こうには美術書、大判の図録がずらりと並んでいて店の奥に到着となる。
これで終わりではなく、店の真ん中にも本の島が作ってある。
まず黒い腰くらいの高さの本棚が2台背を向けて並んでいて、ここにはテーマを決めて特集している本が並ぶ。今の時期は岩波文庫、ちくま学芸文庫、講談社学術文庫の特集だ。
その奥には背中合わせにずらりと本棚が顔の高さくらいまでずーっと奥まで並んでいる。
まず向かって左側は1番上にイチオシ文庫で中公文庫の『長い道』などもある。
その下は、岩波現代文庫、岩波文庫、その下に平凡社ライブラリー、中公文庫、講談社文芸文庫、河出文庫、朝日文庫と、並んで一つ目の本棚は終了。
進むと二つ目の本棚には岩波文庫、ちくま文庫、幻冬舎文庫とならんでから、作者別五十音順に小説の文庫本がずらりと並ぶ。
更にその奥には海外の小説が、岩波文庫、ちくま文庫、創元推理文庫、サンリオSF文庫など。
これで店の奥に到着。
また戻って今度は真ん中、左側の本棚だが、1番手前には社会学の単行本。『21世紀の資本』『希望の歴史』など。
さらに社史、タウンガイド、地形や暗渠に関する本、戦争の本、スポーツ本が並んでその向こうにいろんなレーベルの新書がずらりと置いてあって、店の奥に到着となる。
中学受験の進学塾の日能研関西での過労死のことを考えている。
当時算数課の課長(実際には「リーダー」という職種)だった酒井が2000年1月末にくも膜下出血で倒れて、そのまま意識が戻ることなく亡くなってしまった。
この病気には前兆として頭痛や吐き気、食欲不振などがあるといわれているが、個人差があるともいう。
前回、地下鉄で立ち上がれなくなるくらい体調がすぐれなかったのに、その後、部下を指揮して入試問題の突き合わせをしたりできるほど元気になっていた話を書いた。
またその同じ日に、やはり上本町校で、俺が「こないだな、藤目ゆき、ゆうやつの『性の歴史学』ゆう本、読んだんやけどな、例の廃娼運動の問題点を詳細に論じていておもろかったわ」という話をしたら、酒井はちょっと沈黙して、(この沈黙が興味深いのだ)「それ文学部の女やろ、ちょっと知ってる、一緒に住んでたことがある」という。
俺は彼との付き合いが長いため、妙な沈黙をする時はウソをついてる時だとわかっているので、それ以上追及するのはやめた。
代わりに「酒井先生はどんな研究をやりたかったんや❓藤目みたいなあれかいな」と聞いてみたら
「在日朝鮮人の歴史をやりたい思っていたよ」と実に意外な答えだったが、このへんのやりとりもいつもの彼の雰囲気だった。
またその時、俺が勉誠社から出ていた『歌舞伎台帳集成』という一冊が12000円くらいする大冊を何冊かまとめて、上本町の古本屋『天地書房』に売った話を酒井にした。
「向こうの藤田さん(天地書房の、俺が懇意にしてもうてる人だ)に値付けしてもうたんやけど、『そろてないよね、売らんともっといたらええのに』言われたわ」
するとすぐに顔を歪めるように笑って「そらそう」と短く言う。これは楽しい時の彼の表情なので、普段と変わらない印象を新しくした。
そこからしても、自宅で倒れる直前もかなり体調の良い時もあったと思うのだ。
また酒井が「付き合わせ‼️」と叫んで連れてきた部下は算数課職員の武村なんだが、彼に亡くなる前の様子を聞いてみた。
「酒井さんと昼ごはんに行ってましたけど、普通でしたよ」という。
やはり調子のいい時とそうでない時が現れて、まだ大丈夫かなという誤った思いを抱かせていたのだろう。