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古本屋日誌
通常の店舗を構える古本屋は10000冊の在庫を店内に持っている。
もちろん天牛書店の本店のように10万冊というのもあるが、それはあくまで例外だ。
通販をメインにしている古本屋でも1万冊は欲しいところだ。
うちは2012年の創業で、その時は700冊くらい、現在でも2700くらいしかない。
在庫が10000くらいになることを見越して、住吉に倉庫も確保してある。
そこは鉄筋の頑丈な作りの一階で、バリアフリーでもあるのだ。
スライド式の背の高い本棚を設置すれば10000どころか数万冊は置ける規模なんだが、まったくの宝の持ち腐れで、一度も使ったことはないのだから困ったことだ。
結局思うように本が仕入れられないのが問題だ。
いっときAmazonの注文を出荷する際、モノクロで「本を売ってください」と書いた紙片を同封していたが、いちいち入れるのが面倒だし、第一反応が全くないのでやめてしまった。
モノクロのやっつけ仕事のものではなく、ちゃんとしたやつ(もったいない本舗みたいなやつ)を挟み込めばレスポンスがあるのか、それともAmazonのお客さんは、本はAmazonからこうたと考えているので、個々の古本屋には関心がないのかよくわからない。
また、うちのお客さんを見ていると医者や整体師、大学の先生、マスコミ、出版社の人がかなりたくさん含まれている。
だから大学の研究室に営業に出向くとか、開業医を順番に回って御用聞きみたいなことをしてみたらどうかな、とは思っている。
こないだの参議院選挙で共産党から立候補して当選した仁比聡平くんは大学の後輩だ。
彼は福岡の出身なんだが、弁護士になった後、国政選挙にも何度か出馬し、今回は参議院議員となったのだ。
さて、彼は一回生の時点で既に共産党の活動家として確固たる信念があった。
俺も反体制運動に勤しんではいたものの、今ひとつ確信を抱くまでには至っておらず、共産党系の集会に参加したり、新左翼の集まりに行ったりとフラフラしていた。
仁比くんは「先輩(つまり私のこと)のこと、みんな二重スパイやゆうてますよ」とニヤニヤしながら話しかけてきた。
いつもエネルギッシュな仁比くんだが、ある時からばったりと大学に来なくなった。
共産党系の自治会のメンバーに聞いたら「仁比はな、自律神経失調症なんや。朝起きられへんようなんや」
「そら、大変やな、見舞いに行かなあかんね」
「いや、お前には言わんといてくれ言われてたんや、仁比の意向や」と心外なことを言うのだ。
しばらくして仁比くんが大学に姿を見せたので、とっ捕まえて
「病気のことどないやったんや、気になってたんやで」
「そうなんや(長い沈黙)」
「えらい言われようやな、迷惑そうやけど」
「そんなにゆうんやったらな、俺もな、あれこれ抜き(暴力沙汰になって怪我しても文句言わないという意味)でやったるわ❗️外へ出ろ❗️」
と怒鳴る。
病気のことを案じて、それも、一応後輩からどつかれるのも不思議な話なので、びっくりしたまま、すごすごと引き下がりました。
しかしこれが出来る人間の姿なんだよなあ。
頭はいい(ただし、弁護士や代議士になれる程度でしかないとはいえるが)また同時に喧嘩も押しも強い、おまけになかなかのイケメンだ。
これがわれわれの時代の典型的なガキ大将の姿だったんだよなあ。
仁比くんは、以前衆議院議員になったこともあって、その時、彼のホームページから中学受験の進学塾である日能研関西の過労死事件やその後の不当労働行為事件について相談したことがある。
もちろんなんの返事も返ってこなかったのは今さらいうまでもない。
大阪の作家で取り上げられるのは非常に偏りがある。
古くは織田作之助。上司小剣。水上滝太郎。
織田の作品は昭和はじめの近代化に突き進む大大阪とは正反対の市井ものだ。時流に乗らない復古的な作品だ。
上司のものはいつも「鱧の皮」。
大阪の節約精神と望郷や、家族愛がテーマになっている、やはり復古的な作品だ。
でも上司小剣には大阪をテーマにしたたくさんのエッセイがあるのに、誰も顧みない。
水上は「大阪の宿」。大正時代から大阪の人はケチで無粋だという話で、要するに今の大阪像にマッチしているだけの作品だ。
そんな薄っぺらな意味のない文学史はいい加減やめたほうがいい。
杉山平一、山田稔、小林一三、宇野浩二、川端康成、富士正晴、川崎彰彦、岩阪恵子、大谷晃一、岩野泡鳴、足立巻一、小松左京、富岡多恵子、町田康、開高健、庄野潤三、芦辺拓、三輪正道、杉本秀太郎、加藤一雄、天野忠、小野十三郎、藤澤桓夫、このあたりが、至極真っ当な大阪の作家(京都の人もいるけどね)だろう。
杉山平一は詩人としても有名だが、興味深い私小説「わが敗走」(編集工房ノア)はことに魅力的だ。
実家の鐵工所経営が行き詰まり、雇用している労働者との交渉に明け暮れるストレスフルな日常をなんとか平静に乗り切ろうとする話で、驚くほかない。
今日は下鴨にある三井家別邸に嫁と出向いた。
明治時代に建てられた三階建ての本邸と椋の大木が聳える庭園を見た。
650円で抹茶のムースもいただけた。
三井家といえば、維新後、東京に、ほとんど天守閣を模倣したような銀行を建てたことで有名だ。
井上章一がそのことを指摘してなるほどなあと感心したものだ。
徳川時代は、商売人ごときが巨大な3階建て、4階建てを作るなどもってのほかだった。
ところが御一新以後は、四民平等となって堂々と、武士のすまい、それも御城主さまのお住まいでも真似できることになった。
井上章一はそこに明治維新の革命としての徹底ぶりを見る。
そしてこの下鴨別邸だ。
ご覧のように木造で3階建て、中央に望楼が、設けてあるのだ。
これも天守閣風の建物だと考えられなくはないな。
三井家はとにかく生意気な、血気盛んな人たちだったんだろう。
昨日取り上げた『本の雑誌』の2014年8月号なんだが、大阪のはなしで承服できないところがある。
ブックオフに関する対談で今柊ニの発言だ。
「あの異常なブックオフ(これはかつてJR鶴橋駅にあった店舗のこと)。大阪は心斎橋筋にも何店かありますけど、美容院かなんかの跡に作った中途半端なエスカレーターがあるでしょう。」
「大阪のブックオフって無理やり作ってるのが多いから、変な店舗が多いんですよね。」
鶴橋駅のブックオフは改札を抜けたらそのまま店舗に入れるもので、便利だし、古本屋に行かない人には他にもたくさん改札はあるから、別に異常ではない。
また心斎橋店のエスカレーターが「中途半端」だということだが、意味がわからない。
間口は二間、一階の天井が高くて、エスカレーターで2階に上がるシステム、エスカレーターは40段分くらいあるし、何が中途半端なんだろう。
また大阪の店舗が「無理やり」作ったというのも意味不明で、言いっぱなしで困ったものだ。
そもそも大阪への偏見に基づいた愚論、暴論には飽き飽きしている。
大阪の人が百貨店や、エレベーター、電車、街頭で見知らぬ人にも親しげに話しかけることがあるのを
「大阪は大きな田舎だ」
「血縁、地縁で結ばれた昔の社会の名残りがある」
みたいなステレオタイプ。
本当にバカだよなあ。
徳川時代から、大阪は貨幣経済が発達し、商品作物も農村に浸透していた大都会だということを忘れている。
西鶴も読んだことがないんだろう。
昭和の初めの雑誌に載っている大阪へのコメントは「近代化され、人情も失われてしまった巨大都市」であることも知らないんだろう。
大阪の人が話しかけてくるのは、大きな田舎だからではない。
都市空間の中で、見知らぬ人同士がかち合うスペースで気づまりになってしまうのを防ぐためだ。
韓国でもアメリカでも大都会はみんなそうなっている。
ニューヨークなんかエレベーターで見知らぬ者同士、なんやかや話をしてるし、街中で話しかけてくるのは人もいる。
大阪とおんなじだが、ニューヨークを田舎だという人はいないよなあ。
完全にダブルスタンダードなのが不愉快だ。