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古本屋日誌
年末はゆうメールや普通郵便の配達が変則的で、通常は土日祝は配達されないのだが、今回は30日の土曜日、祝日の元旦も配達となっている。(毎年のことなんだが)
うちはある程度急いだほうがいいものは、クリックポストで出して、残りは寝屋川郵便局に持ち込んで発送している。
それで、昼まで枚方で仕事して、まずTスタイルの地下にあるスーパー(ライフ)に行ってみた。人出は大したことはなく、レジに並ぶこともない。
おかず売り場には2000円台から4000円台までのおにしセットが並んでいる。ここではPASCOの食パンとピーナッツバターを買う。(650円)
TサイトはTSUTAYAが作った複合施設で、三階には蔦屋書店がある。
このビルはオールミラーといってもいいくらい、全面を大きなガラス窓が覆っているのだが、その外から見えるところに本棚が作ってあって、大きな洋書がこれみよがしに並べてある。
実に下品でバカだよなあ。
昭和の成金野郎のスノビズムみたいなもので、くだらない。
本は読むものであり、装飾品ではないし、上品ぶるための小道具なんかでは決してない。
次に京阪枚方市駅の下にある京阪百貨店に行ってみた。
551蓬莱は20人は並んでいる。しかし、全体として人出は大したことはなく、肩を触れ合うようなことはない。
正月用品を売る店がたくさんある。風呂敷に包んだ3段のお重、棒鱈、かずのこ、黒豆、ごまめ、栗きんとん、卵焼き、鯛の塩焼き、かまぼこ、八幡巻、昆布巻きなど。
明石から来ている業者の店で、棒鱈200グラム(2080円)、焼物のショーウィンドウでカレイの味噌焼きと同じくカレイのたいたん(1300円)サラダ屋のショーウィンドウでコールスローサラダ200グラム、チーズサラダ100グラム、エビチリサラダ200グラムを買う。(2800円くらい)
枚方市は40万都市で、かなり大きな街だと思うのだが、ここの人は買い物をしないのだろうか。
去年は高槻の松坂屋(まっさかや)の地下で大晦日に買い物をしたが、物凄い人の波で、警備員も出て誘導する状態だった。高槻の人口は40万くらいなんだけどね。
さらに京阪電車で寝屋川まで行き、てくてく寝屋川郵便局。ゆうメールをお願いする。今日は行列になっておらず、すぐに受け付けてもらえた。
寝屋川市駅まで戻り、駅前ビルの地下にあるスーパー「ラッキー」に行ってみた。
ここはちょっと高級なスーパーで大ぶりのブランド苺(8個で3500円)やラッピングしてある富有柿(550円)が目に入る。
ハム(1400円)、数の子(1800円)みかん8個(600円)を買う。カスピ海ヨーグルト(この店では297円)も欲しかったが売り切れで買えず。
地上に上がり、寝屋川を渡って、目の前の「大利商店街」(おおとし商店街)に行ってみた。「大歳」に大利に行ったらいいことが起こりそうだよ。しかしこの商店街も多くの店は開いておらず、万代の寝屋川店まで出向いて、カスピ海ヨーグルトをこうた。(236円)近所のペットショップでカツオのおやつを3個(350円)
寝屋川も20万を超えているのだが、買い物客が少ないね。枚方市民同様、買い物はしないのだろうか。
もちろんそんなことはなく、地元で買い物をしてないのだろう。
今年はタイガースが優勝して、日本一にもなった年で素晴らしかった。
若い選手ばかりなのであと何回かは優勝できそうだし、ありがたいことだ。
古本業界は後継が見つからないとか、老齢で仕事を続ける体力がないなどの、中小企業あるあるのために廃業する店も出ている。
京都は学生が一か所に集まっていて、古本屋が商売しやすい地域なので、老舗の古本屋が街の中心部に何軒もある。
しかし三条河原町にあった「京阪書房」は今更地になっているし、そのすぐ南にある「大学堂」も今はシャッターを閉ざしたまま。
俺は大学の2回生のとき、この店に並んでいた三一書房の『プロレタリア文学大系』のセットを10000円出してこうたのだ。
この中に木村良夫の『嵐に抗して』が入っているからなんだが、今考えると高い買いもんだったな。
ちょうど近所のおばさんが店に来ていて、レジのおばさんに「こんな高い本買う人おるんやなあ」というのだ。
俺に言うたらええのに、なんでか店のおばさんに言うんだから不思議だったな。京都の人は変わってるなと思ったよ。
俺は「いや、全部で9巻もあるし、木村良夫のやつはなかなかおもろいんやで」と返したら
「さよですか、それよかったね」で別に食いついてこない。
美術書などを扱っていた「平安堂書店」も今はモータープールになっている。
スカイAでタイガースの今年を振り返る企画があって、平田、掛布、真弓の鼎談だ。
その名で8月終わりの甲子園のベイスターズ戦の話が出た。
8回裏に2点奪い、9回は岩崎につないだのだが、佐野と牧にホームランを打たれて負けた試合だ。
平田が「終わってから岩崎に『どしたんや❓』聞いたら『ちょっとストライクばかり揃え過ぎました』
『これからはもっと散らしていきます』と言うてたわ。だから、これがあったから岩崎も打たれないようになったわけよ」
と話していた。その後ホームランの映像も流れたのだが、確かに佐野に打たれたツーランホームランは真っ直ぐ付近の球で、警戒心なくスーッとはいってしまったといえる。
しかし、牧に打たれたのはかなり低めの落ちる球で、十分警戒して投げた球だといえるものだった。
俺はこの試合はわざわざ甲子園に出向いて観戦し、岩崎が出てきて大喜びしていたのだが、ぬか喜びになってしまった。
昨日ABCのM1で2組目に登場したシシガシラがハゲをネタにした面白い漫才をやっていた。
その中で「今は看護婦はダメ、看護師ゆわなあかん」てなくだりがあった。
もちろんそんなことはない。
女の看護師は看護婦と呼んで、なんの問題もないし、男の方は看護士で区別することもできる。
看護婦では、男もいるのだから不適当だという批判にも看護婦、看護士で対応できる。
だいたいそんなことをいうのなら、なぜ弁護士だとか司法書士はそのままなんだ。
「士」は明らかに男という意味なんだから、女の弁護士や司法書士には不適当だろう。
みたいな話は、その通りだし、俺もいい加減バカな言葉狩りはやめろと思っている。
ただバカな人には、上に書いた程度の理屈すら理解してもらえないことも事実なんだよなあ。
そして、そういう人の方が多い。つまり言葉の制限はバカがたくさんいるせいで、常に行き過ぎてしまうのだ。
俺はだいぶ前に結核に罹患して、寝屋川市にある大阪病院に40日程度隔離入院していた。
大部屋には6人の患者がいたが、大半は70以上の年寄りで、看護婦の求める行動ができない。
例えば、食後に4種類の抗生剤を飲むのだが、その薬の名前を看護婦に毎回報告する決まりになっている。(なんでそんなことをしなければならないのか、いまだに不思議だ)ところがその薬の名前がややこしいのだ。
白いカプセルのがイスコチン、赤いのがリファンピシン、黄色がエブトール、粉薬のPZAというのだが、言いにくいよね。それでも毎食後のことだから、嫌でも覚えてしまう。
しかし、年寄り連中は全く覚える気もなく「看護婦さん‼️赤と白と黄色、粉」というのだ。
看護婦はそれを黙認しているのだが、「あのね、今はね看護婦言わへんの、看護師ゆわなあかへんで」と子どもに言い聞かせるような言い方で注意している。
看護婦をどう呼ぶかは、治療とも関係ないし、今やっている抗生剤の名称ともなんの関係もない。
だからこれは指示された通りにやらない年寄りへの嫌がらせなのだ。
訳のわからん差別語の屁理屈を利用して爺さんを攻撃しているわけで、俺はなるほどこういうやり方もあるんだなあと勉強になったな。
でも病院の看護婦さんは大変な仕事だよな。
言うことを聞かない患者もいるし、隔離病棟だから、嫌という気持ちもあるだろう。こんな批判めいた文章を書くやつもいる。
それでも、患者のために頑張ってくれているわけだから、俺は大したもんだと思っている。
小学館から『阪神タイガース優勝記念本』が出た。
高橋留美子、さそうあきら、しりあがり寿、ほりのぶゆきをはじめとして、タイガースファンの漫画家たちが、優勝、日本一へのオマージュ作品を描いていて心打たれる。
高橋留美子のものは日本シリーズの第6戦に敗れて、「バファローズが逆王手をかけた」という記事にイラっとする話で、「タイガースも王手かけてるやんか」ということだ。
しりあがり寿とさそうあきら、ほりのぶゆきのものは期せずして、勝ちに慣れていないタイガースファンの心情を丁寧に表現したもので素晴らしい出来だ。
しりあがりのは、「5月の快進撃でもしや‼️と思ったが、まだ5月だしムリムリ」と思い直したという話で、この「もしや、ムリムリ」が日本シリーズまでずっと続いていくのだ。
期待すると裏切られるタイガースの歴史から、ファンは常に期待と失望の繰り返しを強いられてきた。
さそうは2008年の大失速に嫌気がさして、ジャイアンツファンなってみたというものだ。
ドームに応援に行って、ジャイアンツが負けても、球場のファンは「チェ、負けたか、カラオケ行く❓」てなもので負けても最後は勝つからと明るい。
しかし、タイガースへの思いは強く、今年の快進撃を見ても「いや、そんな甘いもんやない」と懐疑的になるのだ。
マジックが1の9月14日、9回に岩崎が出てきたのを見てすら、「いや、そんな甘いもんやない」なのだ。
これはいくらなんでもだよな。
さそうはギャグ漫画を描いてるのかと思ってページをめくると、1ページぶち抜いてこれまでのタイガースの黒歴史が描いてある。
「藤浪晋太郎」の入団会見の絵、88番のユニフォーム(安藤優也だ)と「予祝」の文字などが丹念に描いてある。
そういう悔しい思いをフラッシュバックする形でしか優勝を実感できないファンの心情を表現しているわけだ。
ほりのぶゆきのも、期待しても必ず裏切られる過去の長い経験から、日本シリーズで1勝2敗になった段階で、一切野球は見ず、情報も絶って仕事に専念して、ショックを和らげようとするほりのぶゆき自身が描いてある。