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古本屋日誌
こないだ大阪の知り合いの古本屋で、あれこれ近況を話していたら、めんどくさい客の話になった。
「あの、ほら『大阪の橋』ゆう郷土史の箱入りの本あるやん。あれな最前、客が持ってきてな、「この本、前は500円で並んでたんやけど、今は3000円の値段ついてんねんけど、なんでなん❓」て聞いてくんねん。」(おんなじ本ではない。500円のは売れて、その後入荷した本は3000円にしたのだ)
「バカだよなあ、そんなもん見つけた時に買わなあかんやん。500円で買えるなんかめっちゃ安いねんから」
「そうなんやけど、バカとは言えんから『そら、コンディションとか、状態が違いますねや』とかゆうといたけどな」
昨日BSでタイガースの85年の立役者たち、バース、掛布、岡田の特集番組があった。前からわかっていたことだが、バースの発言は理にかなっていて説得力があるが、掛布のはよくわからないし、素人くさいし、バカバカしい。
バースはバットにボールをしっかり当てるためにレベルスイングを心がけているという。
ホームランを狙ってアッパースイングにしてしまうと、球を捉える面積が狭くなってしまうが、バットを水平にしておけば、ボールが少し芯を外れても強い打球が打てるというのだ。
これは基本に忠実なバッティング理論で、通常このように教えられる。
しかし掛布はホームランを打つための練習だとして、トスバッティングをする際にボールの中心から5ミリ下をたたいて、打球を上に上げようとしたというのだ。
トスバッティングなら確かに5ミリ下を意識して打つこともできようが、実戦でそんなものを見分けられるとは思えないな。なにせ、150キロのボールだからな、動体視力の限界をはるかに超えているからだ。
また掛布は打席に入る際には手に唾をつけて滑りを取るとともに、打席では上を向いてバットのあるロゴマークがホームベース側にあることを確認する。ロゴの面で打った方がよく飛ぶのだという。
なんか諸星大二郎の『マッドマン』みたいな話だよな。
滑り止めに、大衆の面前で唾を吐くというのはシャーマンの呪術みたいだし、ロゴマーク云々は完全に思い込みだろう。
バットは芯に当たれば飛ぶもので、ロゴマークは意匠としてあるだけだ。
掛布のこのような合理性とはかけ離れたルーティンは祝祭を思わせる。
試合、打席は晴れの場であり、日常からかけ離れた理屈が支配する場だということだ。
確かに1985年のタイガースは、個々人の力量以上の成績を残した年だった。先頭の真弓が34本のホームランなど出来過ぎもいいところだ。
祭りは通常数日で終わるが、その間は無礼講の非日常が出現する。1985年に限っては数日で終わらず半年続いたのだ。
この前タイガースの『六甲おろし』について、そもそもそんな風はない、作詞家は川崎の出身で、関西方面のことは何にも知らん佐藤惣之助が適当につくったものだ、と書いたら、批判してきた人がいた。
なんでも三ノ宮から少し西に行った花隈あたりでは、10月末から山の上から強い風が吹き下ろしてきて、店先に並べてある商品が吹き飛ばされてしまうほどだというのだ。
それは知らなかったな。
でも花隈は、三ノ宮よりもかなり西側で甲子園とは全く別の場所だ。反論にはなってない。
そもそも甲子園の北側に山はないからな。
世の中にはバカがたくさんいるものだ。
先日、神戸の友人の古本屋に出向いた際には、大量のCDを万引きして捕まった爺さん(75)の話を聞いた。
前から怪しいな、とめっこはつけていたそうで、なんでもいつも一枚だけCDを買うのだが、その後売り場を見てみたら大量に無くなっている。
その日は、くだんの要注意人物が来店して、やはりCDを一枚だけこうた。
時しもあれ、ちょうど店頭の平台にCDをパンパンに詰めた日だったのに、慌てて見てみたら10枚以上無くなっている。
「ほんでな、そいつが店出たのを確認してな、声かけて捕まえたんや」
「75の爺さんで、常習なんや。商店街の中やさかいなんぼもカメラあんのに、バカは、ほんまにどないしょうもない、委細かまわんと盗みよんねん」
「昔はどつきまわしてたんやけど、今はそういうわけにもいかんよって、警察呼んで引き渡して出禁にしたったわ」
CS放送のG+で、1973年10月10.11日の後楽園でのジャイアンツ戦のプレイバック放送があった。
半世紀前のテレビ映像だが、まだまだきれいに見ることのできるレベルのもので大したものだ。
2試合とも解説は村山実なんだが、素晴らしい大阪弁を除いては、くだらない自慢話と浪花節に終始して不快だった。
村山実はフォークボールを得意としていたが、それを古沢に教えたのだが「まだまだあれでね、フォークを投げる時はウデが真っ直ぐの時より少し高く上がるんですね。私がフォークを習得できたと思えたのは引退の3年前でしてからね」という。
村山が立派なピッチャーだったことはようわかっているわけで、自分であれこれ述べ立てる必要はないのにな。
11日の試合では2回までに7-0と大量リードを奪いながら、6回に上田が、なんか訳のわからない選手にライトスタンドにスリーランを放り込まれて逆転される。(でもタイガースは反撃して結局この試合は引き分ける)
この時の村山実の解説は「あれはもう打った選手を褒めるしかないですね。それ以上何もないです」
田淵幸一の配球は外角一辺倒で、それを狙い打たれたもので、本来は内角に何球かいっておくべきだったのだ。
後楽園などという狭すぎて、当てただけの打球がスタンドインしてしまう球場なんだから、球を散らしてタイミングをずらさないといけない。
アナウンサーが「降板した上田はベンチで泣いていたそうです」と伝えると、村山は「プロなんだから、打たれて泣くようではね、泣くのは勝った時やないとね」
プロ野球は興行なんだから、ショービジネスとして選手が喜怒哀楽をあらわにするのは結構なことだ。批判する意味がわからないな。
それにしても当時のタイガースはかっこよかった。
向こうの4番は王なんだが、華奢で神経質な感じで、打席でも念入りにフォームやら手の感触やらを確かめて、落ち着きもない。
タイガースは、田淵幸一、どっしりしていて、それでいて鋭いスイングでレフトにアーチを描く。
10月10日の試合では6回、2-5で負けていて、ノーアウト満塁のチャンスとなった。そこから2番と3番の遠井が三振してツーアウトとなった。
この三振は本当にあっという間のもので(2番バッターなどは3球三振だ)ピッチャーに球数を投げさせて疲れさせるとか、次の打者に球筋を教えるとか、そういう駆け引きは全くない。
もう雑魚はいいんだ、みんなブチを待ってるでしょう‼️わかってんねんから‼️という感じなのだ。
さて、田淵の登場となって、レフトスタンドに満塁ホームランなんだよなあ。
かっこいいよなあ。
タイガースの優勝と日本一は痛快極まりない事件で、当分その余韻に浸っていたいものだ。
俺は、9月あたまくらいまで、優勝するとは思っていなかったので、前半の試合はよく覚えていない。
「また間違いなく失速するだろうから、気合い入れて見ても仕方ない」と思っていた。
それで優勝、ニッポン一となった今日、振り返ろうにも記憶が曖昧で隔靴掻痒の感がある。
ところがよくしたもので、今CS放送で、ベストマッチの再放送があって実に素晴らしい。
4月1日の開幕2戦目の横浜戦では近本が、クローザーの山崎を打ち砕いて勝った。
クローザーを打つことなど滅多にないことだよなあ。特にタイガースにおいてはなあ。
12回の裏の攻撃はすでにツーアウト、そこから満塁のチャンスとなって近本に回ってきた。
山﨑は決め球のフォークがうまく決まらず、近本にはストレートで攻めていた。
150キロを優に越すストレートを少し振り遅れてファールになって、1-2と追い込まれた。
その次のストレートは見送られてボールとなったのだが、決め球のフォークは落差が今日は出ておらず、キャッチャーの坂本に弾き返されている。
その点ストレートなら、近本もさっき振り遅れているから、三振に取れる可能性が十分あると考えたのではなかろうか。
それで選択した150キロ台後半の外角のストレートなんだが、見事に狙い打たれて、センターオーバーのサヨナラヒットとなった。
人間の動体視力は150キロオーバーのストレートと140キロを越すフォークを目視で見極めることは不可能だ。
だから確率からしてストレートだとか、フォークだとか、予め配球を読んで対処するしかない。
近本の冷静な判断は大したものだ。
インタビューでは、タイムリーを打ってたあと、例の水かけでバッティンググローブが濡れてしまうのが嫌で、グローブを外しながら全力で外野まで走って逃げたと答えていた。
こんな緊迫した場面でも、グローブの心配までできるとは恐れ入るしかない。
大塚ひかりがポプラ新書から『やばい源氏物語』を出した。
来年の大河ドラマを当て込んで、源氏物語関連の本が簇出してやまないが、天下の碩学のこの本はやはり素晴らしい。
「源氏物語は、桐壺帝と桐壺更衣の関係によって、女を死に追いつめてしまうほどの男の愛の怖さを描き、六条御息所によって女の愛の怖さを描き、明石一族や浮舟の物語では、娘に一族繁栄の夢を託しながら、もしもそれが叶わぬ時は、海に飛び込んでしまえ、尼になってしまえと洗脳する親の愛の怖さを描いているとも言える」
なるほどね、大塚ひかりの面白さが凝縮したくだりだな。