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古本屋日誌
東アジア反日武装戦線の桐島聡が自ら名乗り出て、その後亡くなった。
三菱重工ビルの爆破をはじめ、さまざまな爆弾を使った事件を引き起こしていたのが、この組織であり、桐島は半世紀近く見事に逃げおおせていた。
わが国の公安警察は大したことがないとよくわかる事案だよなあ。
あれだけ交番やら駅やらに指名手配のポスターをベタベタ貼り続けて、逮捕できないんだからね。
ただ、弁護するならば三菱重工ビルなどの、たくさんの死者を出した事件の犯人は捕まえていたから、それには関わっていない桐島の捜査には身が入らなかったのかもしれない。
それにしても亡くなってから、身元を特定できでも、なんの意味もない。
反日武装戦線を扱ったルポとして松下竜一の『狼煙を見よ』が有名だ。
メンバーの大道寺らは、製造した大型の爆弾で当初は天皇の暗殺を狙っていたことが書いてある。
お召し列車が通る荒川鉄橋に爆弾を持ち込み、今か今かと列車を待ち受けていたが、待てど暮らせど、現れず、未遂に終わってしまう。
その爆弾が三菱重工で使われることになったのだ。
この作品は現代教養文庫に入っていたが、品切れで、数年前に単行本で再び刊行された。
桐島のことがニュースになって、読みたいと手に取る人も増えている。
ただ松下竜一のこの著作は、ノンフィクションとしての出来はよろしくない。
松下は反日武装戦線の思想にかぶれたのか、批判精神がなく、彼らの考えをそのまま書き記しているからだ。
三菱重工という会社は日本帝国主義の手先で、東アジアの無辜の大衆を収奪しているとか、本社ビルに出入りしているような人間に無罪なものはいない、などという硬直化した単純極まりない暴論にはあきれるばかりだ。
昨日、仕事で河原町三条に出向いたが、その折、河原町通を少し下がった大学堂が店を開けていた。
この古本屋はしばらく店を閉めていたのだ。
しかしそれは店売りの再開ではなく、河原町通の路肩にバンが止まり、屈強な4、5人の男たちが物憂げにダンボールに店の本を入れて運んで行っている。
やはり店じまいなのだ。大学堂は明治40年の創業と聞いたから、100年以上の歴史を持つ古本屋だ。
いつも帳場にいた婆さんは80くらいなのではなかろうか、ご多分にもれず、跡継ぎがいないため、体力の衰えとともに閉店してしまうのだ。
子どもは、日本の場合は、親の跡を継ぐのを嫌がり、東京に出たり、全く縁もゆかりもない業種に就職したりすることがままある。
子どもにしたら、親のやっている仕事は退屈で、面白くもないし、派手さや心躍らせる魅力もない、と考えるわけだ。
ごく一部、何年かして、出戻りのように帰ってきて、遅ればせながら跡を注ぐのもいるけど、古本業界はそれも少ないのかもしれない。
少し前には近くの京阪書房、平安堂も閉店して、京阪書房は更地、平安堂はモータープールになっている。
橘玲と安藤寿永の対談本『運は遺伝する』がNHK新書から出た。
行動遺伝学の知見から現代社会を読み解いたものだ。
双子の研究から、共有環境(双子が置かれている家庭環境のこと)が知能やさまざまな能力に及ぼす影響はほとんどないことは従来から言われてきた。
つまりどうしょうもない親であろうが、慈愛に満ちたそれであろうが子どもに及ぼす影響はないということで、この本でも詳細に述べられている。
これは、子どもがぐれたり、犯罪に走ったのは親のしつけがなっていなかったからだ、などと親が責められる風潮への警鐘として、意味のある知見だよなあ。
それはさておき、殺人をはじめとする凶悪犯罪を犯す人間は、遺伝子レベルで違うという知見も見つかっているという話は驚いた。
裁判が趣味のアメリカでは、すでに凶悪犯を弁護する材料として、被告の遺伝子にはそういう犯罪に結びつくものがあるとの医学的な証拠を裁判所に提出して、罪を免れようとした事例があるそうだ。
ただ、犯罪者を処罰するのは、国家の秩序を保つためというのが大原則としてある。
犯罪者が元々そうせざるを得ない遺伝的特性を備えていたからといって、凶事に走り、大衆に恐怖心を及ぼし安寧秩序を脅かしたことは、国家として許されることではない。
またイギリスなどで行われているような子どもへの性犯罪を犯したものの記録が長期にわたって、わかるようにする制度が、日本でも検討されている。
つまり、遺伝子レベルで犯罪に走りそうだと考えられる人間を予防的に拘禁して、社会から隔離すれば、結果的には犯罪も起こらないから市民は安全な社会生活を享受できるだろうという考えに結びつく。
ロシアのウクライナへの侵略戦争は2年を経過した。
戦争によって領土を確保したいなどという欲求は100年前のものであり、ロシア人は根本的にそういう愚かな連中だと考えるしかない。
ツァーリからレーニン、スターリンという独裁者を経て、現在のプーチンの独裁国家がある。
つまりロシアはこの何百年何一つ変わってないのだ。
独裁が好きであり、侵略が趣味であり、大衆も命をなんとも思わないという宇宙人みたいな連中なのだ。
レーニンやスターリンとかいうとんでもない独裁者のために、100万や200万ではきかない大衆が殺された。
ソルジェニーツィンの『収容所群島』で、そういう監獄のような国の姿が余す所なく描かれたし、スターリンの死後はフルシチョフによる独裁批判が行われて、ロシアの大衆もそのトンデモなさには辟易したろうと思っていた。
だからこそソ連は崩壊したのだろう。
しかし結局ロシア人はおんなじような独裁国家を選択したわけだから、呆れ果てるほかない。
ただ、この侵略で、ウクライナは3万くらいの死者が出たことを大統領が発表していて、ロシアの損害はよくわからないが、同じくらいなのではなかろうか。
そうだとしたら一年で15000人くらいの戦死ならロシアという独裁国家の大衆は耐えられるということだ。
ロシアの人口は1億4千万程度なので、年間の死亡者数は、日本とさして変わらない、年間180万人程度。
1.5万の戦死者は、全死亡者の0.8%程度でしかない、だから、大したことないという感じなんだろう。
それに金にあかして傭兵も使用しているわけだから、ロシア人の死者数はもっと少ないのだろう。
でも、レーニンやスターリンの時代の死者数は何百万とか1千万とかなわけだから、今のロシアは進歩はしているよなあ。
さすがにそこまでの戦死者が出る分には耐えられないわけだから。傭兵を入れるなどして、人的被害が少なくなるように工夫しているわけだ。
実はこういうのが歴史の進歩なのだと思う。
井上章一が中央公論社から新著『ヤマトタケルの日本史』を出した。
女装して敵を騙し討ちにする人物が、わが国ではヒーローとなる伝統を考察したものだ。
井上先生は先ごろあの工藤美代子との対談本を出されて、びっくりしたけどな。
何せ関東大震災のときの朝鮮人虐殺は、朝鮮人が皇太子を殺そうと企んでいたから起こったことなんだ、という本を出した人物が工藤美代子だ。
その根拠としているものは当時の新聞記事などにすぎず、到底首肯するわけにはいかない内容で、困ったものだ。
だからあの井上章一先生もおかしい連中に取り込まれてしまったのか、と俺は心配しているのだ。
それはさておき、この本にはヤマトタケルが、熊襲の川上タケルを倒した「古事記」の話を考察したところがあって興味深かった。
ヤマトタケルは女装して、川上タケルの御殿に行き、宴会でタケルに見そめられてそばに呼ばれて、体を弄られたとある。
それも短時間ではなく、夜が長けて、あたりが静まり返るまでの間だというわけだ。
井上章一はこの「古事記」の記述を解釈して、タケルは当然女装していて、美人に見えるけど完全に男だとわかっているのに、なおかつ愛撫をやめない。
それどころか、愛いやつと可愛がっている、だから男色の気がタケルにあったと解釈できるのではないか、少なくともその可能性があるというのだ。
また続けて「日本書紀」のヤマトタケルの話も考察している。
今度はタケルは1人ではなく兄弟となっているのだが、やはりヤマトタケルを気に入って、2人の真ん中に座らせるのだ。ヤマトタケルはまず1人の胸を隠し持った剣で突き刺し、さらに逃げる今1人を追いかけて尻の穴から剣を貫いた殺すわけだ。
井上章一はこれは日本の伝統的な男色(つまり、大人が子どもをおもちゃにするやつ)ではない。その反対だというのだ。
若くて美しいヤマトタケルの方が、歳を食って、オッサンのタケルを犯しているではないかというわけだ。
さて、こういう考察を経て、何を言おうとしているのかは、まだ読んでる途中で、わからない。