Welcome
古本屋日誌
「翔んで埼玉」とかテレビの
「秘密のケンミンSHOW」
なんかは地方差別を売りにしている。男女差別や部落差別なんかは許されないが、地方差別は構わないというのが今の日本だ。
殿山泰司もそれに便乗して全国47都道府県全てをおちょくってやろうとものしたのが「日本女地図」だ。
殿山がロケや取材で全国を回り、そこでオネンネした女から殿山なりの女の特徴を割り出す。
さらにそこから該当都道府県の女の一般的な特徴を示すのだ。
その上でなぜかかる特徴があるのかという誰もが知りたい理由までも示されるのだ。
もともと2、3人の女と寝たからといって、その県の特徴など導き出せるものでないことは誰も分かっている。
いわんやそこへ至る理由などわかるわけもない。
殿山は何もかもわかった上でおちょくっているわけだ。
例えば青森県の女について、殿山はあそこが実に臭いという。
さて、その所以なんだが、殿山泰司によれば青森は冬場とてつもなく寒い。
だから夜中手洗いに行きたくなってもはばかりまで行くのがあまりにも大変なのだ。
そこで青森の女は布団の横におまるを置いて、夜中催したらそれを使う、寒いものだから勢い後の処理もいい加減になって、これが臭気につながるというのだ。
これだけでもバカバカしいのだが、サービス精神旺盛な殿山はここで終わらない。
なんでも人間の大小便を精製したものは、臭いもなく、これを服用したら精力絶倫になる。
男はそれでいいのだが、逆にその男と交わった女のあそこは臭くなるのだという。
こういうどこまでもウソしかない話はいいよね。
毎年3月終わりあたりに三ノ宮のサンボーホールでやっている古本市は中止だそうだ。
もともと神戸市が補助金を出していたのだが、それが減額された上に、ホールの使用料も値上がりし、また当の古本屋も高齢化が進み「もうやめとくわ」と健康上の理由から辞退するようになり、当然古本屋一軒あたりの負担金額がのしかかってくるわけだ。
ここの古本市はいつも喫茶、軽食コーナーが併設してあって素晴らしかったな。
本棚が並んでいる一階のスペースから少し階段を上がったところにそれはあって、コーヒーをきこしめしながら、カレーをぱくつきながら会場をゆっくり見渡すこともできた。
俺は全ての古本屋に喫茶コーナーが欲しいと思っている。
コーヒーを手に本を選んだり、立ち読みや座り読みが出来たら本当に楽しい。
子ども相手に紙芝居や童話の読み聞かせをやっている古本市がある。
大人相手にもやってほしいものだ。だって細かい字を目で追うのもめんどくさいし、朗読の上手い人がゆったりと読んでくれたら、それこそ心に沁み渡るだろう。
喫茶が許認可関係で難しいとなっても、店の前や近くにキッチンカーでコーヒーやケーキを売りに来てくれればなんの問題もない。
ぜひこれからの店舗ではそうしたいものだ。
昨日は先日ようやく開館した中之島美術館に出向いた。
京阪の渡辺橋からすぐのところにある、全体が真っ黒の、カーバー神殿のような立方体のビルだ。
「超コレクション展、99のものがたり」と題された所蔵作品の展覧会で、2階から入って1500円支払い、エスカレーターで4階の展示室まで行くというスタイルだ。
かなり長大なエスカレーターで、梅田スカイビルや国立文楽劇場と同じスタイルで、日常から異空間に旅立つ心構えを固める時間となっている。
佐伯の絵や、閉館したサントリーミュージアムが持っていたポスターの展示など面白いものがたくそんあったか、やはり俺には鴨居玲の「街の音楽師」が印象的だった。
2メートルになろうかという長細い絵に、例の陰鬱で、人生の重みを感じさせる音楽師の姿が捉えられている。
一見して、その異様な迫力に打ちのめされる。
ごくそこらへんの普通の人の人生て実はかなり波瀾万丈なんだよなあ。
芸人とか作家とかいわゆる有名人の人生なんか、それに比べたら平凡そのものでつまらない。
そういうことは長く人間をやってたら、誰しも思うことなんだが、この絵にはそれを改めて感じさせる迫力がある。
「鴨居玲画集」は古本屋をしていても、まずお目にかかれない。
神戸大の木村幹がPHP新書から「誤解しないための日韓関係講義」を出した。
日本の一人当たりのGDPがすでに韓国に及ばないことは知っていたが、それは2015年からで、年々差が開いていることは知らなかったな。
もちろん台湾にも負けている。
例の強制連行訴訟で日本の企業に賠償を命じる判決が出たことへの報復として半導体関連の輸出規制を2019年に発動したが、韓国企業は打撃を受けるどころか業績をぐんぐん伸ばしていることもにも驚いたな。
しかしこの本のポイントはやはり韓国がずっと日本に謝罪や賠償を求め続ける姿勢の原因を分析しているところなのだ。
木村はこれを韓国人の「DNA」や民族的特性に求めようとする従来の見方を批判する。
その論拠は日本への批判が激烈になるのは1992年以降であり、それまでは友好関係が続いていたわけだから、民族性などに根拠を求めてしまうと、この変化の説明ができないというのだ。
木村はこれを日韓の経済関係に求める。
1990年ごろまでは日本と韓国の経済的な差は大きく、貿易にしても韓国は日本に依存していた。そのため、大衆の間には常に慰安婦問題や強制連行への怒りが渦巻いていたのだが、韓国の政治指導部がこれが噴出しないようにコントロールしていたというのだ。
ところがこの30年ばかりの間に韓国経済は長足の発展を遂げ、日本への依存などなくなり、経済大国となった。
もはや指導部としても大衆の怒りを抑える必要がなくなったから、ただ静観しているだけとなっている。
これがこの30年の日韓のいがみ合いの根底にあるというわけだ。
うーんあまり説得力のある主張ではないな。
木村も言う通り、韓国の人たちには一貫して植民地支配への大きな怒りがある。それはイギリスとインドなどその多くの植民地、フランスとリビアとかと比べても特異な現象だ。
それを韓国の経済発展と日本の地位の低下だけで説明するのはいかにも無理があるよなあ。
今日は実に冷える。
京都で仕入れ。途中BALビル地下のMARUZEN -ジュンク堂に出向いて西村賢太の本を見た。
角川文庫は「一私小説書きの日乗」や「どうで死ぬ身の一踊り」などを増刷している。
しかし講談社文庫や新潮文庫は品切れのまま、やはり角川文庫には少部数でも重版をかけるシステムがあってセコく儲けようという魂胆なのだろう。
三条河原町の「大学堂」にもレジ前に「京大 吉田寮通信」なるパンフが置いてある。
婆さんの話では
「若い人が『置いてくれ、置いてくれいいますんや』でもきょうびの若い子て個室欲しい、みんなで寄って生活するの嫌がりますよね」
そらそうだよ、昔みたいなプライバシーゼロ社会に俺は戻りたいとは全く思わない。
パンフの中身だが大学が耐震強度に欠けるとの理由で吉田寮から出て行くように迫り、現在京都地裁に提訴している。
学生としては寮のことは自分たちで決めたいのに大学が一方的に押し付けてくるのが気に入らないという話だ。
さてその寮費が月にたったの2500円という学寮で何をやっているかといえば
「研究に専念している人やだらだらしている人の他に、自作ゲームをプログラミングしている人、ピアノを演奏している人、野菜を栽培している人、チーズにカビを生えさせて食べ比べしている人、大量に料理を作って配っている人などがいます。」だそうだ。
要するに大半はいちびっているわけだよな。
京大はそういうバカの巣窟だから、認めてやって下さいよ、皆様方、お願いします〜という文面だ。
世間へのアピールとしてはいかにも弱いよな。
もっと底抜けのバカさ加減を示してもらいたいものだよ。
それはさておき、お客さんの話では
「西村賢太は芥川賞を取ってから、年収が億に迫るようになったよな。
「藤澤清造全集」全7巻なんかなんの問題もなく刊行できるのに、やらない。それはな『金を握ったらな、人のために使うのが惜しくなった』からなんや。
俺はそれは正直でええやつや思てんねん。
受賞する前の小説で、散々『金がない』とか『同棲してる女の実家から300万、印刷所に渡す金として引っ張った』とか書いてたわけやから、カッコつける人間やったらさっさと全集くらい出してしまうやろ。
それを賢太はやらへんねや、金が惜しい言うてな」