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古本屋日誌

2019-02-28 13:49:00

今朝は春雨がそぼ降り、やや肌寒い感じですが、氷雨ではないわけで濡れて行こうかとは思わないものの、不快ではありません。

このところよう思うのは1970年代の大阪市の小学校の学校格差のことです。児童の学力差とかいうことではなく、学校施設の違いです。私は大阪市の住吉区に生まれて当初清水ヶ丘小学校に通っていましたが、鉄筋の三階建ての校舎が広いグランドを囲むように立っていて、講堂もプールの横にあってしっかりした建築でした。トイレもきちんと男女別になっていて今と取り立てて違いはない感じでした。

ところが四年生からは安立小学校に転校となり、驚いたのはまずトイレで男女共用で、向かって右側に男用の小用があるんですが、間仕切りも何もなく一段高いところに上がると、目の前にはタイル貼りの壁がそびえそこめがけて用をたすんです。後で水を流すなどということはありませんから非常に臭い。こういうトイレは実は甲子園球場には長らく残っていて、2003年の優勝を目前にした三塁側アルプスの場外トイレはそれで、一応タイルの壁に真横に水道のパイプが通してあって水は流れるようにはなってはいましたがね。

女子便は左手にあって一応木の扉で個室風になっていました。私は子供ながらに「なんでばばだけはあんな臭い部屋ん中ですんねやろ、おなごはいつも部屋に入ってご苦労なこっちゃな」と思っていました。というのも汲み取りなもんだから臭気がこもって大変だったからです。このはばかりさんのすぐ隣に4年の教室棟があって木造で一階が講堂になっていました。二階が教室で真ん中に木を張り合わせたベコベコいう廊下があって両側に教室が並んでいてやかましいことこの上ない。さらに教室棟の横にはニワトリ小屋、ウサギ小屋があり、児童が当番で世話をするのだが、まあいい加減な手抜きの掃除だから汚い、臭い、おまけに鍵をかけ忘れたりするもんだから、夜中にイタチが侵入してニワトリを食い殺してしまい朝来たら死骸が転がっていたことがありました。

低学年はあんまりいい環境に置かないという価値観があったような気がしますね。なんせ5年や6年はプールの横の鉄筋の校舎がわり当ててありましたし、給食の調理棟もほど近かったからです。低学年をないがしろにするのは実は安立小学校だけではなく、清水ヶ丘小学校でも同じで、6年の教室の掃除は1年がやっていました。まあ先輩、後輩の関係からしたら当然とも言えます。ただバカな1年に掃除の仕方を教える方が面倒だったろうなとは思います。

それにしても安立小学校と清水ヶ丘小学校の格差はどこから生じたものなのか、未だに不思議です。明治のご時世なら小学校の建築費はそこに通う父兄が出資するといえこともあって、金持ちがたくさんいた船場のなどはエスカレーターが設置されていたり、遊戯室があったりとなかなかのものだったようですが、すでに戦後30年をけみしようかという時代ですからね。


2019-02-27 13:11:00

小倉紀蔵のちくま新書「京都思想逍遥」の帯に「『京都ぎらい』に書かれていない奥深い京都」とあり、京都を贔屓する姿勢が鼻につくものの、購入して一読しました。
井上章一は中京の人間は洛外のものを差別しているとの視点を出したわけだが、小倉紀蔵は「井上章一の本には書いていないことが多すぎる」と批判する。
確かに祇園祭の町衆を務めている人間は洛外の人を下に見ることは間違いなくあるが、逆の上に向かう視点があるのだという。
祇園祭にせよ、町屋建築にせよそのたぐいのものは所詮は町人の文化であって、たかだか商売人に過ぎない町屋建築が京都の代表であるように取り上げられている現状こそ「上に向かう姿勢」がある証拠だというのだ。町人風情なのに、虎視眈々と京都の実権を貴族や権力者から奪い取ろうと思っていて、現にそれを成し遂げたという。
つまりこれは京都人は下を蔑視する姿勢を持つとともに「下剋上」をもたくらんでいるという話ですね。もっと上と下に広がる奥深い京都を見ないといけないという。
確かに小倉紀蔵のいうことはわからなくはないが、祇園祭やら町屋建築を上回る文化的遺産をあまり持っていないのではないかという疑問はある。京都市内は戦災はまぬがれたはものの、度重なる火災やら金儲けのことしか考えないバカが跋扈するせいで大して古い建物なんかない。観光都市の戦略として勢い、町屋建築などを売りにするしかないのは理の当然ではなかろうか。今の京都はつまりは伝統的を破壊して偽造して世間を欺くのが上手いわけですよ。祇王寺やら高台寺付近の街並みを偽造したり、下鴨神社周辺の街並みなんかにもいかにも歴史があるように、バカを騙すのに長けているわけです。ちょうど現在の天皇制が適当に明治以降に作成されてあたかも昔からそうであるかのように語られるのと同じ構造です。そんなもんありがたがっていいわけがない。


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2019-02-26 15:15:00

今朝もよう晴れていました風も薫風で優しく気温はぐんぐん上がっています。

お客さんのところにうかがっていろいろ本を見せてもらうんですが、「ハードカバーはええのあるやろー文庫はもう適当でええから全部持って行ってや」とおっしゃる方がおられます。これはかなりありがたいお話で単行本は私にはどちらかというと扱いづらく、文庫本のほうが売りやすいからです。基本書、概説書を始め様々な専門書は確実に需要はあるのだが、それを求める方と出会うのが難しく、結局無駄に在庫を抱えることになってしまう。

一方古くから大きなお店を構えた立派なお商売をなさっている古本屋は専門書や文庫本もたくさん売ってくれるお客さんに恵まれている上に、需給ミスマッチなどはどこ吹く風、「あの店やったらこの本持ってるやろ」とわざわざ買いに来てくれるお客さんにも恵まれています。

店内には岩波文庫、ちくま文庫、講談社学術文庫の3種類だけが並んでいて、あとわずかなスペースに澁澤龍彦の河出文庫とかサンリオSF文庫が申し訳程度にある。店頭の均一台に講談社+α文庫の「地獄の辞典」とか講談社文庫の「村岡伊平治自伝」とか松下竜一の「豆腐屋の四季」や「ルイズ」、文春文庫の高井有一の「北の河」新潮文庫の「桜画報大全」徳間文庫の野末陳平の「姓名判断」やら単行本は「これが地震雲だ」とか新書の西部邁の人生相談が無造作に並んでいる。

うーん、そういうものなのか、まあこれは一流大学の学問の位置付けをそのまま反映してるわけです。よくゆうたらアカデミズムの矜持であり、「栄華の巷低く見て」の世界です。これはこれで立派なものだから私は否定しない。


2019-02-25 12:08:00

今朝は春本番を思わせる陽気で雲ひとつない青空が広がり気温も高く風もありません。

先日NHKの再放送で「暴走する原発に突入せよ」というドキュメンタリーをやっていた。福島第1原発3号機が空焚きとなり炉内の水位も計器が信用できずわからない状態で、どうしたら効率的に注水できるかを探るためにどうしても3号機の中央制御下に入って40からある水位計を一つ一つチェックして信頼できる機器を探し当て、それを元に建屋に入って水位を確認する必要が出てきた。

中央制御室にしても建屋にしても放射能の数値はものすごいわけで、ここへ短時間とはいえ入って作業するとなるとみな二の足を踏みますよね。結局孫請けの「信和工業」の社員5人が「どうしてもやらなければならない」と覚悟を決め任務を果たしたとの話だった。5人には放射線量を測る計器も一台しかなく、安全を担保できるノウハウも用意されていなければ手順も何もないわけです。これと合わせて4号機の上に蓄えられてあった使用済み燃料プールを冷やすために注水するように要請されたはいいものの、手順やリスクマネジメントが全く用意されていなかった話も収録されていた。所長の吉田は東京電力の本店に「冷やせと言われてもどうやったら危険が生じて爆発するのかとか何一つ用意できてないやないか‼️ええ加減にせーよ」と激高していた。

東京電力の社員には計器を正確に読み取れる能力もなければ生死を分ける現場にあえて行こうという精神力も欠如していたわけですが、まあ戦後の日本は危機は全てアメリカに丸投げして「戦争はない、しない」とか「原発は安全です、事故なんかない」とわけのわからない妄想を逞しくしていたわけですから、東京電力を責められるわけありません。


2019-02-24 10:34:00

テレビ局がどこもかしこも町歩き番組を持っていてタレントがお店を訪ねてあれこれ話を聞くのだが、悪く言えば出演料なしでそれなりの視聴率を稼ぐ番組が簡単に作れて、芸なし、能なしのタレントにも仕事が割り振られるということになる。
知り合いの古本屋の話ではNHKのお昼にやっている「ぐるっと関西」という番組では原田伸郎が街歩きを担当していて、カメラマンやリポーターその他4、5人で、何の事前連絡もなくそれこそ「ふらっと」入ってきて「ぐるっと関西の原田伸郎なんですが、取材さしてもうてもよろしいですか?」となるんだそうだ。
同じ時間帯の関テレの「よ~いドン」でも「となりの人間国宝さん」という街歩き企画をやっているが、ここは事前にオファーがあって「今度の月曜日の午前中にうかごうてもよろしやろか?」と聞いてくるのだそうだ。いずれにせよこういう企画で客が増加することはあまりなく、「食いもん屋の紹介やったら紹介があって三ヶ月くらいはかなり客足が伸びるそうやけど古本屋はそれはないな」とのことだ。

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