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古本屋日誌

2022-05-31 12:20:00

角川文庫から西村賢太の「一私小説書きの日乗」が2冊出ている。

 

一冊目は芥川賞の翌年、2012年のものだ。

 

その7月10日のは古本屋が参加できる「明治古典会」に西村賢太も加わり、首尾よく、藤澤清造の自筆原稿3点を落札できた話だ。

 

短編小説小説を含むものだが、3点で総額404万3100円だとある。

 

こんなにするのか❗️と驚くばかりの金額だよなあ。

 

しかしさらにびっくりするのは9月18日だ。

 

両国の小劇場で近代の一作家につき一戯曲を上演するシリーズがあるとのことで、藤澤清造が取り上げられる。

 

「しかしポスターやチラシ、半券ではない完全な状態でのチケット等の品は、清造に関するものである限り、どうでも収集せねばならぬので、一昨日の公演時に、前売り券を二十枚購めておいた。

 

一応、二回は観るつもりだが、残りの十八枚分は、傍目からみれば、ドブに金を捨てるようなものであろう。

 

しかしこれは、自分の清造のみへの義理立てと、歿後弟子たる者の義務としてのことだから、どうにも致し方がない」

 

きれいなチケットが欲しいのはわかるけど二十枚❗️

 

なんかぐだぐだ説明してるけど、わからないよなあ。


2022-05-30 16:02:00

先週の木曜は甲子園に出向いてイーグルス戦を見た。

 

例によって役立たずの打線は一点も取れずに負けてしまった。

 

なんでも5月は防御率は一点台なんだそうだが、それでもずいぶんと負け越してるんだからタイガースはとんでもないチームだ。

 

大山にせよ、糸原や高山にせよ、何年もチームにいるにもかかわらす、相変わらずあの程度の成績しか残せないわけだから、そもそもプロを舐めているとしか思えない。

 

優勝させるのはごく簡単なことだ。きちんとした4番がいて、投手陣もしっかりしていれば必ず優勝できる。

 

4番がいないなら10億でも20億でも積んで獲得すればいいだけだ。

 

それだけのことだ。

 

しかしタイガースはプロの水準に達していない連中をいつまでも雇用し続ける球団なのだ。

 

これはタイガースが負け続けても、甲子園にはそれなりの客が入ることがその一因ではある。(もっとも木曜のイーグルス戦はイーグルスが首位であるにもかかわらずガラガラだった)

 

 

これはファンが甘やかしているとの指摘もあるが、弱いチームを応援するのが好きだという変態的な性癖があるせいでもあるのだ。

 

 

子どもは強いものに憧れるから小学生の間はジャイアンツだとかカープやホークスファンなのだ。

 

だが、次第に「有り余る戦略で余裕を持って戦うなどというのは、大人ではないのだ。そんな、結果が勝つとわかっているチームを応援していい気分になるなどというのは、女子供のする幼稚な精神の表れだ」などと訳のわからない理屈を言うようになってしまうのだ。

 

 

その変態的なファンによりかかって、まともな補強もしないこの球団は優勝など目指してはいないということだ。


2022-05-29 12:05:00

西村賢太の新刊「雨滴は続く」を読み終えた。

 

38歳で芥川賞候補になった通知を受け取る(実際の受賞は44歳)ところで未完のままとなっている。

 

西村が急に死んでしまったため、おそらく単行本化の際には十分に手を入れるであろう箇所が放置されていて、肩透かしを食らったような感が否めない。

 

特に藤沢清造の菩提寺のある七尾で、法要の取材に来た地元新聞の新人女記者に入れ上げて、なんとかデートにこぎつけようとするシーンはもったいない。

 

 

主人公の貫多は小説家志望の新人記者の気を引こうと、自身の短編小説やエッセーが載っている文芸雑誌を、いそいそと速達で女の元に送りつけて、相手からの返事に一喜一憂するのだ。

 

これはこれで面白いのだが、やがて貫多が意を決して女に好意あることを打ち明ける手紙を書くシーンがあるのだ。

 

 

その手紙の内容は、あからさまには好意を抱いているとは書いてはいないけれども、小説家志望の女が読めば十分にその意あるところがわかる文面だということになっている。

 

しかし肝心の手紙の文章は一切掲載してないし、また相手からの返事の文面もほとんど載っていない。

 

これはラブレターの書き方を、高名な芥川賞作家から教わろうと目論んでいる俺には隔靴掻痒だなあ。

 

単行本にするときは間違いなく、推敲に推敲を重ねた文面を拝めるはずだったのだろうけれど、今となっては望むべくもない。

 


2022-05-28 11:35:00

今週の月曜日から左足の太ももの外側が痛い。

 

膝のちょうど横あたりなんだが、1日に数回刺されたような痛みが断続的に数秒続く。

 

数年前からときおりあったのだが、今回はかなりひどい。

 

去年の春先に萱島駅側の「染野クリニック」という整形外科を受診して、全身を台上に横たえると、上に下にと台が移動していろんな角度からレントゲンが撮れる装置を使い診断してもらったことがあった。

 

「骨は異常ないし、背骨なんかも少し前屈みになってるけど問題ないな。神経がゴニョゴニョなってるんやろな」との診断でビタミン剤を処方してもらった。

 

今回も染野クリニックを受診して「とりあえずビタミン剤を、10日分出しとくよって様子見てな」となった。

 

痛みは水曜日、木曜日あたりがきつくて10分おきくらいに違和感が現れて、その直後刺すような痛みが断続的に数秒続く。

 

実は中二の時に体育の授業で女子が見ているからと張り切ってかなり助走をとって倒立前転してことがあった。

 

単に逆立ちをしてから前回りするだけのたわいない運動なんだが、無闇に20〜30メートルも走って逆立ちしようとしたもんだから、勢いよくマットに叩きつけられただけで、右足の弁慶の泣き所の骨を2箇所折った。

 

そのまましばらく入院したんだが、その時から左足の太ももには感覚の異常が起こった。

 

特に痛みはないんだが手で触ると他の皮膚とは明らかに違う感覚があるのだ。

 

 

やはりこの怪我の際に神経が少しずれるか何かしていたようで、それが老化とともに悪化しているようなのだ。

 

 

女の目を気にして若気のいたりとはよくあることだが、それが何十年もしてからまたゾロたたってくるとは情けない。

 


2022-05-27 19:07:00

文藝春秋から先日出た西村賢太の「雨滴は続く」を読んでいる。

 

昨日は甲子園に出かけて、面白くもないイーグルス戦を見ながら、ときおり雨脚も強くなる中読んでいた。

 

内容は北町貫多が同人誌に出した小説が、雑誌「文學界」の同人誌評に取り上げられて、その縁で短編の依頼が来たことに始まり、最終的には芥川賞候補となって落選するまでを書いているようだ。

 

まだ半分しか読んでないので「ようだ」としか書けない。

 

なかなか面白いのが振られた女をみそくそに貶すところだ。

 

例の七尾にある藤澤清造の菩提寺での法要を取材に来た地元新聞の若い女の記者に惚れて色々アタックするも思わしくない首尾になってしまう。

 

さて、そのフラれた女の描写は次の通りだ。 

 

「精々がそこいらの書店員レベルの、良くいえば普遍的、普通に云えば至って凡庸な読書センスしか持ち合わせないくせに、何かいっぱしの文学通気取りでもって、自らも当たり前にそれなりの小説を書けると思い込んでいるような、あんなお目出度い頭の糞女」

いやあ、こじらしてますなあ。

 

 


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