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古本屋日誌

2018-08-31 10:59:00

このところ倉庫で本の整理や運び出しをしていると汗が滴り落ちてくるんですが、あんまり暑い感覚ではないのにそんなに大げさに来るのかあーと不思議です。本に汗をかけてはいけないのでタオルでぬぐうんですが、体が暑さに過剰に反応しているようでシャツがぐしゃぐしゃになるまで水滴を滴らさんかてええやろうに。

今年の1月から3月までの府県別の外国人観光客の訪問率は大阪が39パーセントでトップ、以下東京が37、千葉が29、京都が26となっていて、大阪の魅力が客観的に裏付けられている。大川から桜ノ宮あたりを周遊するクルーズは船からたくさんの緑に埋もれるように立ち並ぶ中央公会堂や東洋陶磁美術館、図書館、市役所、新ダイビル、三井住友銀行本店、中之島西部のクリスタルビル群などの景色を楽しむことが可能で幻想的でなかなかないよ。大阪に緑が少ないことなど忘れてしまいそうでなかなか経験できないことです。夕陽丘、下寺町に櫛比するお寺もなかなかなものでここも見ておかないと損します。


2018-08-30 12:11:00

このところかなり暑い。高気圧の勢力が強いからだそうだが、まるで7月に逆戻りしたみたいで人生はリバースできないが、自然はいくらでもそうできて羨ましい限りだ。

ネット社会となりつまりは私もそうなんだが店舗を特に構えなくても商売ができるようになり、拠点を都市部に設ける必要はなくなり、田舎でもいいし、南極でも北極でもポツンと一軒家でも何の問題もないどころかそっちの方が固定費がかからないのでむしろ好都合だ。本の検索も以前は出版社に在庫の残りを丹念に尋ねるとか、古本屋を足を棒にして回るなどという非効率的な作業を強いられたが、今はネット検索で大概の本はたちどころに探し当てることが可能となり非常に便利だ。あとは買うかどうか判断で、立ち読みなどが必要だがこれも図書館に出向くとかあるいは国会図書館のアーカイブスの整備に伴って改善が期待できる。とすれば骨董品のような価値のある本は相変わらずあり続けるだろう。藤澤桓夫の「大阪の話」なんかカバーも箱も今の書籍には及びもつかない質感を持っていて立体的なカバーでもあり、小説の内容は関係なく見ているだけで楽しい。こういったものは残るだろう。しかしそれ以外の普通の古本、まあ私が大好きなほんのことなんですが、これは一応値段はつけてますが、在庫はいくらでもあって瞬時に買うこともできますから、いわば巨大な図書館を我々一人一人が持っているのと同じです。欲しい時読みたい時に借りにいったらええわけで、多少の貸し出し手数料はかかるが、考えて見たら図書館でレンタルする場合は金はかからないように一見みえるが、其の実交通費はかかるし、行くまでに時間も要るし、その手間を考えたら買うのと大して変わらない。人気の小説など待ちの整理券番号が240番などということも起こる。何より古本の場合は一読したらもう用は基本的にはないから、売却して利益をだすこともできます。そこまで考えれば古本の値段は非常に安いものとなります。

だから今後は古本の値段はますます下がり続けるだろうし、そうであるがゆえに客を取り込む力も侮りがたいと考えています。ちゃんとした本を読んだ経験のある人なら「この素晴らしい本がこんなに安うで手に入るのか⁉️」は大層な魅力ですからね。


2018-08-29 01:00:00

「週刊ポスト」の最新号にイギリスの「エコノミスト」誌の世界140都市の住みやすい都市ランキングで大阪は3位にランクインしているという記事が載っている。トップはウィーンで2位がメルボルンそれと僅差の3位が大阪で安定性、医療、文化と環境、教育、インフラの全てで高い評価を得たそうだ。住居費が東京に比べて安いし、通勤時間も短くて済むし、何より京都、奈良、和歌山、神戸、滋賀いずれに出るのも短時間で済む上にこれら周辺の市町村は観光都市として非常にレベルが高く、東京の及ぶところでないことは明白で当然の結果だろう。文化財も別に奈良や京都までいかいでも住吉っさんの国宝建築、おもかる石、五大力、桜畠の神宮寺跡、神仏混淆が残る寺なのか神社なのかという建物、神功皇后遺跡、住吉公園の芭蕉石碑、長慶天皇御所、帝塚山古墳、万代池、帝塚山の蔵、プールサイドの小景のプール、紀州街道の古民家など住吉の一区画だけでもいくらでもいいところはあり、大衆はバカだからイメージに踊らされて知ろうともしないだけで、外人の目には偏見はないからちゃんと結果が出ているわけだ。そもそも阪急京都線て田舎の私鉄でしかない、複線でしかないし、地上に敷設しているから踏切も多く、普通電車の待機時間も近鉄ほどではないが長い。それに比べたらはるかに京阪電車は近代化されていて長大な複々線の高架線路で整備されていて、非常に快適だ。普通電車の待機時間も短く、イライラすることもない。しかし世間的にはそうは見られていないわけで、いったいどこに目をつけているのだろうか。


2018-08-28 13:25:00

昨日はさくらももこが亡くなった知らせがあり、まだ若いのに、あれほどの才能がありながらと残念だ。とくに漫画エッセイの「ひとりずもう」なんかは繊細な思春期の心の揺れが描きこんであって楽しい作品だ。

向田邦子の時も山川方夫、瀬戸川猛資や谷岡ヤスジ、手塚治虫、畑中純、土田世紀、たかもちげんの時もそう思ったが、天才は手抜きをしないからのめり込み方も我々とは違う非常識なレベルに達してしまうのではないか、ゆえに身体を責め苛んで命を削ることになるのではないか。まあくだらない地上なんかにおらんとさっさと天界に戻って来なさいとの天の計らいなんだろうけれどできれば計らって欲しくはなかった。

以前小林まことが自身デビューした1980年ごろの青年誌(講談社)の連載体制を振り返って「休載する発想が作者にも編集者にもなく、毎週締め切り前は3日くらいは完徹で、息抜きは手洗いに行って小窓から外の風景を眺める一瞬くらいしかなかった。そのため筆を折って故郷に帰ってしまったマンガ家や自殺してしまった同僚もいて、今でもその当時の編集長とかにはいい思いはない」という。こばは幸い恵まれた体力と健康を持ち合わせていたので今に至るまで素晴らしい作品を描いてくれているが、ひょっとガラスの身体だったら我々は長谷川伸のシリーズとかを拝むことはできなかったんだろうなあとか考えると、このところは雑誌の連載のサイクルも随分余裕があり、しばらく休載したり、隔週連載もありで、よくなった。このように周りのものが作家の手綱緩めてペース配分を決めてやらないといけない。


2018-08-27 11:38:00

8月16日の朝日新聞の三面に終戦特集の連載で忘れられた戦争という企画で朝鮮戦争に日本人が参戦しているというやつで例の掃海艇で魚雷などの捜索にあたって戦死者が出たというやつに加えて、陸軍の枚方製造所を払い下げられた小松製作所が1952年からしばらく米軍向けの砲弾などをフル生産して当時の金額で160億円の売り上げがあり元従業員の話として「このことはゆうたらあかんゆわれてましたんや」とのことだ。ほんまかいな。小松が砲弾や戦車を大量に作り戦場に送っていたことは誰もが知っていることで、そもそも引き込み線を使い片町線まで運んでいたし、戦車はむき出しのまま輸送していたから焼け跡の大阪の街を戦車が下関まで運ばれていく様子は多くの人が目撃していた。箝口令とか言われてもおいそれとは信じられないな。真偽のほどを朝日新聞は調査してもらいたいものだ。

だから朝日新聞もそういうわかりきったことをまた記事にするのではなく、小松に払い下げられる経緯とかは知りたいところだ。だいたい軍事工場の生産管理システムなどそう簡単に右から左に受け継ぐことはできない。だから小松が払い下げを受けたとなってるいるのは講和が発効して日本は軍隊を持てなくなったからとか、戦力の保持ができなくなったからとかいう書面上の理由があっただけだ。つまり小松は名前を貸しているだけの隠れ蓑で小松製作所とはいうものの、実は帝国陸軍枚方製造所であったということだ。

また45年の敗戦から52年までの軍事工場の管理体制がどうだったのかを知りたいところだ。7年もほったらかしにしておいたら施設は使い物にならないのだから、陸軍かGHQか小松かいずれかが次の戦争に備えて整備して、というより砲弾や戦車を作り続けていたはずだと思うのだがな。帝国陸軍は無傷の枚方製造所で最新の砲弾や戦車を作り、来るべき戦争に備えていたとしたら、なかなか先見の明があるし、そもそも終戦だという意識はなかっただろう。


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