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古本屋日誌

2017-11-30 13:17:00

今日も雨のあとなのになぜかぬくといです。先日お客さんから畑正憲の角川文庫「われら動物みな兄弟」などをお譲り頂きました。畑正憲はムツゴロウですが、このところ子供にも知名度が低下してます。それはこの本のかなりアナクロな内容によるのかもしれない。彼が東大理学部にいたときの夏休み中の合宿の話が載っていて朝も早うから実験、観察がつづき、終わったら直ちにレポートにまとめて教授に見せる、合格やったらいいのだが、あかん場合は夜の11時くらいから実験のやり直しとなり次の朝はまた7時くらいから新たな実験となるので、やり直しの学生は寝る時間もなくなり、睡眠不足で朦朧となり塩酸の瓶を口に流しこもうとして、教授に突き飛ばされるという話なんですが、今でもこうなんでしょうかね?確かにこれぐらいは東大なんだし、日本の将来を担う学生なんだから当然でしょうけど今のお子さんに通用するのかは疑問です。それにしても畑正憲は学研映画に就職して、教材用の優れた映像を作るのだがそれで満足だったのかはよくわからない。死ぬ思いまでして研究したがあんまりそれを生かすことのできない職場とも思える。東大や京大には学部を卒業していきなり助手になる制度があり、優秀な人材が企業に取られるのを防ぐためだそうだが、本当に優秀なのかわからない。坪内祐三は「唾棄すべき制度だ」と激しく週刊文春の連載で罵っていたが、まあ文系の学問は師弟関係がややこしくてお流儀にあううい奴を採用するケースもあるだろう。

今は神戸大学の教授になり先だって中公新書から「本居宣長」を上梓した田中康二は神戸大の院生時代の話で「こないだ教授に呼ばれたんやけど、おれはもう修士の二回なんやけど、お前は院生10人の中で何番目くらいな思う?それで正直に5番目くらいですかね、ゆうたら教授はそうや5番目や、博士課程には3人しかとらへんからそのつもりでおってくれとゆうんや」

まあこれはかなり考えたらひどい話で3人しか博士に上げへんのやったら大学院にあげるときにその旨ゆうとけよとなりますよね。

 

 

 


2017-11-29 00:06:00

昨日はものすごく暑くて、カーデガン着てましたが首筋は汗で濡れました。JRの南田辺駅の近くにムラタ書店という古本屋があって(今はもうないんですが)そこは古い新聞なんかも置いていて大正や昭和初めの大阪朝日新聞なんかをようこうてました。店主がゆうには「あのなあ、大阪城の極楽橋越したとこに青屋門てあるやろ。あれは青屋要するに八百屋があっからゆうてるのがおるけど、そんなわけないやろ。本丸になんで八百屋があるんや。あれはな死んだやつを例の極楽橋から運んできたからゆうんや」。

なるほど、青屋門を通る人はみな死体だから顔色も青いよね、ということなんでしょうな。あるいは宇治拾遺物語とかにあるように霊は青い姿をしているという伝承がずっとあったから、顔とかが青いではなくて霊であることを示すカラーを使ったのかもしれない。ということは青屋門は霊体の門みたいなネーミングですな。元々が本願寺だからちゃんとした宗教団体であるわけで死ぬことは特別恐ることやないんやという価値観があったその現れでしょうかね。ここを併吞した信長、秀吉もその勇猛果敢を讃えて、霊に報いるために地名を残した、これは内藤湖南がだいぶ前にゆうてたことですね。


2017-11-28 01:42:00

昨日は雨の後なのになぜかぬくかった、仕事でもかなり汗をかきました。小さい頃は大阪の大人は「汗したなあ」とゆうてました。「地震ゆったなあ」は今でも言いますがなぜか汗するはゆわんようになった。先日お客さんから司馬遼太郎の「城塞」などをお譲り頂きました。この本には私は前から大きな不満を抱いていてつまりは秀頼は腰抜けで情けないとのイメージを全国に蔓延させた張本人だということです。まず5月7日の落城の日でさえ城内から出なかったとか、果てにはおめおめと生き残って翌日山里曲輪の蔵にこもってなおも生に執着してそれをらあざ笑うかのように家康は「助けてやれよ」といやいくら何でもとのバカバカしいやり取りがあり、あげく蔵に銃弾が発射されてそれを合図に煙が立ち上ったとかいうわけですよ。司馬遼太郎自身もすでに城が落ち、全ての決着がついたのになお生き残るとは理解に苦しむとまで書いてるわけです。こんなことを読まされたら誰でも秀頼は情けないやつだとなるでしょうよ。その上司馬はこの戦いの戦死者数について日露戦争までの全ての戦争をはるかに上回っていると書くわけで、秀頼はそこまで迷惑をかけておいて潔さがないとなるわけです。

だいたい秀頼の最期についてはいろいろ記録も分かれているし、江戸時代には山里曲輪なんかでなく天守閣のすぐ横で果てたと信じられてもいて、当然司馬は知っていたわけなのに、このように書くのは豊臣家に含むところがあったのかと思いたくもなります。

だいたい侍同士の魂のやりとりなんだから、合理的にここで手を打つとかはないわけだから、最期も美しく決めるに決まってるわけで、徳川の方はそれが嫌で秀頼は情けない説を流すに決まってる。「昭和極道史」こそが大坂夏の陣なんだから、それを書かないとなにも見てないことになるのではないか。


2017-11-27 01:47:00

先日阪急六甲のお客さんから平凡社が出している「ヒューマン」という雑誌などをお譲り頂きました。その8号を見てましたら日本の東西比較の特集で井上章一先生が対談で戦後大阪の企業の多くが本社機能を東京に移したことに触れて「60年代は東京では大阪弁は威張っている話し方だと受け取られていた、なんでかというと上司がみんな大阪弁だから」とありました。なるほどね今の大阪弁は正当でないとか、お笑いだとか、金にうるさいやつの話し方だとか、マイナスの価値を付与されて簡単に言えば差別されているわけです。しかし時代とともに方言のとらえかたもかわる、当たり前ですが教えられました。今は子供が全然読まなくなってしまった「巨人の星」の花形満は花形モータースの御曹司で中坊の分際でスポーツカーを乗り回してもちろんイケメンでちょっといきってるけどかっこいいやつでしたね。彼は当然のことながらタイガースに入団するわけで、対する星飛雄馬はまあいけてないし、泥臭い異常な努力をしてジャイアンツに入るわけで、当時のとらえ方の反映でタイガースは洗練されているイメージがあったわけです。


2017-11-26 01:00:00

寒くなりました。先日お客さんから講談社学術文庫の「竹取物語」などをお譲り頂きました。この話なんですが、前から気になっていることがあって竹取の翁がかぐや姫にむこてええかげんに結婚せえや⁉️と迫るシーンで「一人一人に逢いたまへ」と言うのですがこの現代語訳が「誰か一人と結婚しなさい」なんです。今の感覚では「一人一人」は満遍なくどの人にもですよね、だのになぜか一人だけだと言うのです。まあこれはかぐや姫が全員とやろうとしてるのではなかろうかと邪推した翁が「姫、一人やで、一人だけやで」と強調してるのかもしれない。でもそれなら表記は「一人、一人」と読点をつけてもらいたいところなんだけどなあ。

呉智英先生の言葉シリーズで電話の「もしもし」はなぜ二回繰り返すのかと言う話があって人間だけが同じことを繰り返し話すことができて妖怪などはできない、つまり同じことを繰り返して発音できるのは人間の証だというのがあった。そうなのか、確かにチョウチョとかせみせみとかブンブンとか虫は二回ゆうやつがいますね。しかしアリは一回だし、カ、ガ、バッタ、ハエ、ミミズとか大半は一回ですな。これも呉先生の本にあったことですが「蝶の民俗学」によればとして古代人は死者の魂は実は蝶になるとして警戒していて万葉の時代にもいくらでも野山に飛翔していた蝶に日本語の名前を付けずいわば符牒のように音読みすなわち中国語でどうしてもそれを指し示さなければならない時だけ呼んだいたということだ。ということはひょっとして、蝉とかブンブンも死者の魂と思われていたのではないか⁉️蝉は音読みは「セン」とか「ゼン」のようで、これも高島俊男先生によると元々日本語には撥音はなく中国語からの輸入で例の「和同開珎」も「わどうかいちん」とは当初発音せず「わどうかいてぃにぃ」のような発音だったそうですから音読みの「セン」も「セニィ」のようだったのではないか。さすれば「セニィセニィ」でなんとなくなまって「せみせみ」になりそうです。


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