Welcome
古本屋日誌
今日もかなり寒い、三つになるメスの黒猫が夜中帰宅したら戸を開けたすきにサッと走り出てコンクリートの地面でゴロゴロしてました、寒いのにバカではないのか?先日お客さんから俵万智の著作「かすみ草のおねえさん」などをお譲り頂きました。俵万智は高校の国語の先生だったが自分の才能に自信があり東京に出向いて角川書店を訪ねて歌稿を見せたが、取り合ってもらえず、その足で河出書房に向かってここで絶賛を浴びて例の「サラダ記念日」出版の運びとなったのはよく知られています。ただこのエッセイによれば、俵は大阪生まれの大阪育ちで、正月に親戚一同が集まる際におばさんから「あんたの大阪弁はほんまにきれいやなあ、それが聞きたかったんよ」と得意げに記していますが、そうなんかなあ、大阪弁を操る印象はないな。表題作でも高校の先輩に花束を贈って告る話なんだが、大阪弁とは到底言えない会話が記されている。まあアクセントのことかも知れないけどね。卒業式でバラの花束を持って衆人環視の中先輩を呼びつけて告るとは、バカ丸出しでやられた方は大迷惑だがな、俵は「今もそのバラの花束は心の中できれいに咲いている」と記すのだから相当な玉ではあるな。この人は門真市の出身だと聞いているので、大阪生まれというのはどうかな、まあ門真みたいな田舎は誰も知らないし、大都会にあこがれる心の表れでそう書いたんだろうなあ。
よく甲子園は大阪やない西宮やとか、兵庫やとか言う人いますね。それはそうなんやけど、つまりは元々大阪の持っていた求心力が薄れ、というか無くなり、むしろ差別の対象にすらなっているので自分はそこに入れられたくないということなんだとおもいます。関西とかゆうのも大阪の力が失われたので京都、神戸、奈良、和歌山なども含めて全体のパワーでやっていこうとした表現だという話はよく聞くがそうではなくて、単に大阪外しだと思う。元々上方とか京阪という表現が使用されていたのになぜか突然関西とかいうのには意図的なものを感じます。
今日はかなり冷え込みました。猫もストーブの番をしてます。浦西和彦が亡くなり残念です。かなり前になりますがお客さんから「大阪近代文学事典」「大阪近代文学作品事典」などをお譲り頂きました。浦西はきっちりした仕事をする人で全容が定かでなかった大阪の近代文学に関して総覧を示し、今後の研究に裨益すること間違いない著作を残した。欲をいえば織田作の事典の時のように小説だけにとどまらずエッセイで大阪に触れているものの集成をしてほしかったし、磯田敏夫が文学雑誌に書いていた作品や杉山平一の著作などの解説が物足らないなどもあるが、これまで全然無かったものを作り出したわけで無い物ねだりかもしれない。しかし例えば上司小剣は「鱧の皮」ばかりが取り上げられるが、浦西の著作で様々な大阪に関するエッセイがあることがわかったのはありがたい。
しかし今やAIは自分で学習してトレーニングを重ね人間がおよびもつかないスピードで進化していて、囲碁にしてもチェスにしても将棋にしてもとんでもない域に達しているわけで、となればこういう文学の研究、比較文学とかにはもってこいだろう。人のように死んだり衰えたりすることもないから、人類数万年の歴史のあらゆる文献を読み込み血肉化して、素晴らしい業績を上げるに違いないので、誠に楽しみだ。ロボットもペッパーみたいなバカではなくて育児ロボットができないものなのか。なぜかややこは永遠といってもいいほど泣き続け、声が枯れてもやまない、非常にこっちはストレスで、私の母親など一番下の子が泣き止まないので、押入れの布団の間に差し込もうとしていた。そこで母親そっくりのロボットでAI搭載のが出来たらいつまでも抱き上げてくれるし、こっちは息抜きできるし人類を裨益すること間違いない。
今日は夜前から雨です。先日お客さんから糸井重里の「インターネット的」などをお譲り頂きました。本や雑誌、映画などの情報商品は一部の人が売れているよ‼️と煽り大半の人はそれを鵜呑みにして買うという構造があり、売れているかのように装えばベストセラーが作れるわけで好ましくないとの内容です。確かに今度は映画化される「火花」ですが300万部以上売れているのだが、別に大した小説ではなく、島本理生の「夏の裁断」のほうが芥川賞としての完成度ははるかに高いのに、こちらは受賞もしないとはおかしいといえばおかしい。まあ島本はそれなりに売れているし、それでいいんでしょうが、デビューも高校生くらいで、天才作家と騒がれてそういう早熟の逸材という売り方もカードとしてはあったのだが、とりあえず波には乗れなかった。
糸井重里は法政大学で例のエンタープライズの佐世保寄港阻止闘争に参加していたことが、以前写真週刊誌に載ってました。60年台後半はベトナム戦争もあり、沖縄から爆撃機が北爆にむこてたことで、反米の機運も今よりはありました。でも日本はアメリカの召使いに徹して今まで繁栄してきたし、「ショックドクトリン」にあるように資本主義は自然災害をも利用して「ここは危険だから、高台に新しい家を作ろう、だから立ち退いて」てな感じで難なく地上げを成功させて金儲けにつなげるわけで、それはまた反面住んでいた住民にとっても安心出来る選択肢でもあることがあり、その融通無碍な中では単純な割り切りは難しい。
夜前は非常に寒くびっくりしました、猫もストーブの前で長々と寝転んでいます。本屋に入るやいなや催してきて大変なことになるのは私はよくあることで、もちろんそれを見越して手洗いの場所を確かめてから入るようにはしているのですが、それでも不測の事態に見舞われることがあり、竹内久美子によれば本はもともと木であるが、本にされてしまい根を切られてしまったゆえに養分が不足し、何かホルモンのような物質を出して人間にばばさせようとするのだということでした。そうなのか、私は一応納得しましたが、子供に話して見るとアホかと言われ全然納得してません。竹内久美子の「BCな話」は週刊文春に連載していたものですが、他にもイギリスの研究で夫婦でするセックスの時の精子の数と旦那が浮気をしてやった時の数を比べて浮気の時のほうがはるかにたくさん出ているとあります。すごい研究があるもんだとは思うけど、さすがにこれはイグノーベル賞狙いか、と余り信じてはいません。
今日は朝方は冷えましたが、大分ぬくなってきました。京阪電車の乗り放題切符を使い河合神社、下鴨神社、知恩寺、吉田神社、銀閣寺、金閣寺、大徳寺にお参りしました。いつものことながら、適当に古めかしい装いまとった建物を作るのが得意なのには感心させられます。しかし河合神社にある鴨長明の方丈の模型、下鴨神社の相生の木、河原町蛸薬師下ルの近江屋跡にはキッチュ趣味が感じられました。もともと京都の人にはキッチュ趣味があって、例えば石山寺なんかは40年くらい前に出向いた時もすでに源氏物語を紫式部が書いた部屋が保存されていて、文机に源氏物語やら、硯箱があってここで書いたんですとかいう説明がありました。そんなことあるわけがない。先の方丈の模型など何とかしてゆかりの鴨長明を結びつけたい一心なんでしょうが、本物でないことはもちろん、特に集客に意味があるようにも思えません。坂本龍馬の旧蹟など巨大な写真が据え付けられてそこはすし屋なんですが、青森にはキリストの墓とか例の偽造された東日流外三郡誌や太宰治の斜陽館とか要するに目立ちたいがその材料もないので適当にでっち上げた文化がたくさんあります。なんか京都もその流れに竿さそうとしているように感じました。カーがいうように重要文化財の説明のプレートの下に必ずあるHITATIも目障り、そもそも重要文化財だと示すのは権威付けですからね。京都らしい立て札ではあります。