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古本屋日誌
定期的な健康診断で右肺上部に結核の治癒痕とは別に怪しい部分があるとの診断で、CT検査を受けるようにとの指示が出た。
それで近くで出来るところを探したら、四ツ橋に19800円でプチ人間ドックをする診療機関があって、あれこれの通常の健康診断のほか、胸部、腹部のCTも含まれているので5月30日の予約を入れた。
でも後で考えてみると、必要なのはCTだけなのに、体重から視力から血液検査までされるのは面倒だと考えて、さらに検索してみたら、モノレールの摂津駅近所の宮川クリニックというところが見つかった。
ホームページをみたら、CTもできるとあるので、30日の午前中電話をかけてみた。
受付の女性は、「今日、11時半までに入ってもらえば、CT検査出来ますよ」とのことだったので、四ツ橋の方はキャンセルの電話を入れて、早速行ってみた。
そこはモノレールの摂津駅すぐの、マンション一階にある診療機関で、先生が言うには「CTはね、今日はやってないんや、ごめんね、明日ならいけるけど、とりあえずレントゲン撮らしてもらえるかな❓」とわけのわからない話だ。
どうもCTを操作するのは先生ではない、別の技師さんらしい。普通なら怒って帰るところだが、医者となるとそうもいかない。健康診断の診断書をスマホから見せ、その中の「所見」も示した。
その後、血圧、血中酸素、脈拍を測定。血圧は132、酸素は98で「問題ありません」とのこと。レントゲンを撮り、先生は、念入りに読影。
「古い結核のもんやで、これは。なんか自覚症状ある❓咳が出るとか、痰が絡むとか?」
「いや、それはないです」
「明日CT撮りましょう」となって、翌土曜の11時にまた行くことになり5900円支払った。
「CTはなんぼくらいかかりますかね❓」と無能な嘘つきの受付女に聞いてみたら、「すぐ終わります、CTはそんなに時間かかりません」
「いや、ちゃうがな。費用はなんぼやゆうてんねんけど」すると、女は料金表を出してきて
「これは頭のCTですが10000円くらいです」という。デタラメな案内をしても、謝りもしないバカのゆうことなので、信憑性はないな。
そして今日、10時半にクリニックに着くと、待合室は誰もおらず、すぐに検査室に通される。
やはり先生とは別に、長身の検査技師がいて、レントゲン室の真ん中の白いベッドに寝かされて、「2回撮影します、それぞれ息を吸ってください、その後止めてくださいという指示が流れます。2回目は息を止める時間が長いので、もしあれやったら、鼻で息してもらってもいいです」とのことで、撮影自体は数分で終了。
先生はとみると別の患者さんに応対中で、待合室でしばらく待たされた。
5分くらいで診察室に通されて、CT画像を先生は見つめている。
マウスで画像をスクロールしながら無言。
診察室の入ってすぐ右手後ろには、なぜか、中宮寺の半跏思惟像のお写真が貼ってある。仏様におすがりしなさいということだろうか。
他にも、よくお手洗いに貼ってある「気を大きく、命長し」の張り紙もある。冷静になれ‼️という励ましだろうか。
3分くらいしてから、ようやく、
「輪切りにして眺められるようになってて、ここが気管、2本管があるよね。左肺こうなってるね。
ほんで右肺の上部、結核の痕やね、固くなって空気がほとんど入らんようになってるね。運動した時なんかに息が上がるわけだ。結核の痕跡は残るから常に言われるよ。」
「これは結核の痕跡で、新しく何かということない。来年またきてもうて、比較してみるといいんやけどな。画像をコンパクトにしたものを渡せるけどどないする❓」
必要ないのでお断りして、会計では予想通り17090円をお支払いした。
受付女は、無能かつ、嘘つきだが、先生は丁寧で、長い時間かけて診察してくださり、CT画像を示しながら、一つ一つ部位の説明から始めて、現状をこちらを向いてお話しくださいましたから、ありがたかった。
しかし俺は怖がりだから、自分の体のあれこれの説明を、美術館で天目茶碗を見るように冷静に眺めることは出来ず、油汗がたれそうだった。
没後10年となる今年、新書館が全集の最終巻を刊行し、また故郷の姫路では回顧展が開催中だ。
朝日新聞の一面下の本の宣伝欄にも、5月半ばに『車谷長吉全集』完結、発売中の広告が掲載された。
しかしこの時点で、新書館のホームページにアクセスして、第二巻の在庫を見てみたら、品切れとなっていた。
この巻には、車谷が意中の女にせっせと送った70通あまりの絵手紙が原色のまま掲載してある。
しかし、朝日新聞に広告を打っているのだから、品切れになっている巻も増刷するのではないかと思った。
俺は5月半ばに姫路文学館に出向いて、彼の展覧会を鑑賞したが、その際併設されているショップには全集は全巻揃っていた。2巻も4冊あったな。
値段が8000円オーバーだし、重たいというのもあるだろう。
でも、今日問い合わせてみたら、すでに2巻は売り切れたという。確かに古書価も高騰しているようだ。
車谷長吉の作品の中では短編集『忌中』は好きな作品だ。
文春文庫のカバーは、桟に囲まれたガラス戸に「忌中」と車谷風の四角い字で書いた白い紙が貼り付けてあるもので、小説のラストシーンだ。
介護疲れやあれこれの悩みから、障害のある妻を殺害して、家に隠してしばらくしてから自分も首をくくって死ぬ話だ。
嫁への愛情が感じられるし、またその後自殺するまで、サラ金などから引っ張れるだけ引っ張ってあれこれやってみるのもいい。
かつてのアイドル歌手が、ブランクの後復活して舞台に立っている姿を見て心打たれたりもする。
また、マッサージ店に通い詰めて、人間関係でしくじって都落ちしてきた女に高額なコートをプレゼントしてやる。
全て嫁にやりたくてもやってやれなかったことなんだろう、そういう純愛小説なのだ。
大阪一の古本屋である天牛書店の本店は吹田市にあって、地下鉄の緑地公園から徒歩10分くらいで着く。
俺は駅前にある「hellow bycycle」で電動自転車をかってよく行っている。
古本屋でいつも不思議に思うのは売れない本をどうするのか、ということだ。
ブックオフの、ある店舗では次第に値段を下げて売り切るとか、ヤフオクに出品するとか、潰して処分、つまりほかすなどを行って棚をリフレッシュしている。
天牛書店ではどうなんだろう。
2階には岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま文庫、中公文庫、河出文庫などが整理して置いてあるが、長らく売れない本を値下げしているのかはよくわからない。そういう本にはそもそも俺は興味がないからだ。
ただAmazonで、なぜか一時だけ高騰して、そのあと安くなってしまう本がある。
例えば中公文庫の『私残記』がそれで、どこにでもよく見かけた本なんだが、一時的に10倍くらいの値段、3300円とかになってびっくりした。
この本は天牛書店でも自前の通販サイトで高値で掲載してあったのだが、その後また以前の値段に戻り300円くらいで開く流通している。
天牛書店の棚にもその程度の値段で置いてあった。これなどは値下げしたのかもしれないが、もちろんよくわからない。
また、本店から天神橋店に動かない本を移動させていることは確かだ。
例えば中公文庫のトフラー、『第三の波』は当初本店に500円で出していたが、なかなか動かないので、天神橋店に来ている。さらにここでも売れなかったらまた本店に戻すこともあるのかもしれない。
中にはかなり長い間棚に刺さっている本もあって、講談社文庫の高信太郎『超日本むつかし話』は、くだらない駄洒落をこれでもかこれでもかと繰り出すマンガなんだが、相当長い間、値段も含めて、そのままだ。他にも教養文庫の賀川豊彦の本なんかも永らく置いてある。
今から15年前の、2011年の夏に体調がすぐれず、結局結核に罹患していることがやっとわかって、寝屋川の大阪病院に40日ほど入院した。(その前の年からいろんな病院や医院に出向いていたのに、ヤブ医者ばかりで診断がつかなかったのだ)
ここは片町線の星田の近く、寝屋川公園のねきにある。最上階が結核の隔離病棟でそれより下の階はそれ以外の肺の疾患病棟のようだった。
その頃、日能研関西という中学受験の進学塾で教えていたのだが、当然しばらくその仕事は休職ということになる。(のちに労働組合で交渉して休職中は給料の7割を支給することになった)
ありがたいことに、友人があれこれ見舞いに来てくれたのだが、その1人に以前やはり日能研関西で算数を教えていたが、2000年の春に辞めて、家庭教師の会社をおこしている友人Fもいた。
彼は辞めた当時、まだ20代の血の気の多い頃で、来期の堺東校での担当時間が4年生の70分だけになっていたことに腹を立てていた。
これはもっともなことで、彼が住んでいる西宮市から堺までかなり時間がかかるのに、担当する時間が1時間と少しでは割りに合わない。
堺東以外でも、上本町でも算数の授業を担当していて、学力の低い下のクラスの生徒にもよくわかるように手書きのプリントなども用意して、生徒には高い人気があった。
しかし日能研関西の方にはそれを見抜くまともな管理職は誰一人いない体たらくで、笑うしかない。
またその少し前に算数科の課長であった酒井が50日以上休みが取れず過労死したことにも深い憤りを覚えて「もうこんな会社辞めるわ」と腹を括った。
ところが国語担当なのだが、古株のIが「私の方から口添えしますから」と言い出して、しばらくして、Fのところに社長から電話があって「今回のことは申し訳なかった、謝りたいから本部まで来てもらえないか」とのことだった。
普通ならそうなのか、それじゃあ行ってみましょうかね、となるところだが「謝るゆうてる人間が、こっちを呼びつけるとは何事だ‼️」と怒り出して、内容証明郵便まで使って退職したのだから、素晴らしいね。
そのFが大阪病院にやってきて「スーさん(俺のことだ)、もうこれは次の仕事考えた方がええよ。あんなとこおってもしゃーないやろ。
それで入院中、暇やろからパソコンの練習したらと思う。持ってくるから」という。
俺はそうかもしれないとは思うのだが、パソコンを扱うような業種にはそもそも向いていないと思っていたから「いや、そんなもん要らんわ、だいたいわしは不器用だし、機械系には向いてない」
「そんなことない、そんなことない、やったら出来る出来る」
「でけへんゆうてるやん、長い付き合いなんやからそんくらいわかるやろ」「ふーんそしたら、これからどないすんの❓」「わしは古本屋やっていくんや」
「そんなんいけるのかな、とりあえずパソコン持っていくわ」とひつこい。
「いや、せやから俺は古本屋で十分メシが食える力があるんや」
そういうと、Fは「そうなのか、羨ましいなあ」と訳のわからんことを言うのだよ。羨ましくはなかろう、ほとんど本は読まないんだから。