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古本屋日誌
今から15年前の、2011年の夏に体調がすぐれず、結局結核に罹患していることがやっとわかって、寝屋川の大阪病院に40日ほど入院した。(その前の年からいろんな病院や医院に出向いていたのに、ヤブ医者ばかりで診断がつかなかったのだ)
ここは片町線の星田の近く、寝屋川公園のねきにある。最上階が結核の隔離病棟でそれより下の階はそれ以外の肺の疾患病棟のようだった。
その頃、日能研関西という中学受験の進学塾で教えていたのだが、当然しばらくその仕事は休職ということになる。(のちに労働組合で交渉して休職中は給料の7割を支給することになった)
ありがたいことに、友人があれこれ見舞いに来てくれたのだが、その1人に以前やはり日能研関西で算数を教えていたが、2000年の春に辞めて、家庭教師の会社をおこしている友人Fもいた。
彼は辞めた当時、まだ20代の血の気の多い頃で、来期の堺東校での担当時間が4年生の70分だけになっていたことに腹を立てていた。
これはもっともなことで、彼が住んでいる西宮市から堺までかなり時間がかかるのに、担当する時間が1時間と少しでは割りに合わない。
堺東以外でも、上本町でも算数の授業を担当していて、学力の低い下のクラスの生徒にもよくわかるように手書きのプリントなども用意して、生徒には高い人気があった。
しかし日能研関西の方にはそれを見抜くまともな管理職は誰一人いない体たらくで、笑うしかない。
またその少し前に算数科の課長であった酒井が50日以上休みが取れず過労死したことにも深い憤りを覚えて「もうこんな会社辞めるわ」と腹を括った。
ところが国語担当なのだが、古株のIが「私の方から口添えしますから」と言い出して、しばらくして、Fのところに社長から電話があって「今回のことは申し訳なかった、謝りたいから本部まで来てもらえないか」とのことだった。
普通ならそうなのか、それじゃあ行ってみましょうかね、となるところだが「謝るゆうてる人間が、こっちを呼びつけるとは何事だ‼️」と怒り出して、内容証明郵便まで使って退職したのだから、素晴らしいね。
そのFが大阪病院にやってきて「スーさん(俺のことだ)、もうこれは次の仕事考えた方がええよ。あんなとこおってもしゃーないやろ。
それで入院中、暇やろからパソコンの練習したらと思う。持ってくるから」という。
俺はそうかもしれないとは思うのだが、パソコンを扱うような業種にはそもそも向いていないと思っていたから「いや、そんなもん要らんわ、だいたいわしは不器用だし、機械系には向いてない」
「そんなことない、そんなことない、やったら出来る出来る」
「でけへんゆうてるやん、長い付き合いなんやからそんくらいわかるやろ」「ふーんそしたら、これからどないすんの❓」「わしは古本屋やっていくんや」
「そんなんいけるのかな、とりあえずパソコン持っていくわ」とひつこい。
「いや、せやから俺は古本屋で十分メシが食える力があるんや」
そういうと、Fは「そうなのか、羨ましいなあ」と訳のわからんことを言うのだよ。羨ましくはなかろう、ほとんど本は読まないんだから。