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古本屋日誌
昨日もええお天気で、行楽日和だった。
通販のAmazonの発送は、今年は4月30日、5月1日、2日の平日もやらなくてよいことになっていて、7日の火曜日に出すプログラムになっている。
ただそれだとお客さんのところに届くのがずいぶん遅くなってしまうので、寝屋川郵便局まで持って行って、発送した。
昨日5月3日の憲法記念日、嫁と京阪電車で京都に出向いた。
大型連休真っ最中なんかに、オーバーツーリズムで有名な京都に出向くのはバカげた行動かもしれない。
ただ本当のところはどの程度の混み具合なのか、確かめてみたい感じがしたのだ。
プレミアムカーを予約しようと試みたが、11時過ぎの枚方ではすでに満席。仕方なく5号車に乗る。
特急の混み具合は大したことはなく、扉を入ったところの広めのスペースに屯っている他、通路に満遍なく客がいて立っている程度。
丹波橋駅に着くと、近鉄乗り換えの人がたくさん降りて、2人並んだ座れた。
祇園四条で降りて、四条通を烏丸方面に歩く。晴天だが暑くはないし、湿度も低く、観光日和で、確かに人は多いが、歩きづらいほどではない。
大丸の6階で開催中の町田尚子の原画展『隙あらばねこ』を見た。
大丸はとくに混んではおらず、膨大な原画と絵コンテに圧倒されながら、ゆったり見ることができた。
町田は既に2000年に『子育ての大誤解』のカバーを描いていて、猫をはじめ様々な動物を幻想的なイメージで描く絵本作家だ。
グッズ売り場で絵本や手拭いをこうてから、デパ地下に行き、広大なパン売り場。
ここもいつもの人出くらいで、とりわけ大変ということはなし。
時間は1時すぎとなって、ビールを飲みながら昼を食べたいが、新京極の「キリンシティ」は近いが、スペースがないので、さすがに混んでいそうだ。
四条通を歩いて、河原町通を越したら「ニューミューヘン」がある。しかしここもそんなに広くないから、入れるかどうかわからない。
一番広いのは三条河原町下ルの「ビア サーティー」なんだが、ここは遠いし、経営母体が変わって、以前美味しかったりんごのクリームチーズのせや、あんかけ焼きそばなどのお気に入りメニューがなくなってしまっている。
とりあえず、手近な「キリンシティ」を覗いてみたら、かなり空いていて、テーブル席に案内された。
たらふくビールやらあてを食べて、新京極の「グラニフ」で猫のTシャツを2枚こうてから、てくてく北上して、河原町三条の「ジャンカラ」を覗いてみた。
時刻は2時半。中島みゆきの本人歌唱(コンサートなどで歌っておられるのを拝聴できるのだ)が入っている「ダム」の部屋をリクエストしたら「空いてます」とのことで、2時間たっぷり歌ったり、お聞きしたりできた。
4時半過ぎにここを出て、京阪三条。特急に乗る。
大して乗っておらず、問題なく座れた。
全体としてオーバーツーリズムで辟易するというほどのことはなかったな。
今月5日まで、京都、大阪で大規模な古本市が開催中だ。
春先の移動期はお客さんが不要な本を処分する時期なので、古本屋は大忙しで、いい本もたくさん持っている。
その販売ルートは通販を使うのがもっとも利益が見込めることが明らかなので、おそらく基本的にどの本屋もAmazonやヤフオク、メルカリ、自社ホームページでの販売を手がけているわけだ。
従って古本市にはそういういい本は持ってくることが少ない。
いくら行列ができて、客が多いといっても、たかだか大阪、京都近辺のお客さんが来るだけだから、たかが知れている。
そのため例えばAmazonにいい本の在庫が積み上がり値崩れを起こすこともしばしば起こっている。
古本屋の店舗でも、大規模な古本市でも見られない本なのに、Amazonでは在庫が25冊もあって、値段も安いのだ。
将来的には古本市は文学書や骨董品、稀覯本と通販では扱いづらい時代小説やコンディションの悪い本ばかりになってしまうだろう。
文学書はコンディションにこだわるお客さんもたくさんいるので、実際に手に取ってみたいという要望が多いから、そもそも通販に馴染まない。
一枚刷や版画、画集、掛け軸といったものも同様だ。
しかしそれ以外の本はわざわざ古本市の会場にまで運んできて、本棚に並べて販売するというのは、ガソリン代やトラックといった資源の無駄遣いであるし、何より古本屋の労働力を搾取する前時代的な、時代遅れのやり方だろう。
今年の勧業館での古本市でも明らかにその兆候が感じられた。
文庫本について、非常にいいものは並んでおらず、普通のラインアップだったからだ。
これはお客さんには便利なことであるし、また古本屋にとってもとにかく素早く売れるわけだから、悪いことではない。
岡崎公園の勧業館で開催中の古本市では目録が500円で販売されている。
パラパラ見ていると、初めに井上書店の店主が去年亡くなったことが、追悼文とともに書いてある。69だそうで、仕方のないことではある。
でも、ちょっと、まだ若いよなあ。
古本業界は御多分に洩れず後継者難が悩みの種だ。
我が国の伝統として、親の職業を毛嫌いして、都会に出たがる傾向がある。
これはハタチやそこらのガキが何もわかってないバカだというせいでもあるが、世間一般の風潮に乗せられてしまうためでもある。
幸い子どもが店の手伝いをはじめたとしても、親は気を遣って何かとバカ息子、バカ娘を立てようとする。
買取に客の家に出向いても、親はネットとかで相場を見ることなく、これまでのやり方で査定して帰ってくるので、子どもから「そんな本、高こはろてからに。もう行かんといてな‼️」と叱りつけられる。これで客のところにも行きにくくなる。
帳場に座って店番してても、あんまり誰も来ないし、ちょっと祇園に遊びに行きたいな、思て、棚にさしてあるいい本を抜いて、古本組合の市に出して金を作った。
そしたらバカ息子、娘はめざとく見つけて「お父ちゃん‼️あそこにあった本はどないしたんや❓のうなってるけど、売れたんか❓」と問いただしてくる。
こうなるともう店にも居場所がなくなって、酒やらタバコに逃げ込むことになるから、古本屋の親父は早死にしてしまうのではなかろうか。
ただ井上書店は子どもは古本屋をやってなかったような気はするけどね。
90年代の京都の古本業界は、新興勢力の台頭に怯える時代だった。
古紙回収業者が古書組合に入るのを阻止しようと、あれこれ面倒な条件を付けていた。
古本組合に入るには、既存の古本屋を保証人に立てないといけない、店舗をすでに確保していないといけないとか、ようわからん条件が設定されていた。
これから古本屋をやるのだから、店舗なんかまだないのに、おかしな話だ。
そうやって新興勢力を牽制していたけど、結局、今となってはすべて無駄な努力だった気がする。
今日から岡崎公園の勧業館(みやこメッセ)で大規模な古本市。
さっそく朝から出かけてみた。
折からの雨だが、到着した9時半くらいにはすでに40人くらい並んでいる。
今回の古本市は、不思議なことに大阪からは一軒も参加しておらず、というか、京都以外から参加しているのは奈良から一軒、三重の名張から一軒だけなのだ。
去年は大阪の一冊堂やSFを扱う古本屋も参加していた覚えがあるのだがな。
やはり会場の費用が高くて、利益が出にくいのかもしれない。
さて本の方は、やはり京都は侮れない。
文庫では岩波文庫の『魔訶止観』、『近世風俗志』の全巻、中公文庫の『入唐求法巡礼行記』『クララの明治日記』揃、ちくま文庫の『蓮と刀』『現代民話考』講談社学術文庫の『今鏡』揃、講談社文芸文庫の『老残』『もぐら随筆』『われよりほかに』揃など、今開催中の天王寺さんで見られない本がある。
また版画、掛け軸、ポスター、古地図、稀覯本の類は、俺は全く関心はないが、目の保養として楽しめる。
明治時代の京都の名所旧跡の石版刷などは大判の冊子で660000円となっている。
また戦争中、銃後の士気を高めるため大阪で発行された『銃後の大阪」(2号)もこちらは5500円で売っていたよ。
漫画でも大友克洋の『童夢』初版帯付も置いてあったな。
参加している古本屋が減少しているため、各店の展示スペースが広くなっている。
また、通路や店と店の間隔もずいぶんゆったりしたものになっていて、ひしめくお客さんでなかなか本棚が見れないという状況は解消されている。
会場の一角には喫茶スペースがあって、うまいコーヒーとマフィンをいただくことができる。