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古本屋日誌
岡崎公園の勧業館で開催中の古本市では目録が500円で販売されている。
パラパラ見ていると、初めに井上書店の店主が去年亡くなったことが、追悼文とともに書いてある。69だそうで、仕方のないことではある。
でも、ちょっと、まだ若いよなあ。
古本業界は御多分に洩れず後継者難が悩みの種だ。
我が国の伝統として、親の職業を毛嫌いして、都会に出たがる傾向がある。
これはハタチやそこらのガキが何もわかってないバカだというせいでもあるが、世間一般の風潮に乗せられてしまうためでもある。
幸い子どもが店の手伝いをはじめたとしても、親は気を遣って何かとバカ息子、バカ娘を立てようとする。
買取に客の家に出向いても、親はネットとかで相場を見ることなく、これまでのやり方で査定して帰ってくるので、子どもから「そんな本、高こはろてからに。もう行かんといてな‼️」と叱りつけられる。これで客のところにも行きにくくなる。
帳場に座って店番してても、あんまり誰も来ないし、ちょっと祇園に遊びに行きたいな、思て、棚にさしてあるいい本を抜いて、古本組合の市に出して金を作った。
そしたらバカ息子、娘はめざとく見つけて「お父ちゃん‼️あそこにあった本はどないしたんや❓のうなってるけど、売れたんか❓」と問いただしてくる。
こうなるともう店にも居場所がなくなって、酒やらタバコに逃げ込むことになるから、古本屋の親父は早死にしてしまうのではなかろうか。
ただ井上書店は子どもは古本屋をやってなかったような気はするけどね。
90年代の京都の古本業界は、新興勢力の台頭に怯える時代だった。
古紙回収業者が古書組合に入るのを阻止しようと、あれこれ面倒な条件を付けていた。
古本組合に入るには、既存の古本屋を保証人に立てないといけない、店舗をすでに確保していないといけないとか、ようわからん条件が設定されていた。
これから古本屋をやるのだから、店舗なんかまだないのに、おかしな話だ。
そうやって新興勢力を牽制していたけど、結局、今となってはすべて無駄な努力だった気がする。