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古本屋日誌

2021-01-31 16:00:00

NHKで「新版歌祭文、野崎村の段」をやっていた。

文楽にせよ歌舞伎にせよ徳川時代の作品はわれわれの鑑賞に堪えるレベルが伴っておらず、登場人物に感情移入できない。なぜ死ななければいけないのかもわからないし、滑稽にすらみえる。

解説はいとうせいこうと高橋英樹なんだが、いとうはいつものことだが全く的外れな話ぶりで不愉快だ。

文楽に見られる悲劇は同時代のアメリカの黒人のそれと軌を一にしていた興味深いというがバカバカしくてお話にもならない。

そもそも文楽には人間の心をえぐるような真実が描いてあるのだろうか、ここが重要だよなあ。

その答えはもちろんイエスだ。

この作品では野崎村のお光は本当に恐ろしい女だ。身の毛もよだつ。

お光は久松の幼なじみで許婚の間柄だから、久松が村に帰ってきて祝言を挙げることを心から喜んでいた。

ところが大阪から久松の子を孕んだお染がやってきて、お光は嫉妬の炎に身を焼かれてしまう。
私というものがありながら、こんな女に手を出してややまでこさえるとは胴欲な久松め‼️と思ったのだろう、お光は復讐してやることを心に決める。

つまり、自ら黒髪を下ろして尼になって久松との結婚を放棄してしまうのだ。

そんなことをすれば久松はお染とくっつくしか無くなってしまう。

身分違いの恋は徳川時代の価値観では到底受け入れられない、二人は死ぬしかなくなるわけで、そのことはお光も十分分かっている。

久松のことを思うのならばあくまでも許婚だと言い張って家にとどまらさないといけないし、お光にはそれが出来た。しかし浮気をした上に、今もその女に未練たらたらの男など許せるものではなかったのだ。



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2021-01-30 18:49:00

「月刊タイガース」の最新号には矢野監督の今季の抱負がインタビュー形式で載っている。

ドラフトで4球団が競合した佐藤について
「競合した球団、巨人やソフトバンクなども佐藤にそういう評価をしているということなので、その中で当てられたってことはうれしかったですね」と言っている。

確かに2年連続優勝しているジャイアンツや常勝のホークスを評価するのはわかるんだが、それを口に出してもらいたくはなかったなあ。

タイガース編集部はインタビューと写真で紙面を埋めるようなやっつけ仕事しかしていないんだから、不適当な発言には眼を光らせて、しっかり検閲して削除してもらいたいところだ。
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2021-01-29 19:22:00

ついこないだ「週刊ポスト」の呉智英の連載を見ていたら、木山捷平の「メクラとチンバ」という詩集を取り上げていた。

「お咲はチンバだった
チンバだったが尻をはしよって桑の葉をつんだり
泥だらけになって田んぼの草を取つたりした
それが二十七の年ひよつくら嫁ぎ先が見つかった
お咲はチンバをひきひき但馬から丹後へ
岩屋峠を越えてお嫁に行った
丹後の宮津ではメクラの男が待っていた
男は三十八だった
どちらも貧乏な生い立ちだった
二人はかたく抱き合って寝た」

こんな本があるのは知らなかった。呉智英によると単行本は大変高いそうで、「日本の古本屋」サイトで見たら確かに数万円している。

ただ講談社文芸文庫には「木山捷平全詩集」があってここには「メクラとチンバ」も収録してある。こちらも新刊書店では品切れだが、古書価は1500円くらいで、手軽に読むことができる。
障害者が地元では敬遠されて、遠く離れたところで障害者同士が夫婦になるというのは今もあることだ。

 

われわれはどこか暗いものをそこに感じ取るのだが、木山捷平はどうだったのだろうか❓

 

結婚は今も昔も同じ階級同士が普通だ。セレブはセレブは、中流は中流、貧乏人は貧乏人。

露骨だからつまらないと言えばその通りだよなあ。

でもその中にある必死さや満足感を木山は描こうとしたのかもしれない。







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2021-01-28 12:54:00

昨日東高津町にある新風書房に伺って、できたばかりの「大阪春秋」181号、浜寺特集を購入した。

その際「残念なんですが次の4月発行の182号で休刊することになりました」と言われた。

雑誌の最後のページには発行人の福山琢磨の名前で「長い間本誌のご購読ありがとうございます。次号で休刊します。昨年3月私が体調をそこない、体力的に発行を継続することが難しいからです」とある。

 

確か福山さんは米寿くらいのお年だからいくらお元気といってもさすがに体力的な衰えはあるだろう。しかしそれなら後進に譲って託せばいいだけではなかろうか。



同じページにある編集後記には

「発行人から『大阪春秋』の編集方針を一新したいとの提案を受けました。要は経営改善を図っていくということのようですが………この雑誌が決して一私企業のものではなく大阪のまちにとってかけがえのない「公器」であることは明らかです。…」とある。これはもちろん福山ではなく編集部員の誰かが書いたものだ。

察するに福山さんが赤字が出ないように雑誌をイメチェンしたいと提案したが、編集部員には受け入れられなかったように読める。

この雑誌にはほとんど広告が載っていないのが不思議だが、それでも熱心な購読者は多いし、公共の図書館や大学などで定期購入してもらえるわけだし、大きな赤字になるわけもない。

この前北河内で発行されていて2006年に休刊になった「まんだ」という郷土雑誌の財政事情を書いたことがあった。

この雑誌は1977年の創刊でほぼ30年発行を続けてその間蓄積した黒字は40万ほどあったのだが、最後の2年は赤字で特に2006年は1号出すと10万程度赤字になり黒字を全て吐き出してしまった。

私が思うに「大阪春秋」は赤字にはなってないし、今後とも財政的に問題が出るとも思えないけどなあ。

 

金がないならないで、「大阪春秋は財政的に困っています。クラウドファンディングもやりますし、個人的に寄付をお願いしたい」とか誌上で窮状を訴えるものではないかなあ。

それもなくていきなり休刊だというんだから、福山さんはめんどくさくなったのかなあ。

大して儲からないし、執筆者は生意気だし、原稿料をしっかり払え‼️だのもっとページをよこせだのごたくさごたくさうるさいし、出てきた原稿はというと、足で書いて自分が見つけたものではなく、これまで本に書いてあることの引き写しだしやる気もなくなったよ、という感じだろうか。


それでも、大阪が誇る雑誌が廃刊にでもなったらがっかりだよ、なんとかしたいところだよなあ。
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2021-01-27 11:32:00

戦後の日本ではかつての戦争を肯定的にとらえることはあまりよろしくないとされて、撃墜王の坂井三郎にせよ、特攻隊の関大尉にせよ、偉人とされることはない。

また新聞、雑誌はこぞって鬼畜米英とデマ記事の作成に精を出していたし、作家も高村光太郎にせよ、川田順にせよ、北原白秋にせよ戦意高揚の文をものしていたが、これらはでたらめを垂れ流していたとか侵略戦争に加担していたと批判される。

しかし侵略戦争なのか、自衛戦争なのかという価値判断は現代のわれわれが一方的に今日の時代情勢に即して行っていることで、完全に後出しジャンケンだ。

おかれた時代の中で苦悩しながら選択していった熱情は評価しなければいけない。

熱情やガッツを否定するならわれわれの時代のスポーツにかけるそれや、仕事にかける意気込みも否定しなければ理屈が通らない。

ブラタモリで人気復活の吉田満の」戦艦大和の最期」でいえば

出港前夜、甲板で行われた宴会で、いくらなんでも沖縄に行き着けるとは思えないから、出撃そのものが無駄でそこで死ぬのは犬死にではないかとの叫びに結局「それは確かなんだが、われわれが死ぬことで本土の皆が少しでも救われるではないか」との声で納得したようになっている。

これは真実なのかもしれないけど、いかにもきれいごとだよなあ。

合理的に考えれば沖縄に向かって敵機を引き付けたとしてもたかが知れている、(実際大和は2時間くらいで撃沈されてしまった)その程度の価値しかないものに3000人からの人名をかける意味などあるわけない。

だから本当はいろいろ反論が出て殴り合いになったやもしれない。

鬼畜米英を罵る声が鳴り響いたことだろう。だってあまりにも戦力差がありすぎて、それをかさにきて攻撃してくる米兵は正義にもとる存在だよなあ。

最終的には上官の権威とか腕力とか泣き落としとか、酒の勢いとかそういうものでうやむやになったのかもしれない。

最後の救命ボートの話もそうなんだが、GHQ統治下という制約上、アメリカを声高に罵る記述は許されないし、そのバランス上帝国海軍を悪様に書くことは必要だった。


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