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古本屋日誌
さくら舎から坂夏樹の「命の救援電車」が出た。
昭和20年3月14日の大阪大空襲時、地下鉄が被災者を梅田方面に運び、迫りくる猛火から救ったとの風聞を追いかけてそれが真実だったことを明らかにした労作だ。
空襲時は電車に通電しないはずだから動かすのは無理ではないかとか、電車が走ったにしてもそれは午前5時の始発電車で、空襲時ではないだろうとか様々な否定的な意見を一つ一つ丹念に調査していったのだから大したものだ。
結局空襲開始の午後11時半くらいはまだ電車の運行時間中で、空襲開始で途中の駅で一時停車していた車両があって、これを空襲真っ最中に梅田に向けて動かして、地下鉄構内に避難していた被災者を乗せたということだ。
この日の空襲ではキタは焼けていないことを初めて知ったなあ。
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百田尚樹のミステリー「野良犬の値段」だが、違和感を覚えるところもあった。
まずホームレスになった面々がハッカー顔負けのネットフリックで警察を手玉に取る展開は不自然ではないか。いくら怒りや果たせぬ社会正義を心に抱いているとはいえ、ゴルゴ13並の能力を持つ犯人はおとぎ話のようにしか感じられない。
またネットに通じた猛者がいくつもの修羅場をかいくぐった真剣師の男と出会って誘拐をくわだてていくのだが、そう都合よく出会えるとは思えない。これもおとぎ話だ。
しかしそれらは瑕瑾とでもいうべきもので、トータルとしてはこの小説はよくできている。
身代金の支払いを拒否したために人質が1人処刑されてしまう。
人質とはいえ、自分の会社とは縁もゆかりもない人物で、当然身代金を支払ういわれなどない。
ところが支払い拒絶したから人命が失われた、責任は拒否した新聞社にあるなどという情緒的な世論が増加したゆえ、新聞の解約が購読者の1%にも及んで、経営陣が震え上がるところなどいかにもありそうな話で興味深い。
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LINEの電話は登録している者同士なら無料で、テレビ電話であってもパケットは使うものの無料だ。無料のWi-Fiのあるところならそれもただになるからありがたい。
先日タイのチェンマイで所帯を構えている友人からLINEのテレビ電話があった。
タイからではなく8ヶ月ほど日本に滞在中だとのことで岐阜の旅先からだった。
何でも去年入国してしばらくしたら例のゴートゥートラベルが始まり「5000円くらいの宿が1500円くらいで泊まれるので面白なってしもて泊まり歩いてるうちに帰国が難しゅうなってしもた」
彼は齢70近いがまだまだ元気で、旅に出ることや和食を楽しむことが趣味だ。
だからゴートゥーに心惹かれて楽しく遊び歩いたのは無理からぬところだ。
長い老後の楽しみ、暇つぶしとして旅行や食べ歩きは私は何ら興味はないけれど、ある人たちには極めて魅力的なのは理解できる。
しかし、今は向こうでは家族が帰りを待ちわびていることもあり早く帰国できればいいのだが、それよりも日本国内に話し相手になれる友人が少なくなっていることが困るようだった。
確かに日本を離れて10年以上も経ったら昔の友人の連絡先も変わってしまっていようし、また人間関係的にも無理を頼める感じではなくなっているだろう。
さっさとコロナ騒動を終わらして老後の小旅行の楽しみが復活できるようにしないといけないよなあ。
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依然として続くコロナ騒動はバカバカしいよなあ。
何よりコロナが危機的だというが、それがそもそもよくわからない。死者数だってインフルエンザに及んでいない。既往症のある高齢者が危険だというがそんなものインフルエンザでも全く同じではないか。
また旅行業や飲食業、医療関係に一方的な負担がかかり、存亡の危機となっているが、われわれを含むほとんど全ての通販サイト、スーパー、運輸業界などはタナボタで、景気も良く収入も増加している。
われわれは何の努力も工夫もしていないのに勝手にいい方向に向いているが、飲食業などの人たちは悪いことなど何もしていないし、それどころか創意工夫に努めているのに倒産の危機に直面している。
バカバカしいほどの理不尽さだよなあ。
古本では確かに通販は便利で読みたいものが決まっている時などは瞬時に注文でき、それがすぐに自宅まで届くわけだ。
しかし長い人生そんなに効率よく何でもスムーズに進んでしまってはありあまった時間の使い道がなくなってしまう。
雰囲気のよい古本屋に出かけて椅子に腰掛けながら、長々と自分好みの本を選んでは読み選んでは読みしてヒマをつぶして、さて購入した本を肴にダラダラスコッチを傾けるという人生がなくなってしまったら、代わりに何をするんだろうか❓
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去年中河内で発行が続いていた郷土雑誌「河内どんこう」が廃刊となった。
私の住む北河内でも2006年まで「まんだ」という郷土雑誌があった。堺市でしばらく出ていた雑誌もとうの昔に廃刊となっているし、現在大阪で刊行されているのは1973年創刊の「大阪春秋」だけだろう。
各地で郷土雑誌の創刊が続いた1970年代は高度成長のお陰で経済的に余裕ができた上に、産業構造の大掛かりな変貌期で、牧歌的な農村風景がどこにでもあったところが、急速に都市化してイオンにコンビニ、ファーストフード店といった全国的に均一化された街並みに変わってしまった。
この激動を体験した世代にかつてあった街並みや風景への郷愁が芽生えるのはごく自然な流れだった。
しかし21世紀に入り、郷愁世代は退場して、今の風景が当たり前であり、むしろその街並みに親しみを感じる若い世代が跋扈するようになると古い切り口の郷土雑誌は飽きられてしまった。
もともとその地方だけのローカルな歴史、人物を調べることは商業ベースにのらない。
オタク的な趣味でしかないので、研究者の数も限られている。そのため毎号足で歩き、自分の頭で考察した骨のある論考を雑誌に載せることは難しい。
ともすればその地方から関係のない日本の歴史の話であったり、その地方に関することであっても概説書にいくらでも書いてある話の焼き直しだったりしたので読者を失望させることも多かった。
かつて小野十三郎が詩集「大阪」でコンビナートと荒れた葦原のコンビネーションに美を発見したような新しい美しさを発見してもらいたいものだ。
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