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古本屋日誌

2018-10-31 08:51:00

今朝は穏やかな秋晴れで行楽日和です。うちの猫は夜中に大騒ぎで外へ出してくれと布団から少しでも手を出していると顔をぶつけてアピールしてきます。

今日から百万遍で古本まつりが開催となります。みなさまも是非お越しください。京都の古本まつりは以前はよう行っていましたが、100円の均一コーナーがないのが特色です。大阪の古本市は例外はありますが、均一コーナーが設けてあるんですが、京都は下鴨にせよ岡崎公園にせよ設けてあったことが、記憶の限りありません。均一を作るとそこに人がまず集中してしまい、店舗の方が淋しくなるのが嫌というのもあろうし、一々コーナーを作るのがめんどくさいというのもある。しかし最大の問題点は売り上げの配分がうまくいかないことだろう。どの店が何冊提供したかが、自己申告みたいになって調整が難しいということだ。

その代わり京都はチャリティーオークションがあって束になったかなりかさばる本をセリで売っていく。オークションとは言うがその名に値するような本はない気がする。「日本国語大辞典、全20巻」とか岩波の新書版の漱石全集なんかで、日国大などわたしは以前10巻の縮刷版を5万円で1990年にこうてほとんど使わないまま1999年に売ろうとしたら「これは買い取れませんな」と言われたそういうものですからね。今日見ていたら沢田研二のかなり大きな額に入った写真が出ていて1500円だった。

京都の古本市はこのようにオークションで裁かないといけないくらい全集とか選集とかなんとかシリーズみたいなセット物が多くて、今回の古本市でもお堂の周りにぐるっと「プロレタリア文学大系」だの「大江健三郎全作品」だのが並んでいます。こういうのを見ていつも思うんですがこうた人は全く読んでへんやろなということです。合理的な判断ができないバカの怨念みたいなものを感じます。

なんか欲しなるから、その押さえつけがたい欲望に踊らされてこうてしまうわけで、理由はストレスが溜まっているからなのか、見栄なのか、必要な気がするという何の根拠もない見通しのゆえなのか、定かではなく、また人によっても違うため謎のままですな。


2018-10-30 17:06:00

今朝は昨日の晩の激しい雨も上がり爽快な天気です。

集英社文庫からさくらももこの「ひとりずもう」が出ています。清水で過ごした中学から高校を経て「リボン」でデビューするまでの自伝風のマンガです。ある日自転車で家の前を通りかかった男の子に一目惚れしてその子のことばかり考えたり、生理が来てほしくないとうつ伏せに寝て神様にお願いしたりとたわいないビルドウィングロマンスのようなところもあるのだが、底流にはしっかりした頑固さが隠れているのがこの作品の魅力だ。高校では物理部に入るのだが、夏休みの部活には一切参加せず、たまに9月に部員と顔を合わせた時はあからさまに重苦しい雰囲気が流れて重苦しい時間が過ぎていくのだが、帰宅途中でさくらももこは「まあ休み中登校などせずにノンビリ過ごせることを思ったら、あの程度のしんどさは大したことないな」と言ってのける。このテコでも動かない揺るぎない自信のようなものが彼女の原点なんだろう。


2018-10-29 12:35:00

今朝は小雨まじりで曇ってましたが、やがて雲間から日の光が差して天気です。

昨日の晩NHKが「夏祭浪花鑑」をやっていて中村吉右衛門が子どもと出ていた。本人も言う通り大阪弁は義太夫で練習しているとはいえあんまり達者とはいえないが、歌舞伎特有の歪んだ魅力に溢れた面白い芝居だった。

団七の嫁のお辰が磯之氶を引き取ろうとするが「お前には色気があるから磯之氶とややこしなるやもしれん」と言われて思い余ったお辰は焼火ばしを取り上げて己の顔に押し当ててひどい火傷を負い、色気を消して一件落着となる。器量よしだから男に毒だと言うのもよくわからない話ですが、確かに六月の酷暑の中都合よく焼火ばしがスタンバッテいるのも面白い御都合主義でまるで「ガラスの仮面」のような楽しさです。さいごの長町裏の段では団七が義父に雪駄で顔面を破られてたらりと血が垂れるシーンで「男の顔を潰した」と辛抱たまらんようになって義父を切り殺してしまうくだりが延々と続いていき、いつもながら悪趣味だなと感心します。近松の女殺油地獄も同様の展開が長々続き、まあ刺激の少ない徳川時代の大衆にはいいガス抜きにはなったのだろうが、我々からしたら、くだらないのひとことにつきる。額から血が出たくらいで体面がどうだとか、男の一分がすたるとかいう価値観には全く共感のしようもなく、バカバカしいというほかない。

しかしこういう露悪趣味や途中で引き返してきてハッピーエンドには決してならない芝居は現代では稀ですから、新鮮味はありますね。ボケとツッコミでいえば、一方的にボケまくって、一切ツッコミが入らない漫才のようなもので、最後はどこまで行くんやろ〜てな楽しみがあります。

 


2018-10-28 10:43:00

今朝もえらいええ天気で、薄雲が山際にたなびいている他は誠にええおてらしさんです。

モノの本によるとハムスターはもともと乾燥地帯の生き物で、ごく短期間降る雨に伴って大量に出現する草の実を効果的に地下に掘った巣に運ぶため頰袋があり、たくさんの草の実を一気に運べるのだそうだ。少しずつ運んでいようものなら、蛇やら猛禽類に襲われてしまう。草の実は巣の寝室の奥にさらに穴を掘って蓄えるのだがその量は10キロとか15キロにも及ぶ、ハムスターが体重わずか100グラムくらいであるのに比してあまりにも膨大で驚かされる。

ところが人が飼うようになっても、つまり餌が定期的に与えられるから貯蔵する必要もないのにこれまでの生活パターンにとらわれていくらでもため込もうとするが、人間が用意するスペースは砂漠と違い限られているので、いくらも深く穴を掘ることはできす、ために自分寝室に貯めることとなり、防寒のグッズを持ち込むことができなくなって、ひどい場合は凍死してしまうことがあるという。

早川書房から出ている「今なぜ仏教か」に人は長く続いたジャングルでも生活に今なおとらわれていて、少しのことでエキサイトして、警察沙汰を引き起こして後悔したり、好きな食べ物を延々と食べ続けて、肥満体に陥ったりするとある。確かにジャングルのような相手との距離が近く、喧嘩に負けない姿勢を常に保持していることが群れの中の己の地位に直結するようなところでは有効な戦略も気遣いが第一とされる変に優しい現代社会ではかえって不利だ。好きな食べ物を好んでいくらでも食べてしまうのも、常に飢餓と隣り合わせの伝統的な社会では有効でも、今日の飽食世界では単に成人病のリスクを増やすだけだ。ハムスターのみならず、我々も自分の趣味趣向が実は遺伝子の生き残り戦略におどらされているだけかもしれず、ここは瞑想によって欲望を鎮める必要があるという感じでブッダの教えにつながっていきます。

 


2018-10-27 11:42:00

夜前はかなりおしめりがあり、しっとり潤っています。1960年代に100冊以上刊行された「建築写真文庫」の再建版を入手しました。戦後間もない東京、大阪に出現したホテル、喫茶店、バー、料亭、キャバレーなど商業施設の写真を集めたもので、元版自体は割と目にするものですが、その中でバーやキャバレーを扱うた本はなかなかの稀覯本で、私は一度も見たことがありません。それが簡単に見れるわけですから、ぜひお買い求めください。

道頓堀の「くいだおれ」の古い建物があり内部の写真とともに掲載してあります。二階建ての和風の建築で正面は昔の風呂屋の唐破風があり、正面にはうだつが上がっていて、例のくいだおれ太郎は向うに右手のガラス窓の奥にいることがわかります。一階の内部は真ん中に薦だるが積み上げてありそれを囲む形でビールだるような椅子がぐるりと囲んでいます。手前には黒電話、奥には厨房が見えて主なメニューが貼ってあるんですが「グリルチキン、チキンカツ」などが読み取れます。まあ私は何度か利用したことがありますが、特にうまい店だとは思いませんでした。うだつはそもそも袖壁で防火のために隣の家との間に建てるものなんですが、「うだつが上がらない」の慣用句となっているように、ステイタスシンボルとしても機能していました。くいだおれはそれを露悪的に利用していてそこは面白い。

横浜にあった美空ひばりの経営する寿司屋「美之寿司」の内部の写真もあって例のの小さな提灯が並んでいるんですが田岡一雄のやつが目立つところに飾ってあって、まあ時代ですね。


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