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古本屋日誌

2020-06-30 16:07:00

編集工房ノアから山田稔の著作がたくさん出ているが2015年の「天野さんの傘」は著者85の年のもので、米寿も近い高齢なのにところがどうしてどうして、極めて明晰で、嫌味もなく、淡いそれでいて心に残るエッセイだ。

フランス文学の泰斗、生島遼一が大学時代の恩師なのだが、そのお宅に正月年始に伺う話がある。

元旦の午後2時と毎年決まっていて、それがまた憂鬱なため、ある年1時間も遅刻したことがある。先生は自宅まで電話して問い合わせている。

さてご自宅では先生が2時間くらいほぼ一人で最近読んだ本の感想やら、何やらを上機嫌でお話しくださる。

ただ生島遼一は能天気に話をしているのではない、そのエッセイ集の中では「自分の話の空虚さだけをかみしめていることが度々あった。この空虚感の理由は、わたし自身の読書のときに感じていた快感が、……つとめて論理的になろうとしつつしゃべる間に、消失していることに気づくのである」と書いているそうで、なかなか一筋縄ではいかない。

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2020-06-29 16:21:00

この間のコロナ騒動で、わけのわからない自粛が強制されて、政府の統計でも一時帰休や自宅待機で仕事ができなくなった労働者は600万人近くに上っている。

先日神戸のレストランに行く機会があったが、「コロナ感染予防のためです」ということで、全ての窓、ドアを開けっぱなしで営業し、冷房もガンガンかけるわけです。
なんかものすごく無駄な感じがして落ち着きません。
さらに梅雨時でものすごい数の藪蚊の群れが襲ってきます。追い払っても、追い払っても襲われる。しかも蚊の性質がよくできている。
長時間血を吸わない。
所構わず着地してほんの数秒吸血して即座に逃げる。
まるでお辞儀を親から受け継いでいる奈良公園のしかのように蚊も親子代々、効率的な血の吸い方を見様見真似で習得しているように見えた。

それはさておき、自宅待機なのに、全く給料を保障しないとんでもない会社もあるし、法律で定められた6割保障というところもある。また有休扱いにするところもある。

有休を認める会社は良心的に見えるが、その分有休日数が減ってしまい、病気やよんどころない用事の際に欠勤扱いとなってしまうから、考えものだ。

政府は労働者を解雇せずに休業させた場合15000円程度の労働調整助成金を支給することになっているが、企業によっては「労働者に有休を取らせた場合は助成金の対象外だと認識している」としてそもそも申請を行わないこともあるようだ。

しかし有休で企業が給料を出さなければならない場合国から15000円が補填されることになれば、その分企業の負担は軽減されるわけで、有休以外に休暇を労働者に与える余裕も生まれるだろう。

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2020-06-28 11:57:00

東京書籍から「くらべる京都」が出た。横長の写真集で京都の様々なトピックスをそれぞれ2枚の写真と解説出た比べてみようというもの。

冒頭は壬生寺にある応仁の乱の時といわれる刀傷🆚三条大橋にある池田屋騒動の際のそれ。
まあお堂や擬宝珠に傷があるだけなんだが、京都人をおちょくる時の「こないだの戦争はえらいこってしたなあ」が応仁の乱を指しているにちなんだもので面白い。

この本の白眉はなんといっても四条大橋から捉えた西詰の「東華菜館」の夜景だ。
一階から最上階まで、それこそ全フロアー、全室にこうこうと明かりがともり、暮れなずむ遠景をバックに神秘的な魅力をたたえている。

うどんのページでは生姜を添えたあんかけうどんとたぬきが比べてある。

京都のたぬきはあんかけうどんに細切りの揚げをのせてあんかけにしたもの。

なるほど、京都のきつねは細く切った薄揚げをうどん台で味わうもので大阪のきざみによく似ているなあ。大阪のきつねみたいな甘く炊いた揚げを乗せるのは「甘きつね」というそうだが、もともと大阪のきつねは丼池のうさみ亭松葉屋の先代が考案したものだ。伝統的には京都のきつねが大阪でも食べられていたのだが、忙しい商売人にはきざみでは物足りない。腹持ちもいいように甘く炊いた揚げを乗せたきつねがヒットしたわけだ。

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2020-06-27 21:53:00

嫁がこないだから近所の病院に入院してしまった。しばらく点滴で様子を見てその後の処置を決めるとのことで、心が揉める。

うちの二匹の猫はいつもは嫁の布団で二匹とも寝ていらっしゃる。雄猫は体重もまだ、おそらく6キロくらいはあり、見ていると足元から布団を押し除けて入り込み、足を枕に寝ておられる。雌猫は枕元に丸くなっている。

なぜか私のところにはやってこない。餌も朝と晩私が入れて差し上げています。糞しのお世話も寝る前に怠らず務めさせていただいていて、猫様にもご不満はないと思われるのに、何故か布団には来てくださらない。

これが残念だ。

嫁の入院で、これは事態に変化が生じるのではなかろうかとやや期待して夜を迎えると、雄猫は嫁の布団の枕の脇にじっと佇んで、何やら所在なさげで、私のところには来るそぶりもない。
なかなか世の中は難しいものだ。

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2020-06-26 19:33:00

昨日は京都のお客さんのところに買取に伺いました。


京都は買取では侮れないところで、保存状態の極めていい本や帯がきれいなままの本、1刷の本などがいくらでも出てきます。


岩波新書の黄版は1977年に始まったんですがそのNo.1は福田紀一の「近代民主主義とその展望」です。
この本は民主主義の伝統に市民総武装があって、軍備と民主主義が一体のものであることを述べていて、昭和52年というまだまだ戦後民主主義の呪縛がある中、衝撃的な内容でした。


この記念すべき本の1刷がなかなかない。初版で5万くらいは出していると思うんだが、背もペラペラの新書だから読み捨てられてしまうのだろう。ところが京都のお客さんのところには普通にある。


新潮文庫の高沢皓司の「宿命」はよど号の乗っ取り犯の連中が洗脳されて世界各地の拉致事件を引き起こしていくさまを丁寧に描いた作品で、世評も高いが、これの1刷、帯付きがなかなかない。400ページを超える大作で、帯は読むときは明らかに邪魔で取り除けたり、栞がわりに挟んでおくあいだに傷んだり、紛失したりするのだろう、なかなか残っていない。ところが京都の愛書家は持ってるわけです。


山田稔は小説もそうだがエッセイが極めて面白い作家だが、編集工房ノアが出した「北園町九十三番地」の帯付きがある。

山田と天野忠は奈良女子大の講師を同じ時期にしていて、京都まで帰る電車でよく顔を合わせる。
天野忠は有名な詩人だがそんなことはおくびにもださず、「先生はフランス文学だすか、そらしゅっとしてるよってに学生からもてますやろ」てなことを言う。まだ若くて生意気盛り、如才ないやり取りがわかっていない山田はムッとして言葉を返さないてなことがあった。

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