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古本屋日誌

2020-06-25 12:50:00

重松清はもともと角川書店の社員で「野性時代」の編集をしていた。
大手出版社に問題なく入社できて、雑誌の編集にも携われ、好みの作家に原稿をある程度自由に依頼できて、収入に恵まれていることに加えて、やりがいも十分感じれたことだろう。
しかし重松はそれに飽き足らず退社して、やがて作家になった。

まるでお釈迦様みたいな人生だよなあ〜

映画にもなった「その日の前に」もなかなか興味深い著作だ。

小学6年の岩本隆子は難病で入院してクラスメイトの見舞いを受ける場面がある。

「ガンリュウ」と呼ばれ日頃はふてぶてしい彼女だが、病気ゆえ弱気になっていて、クラスメートが心配してきてくれたのは嬉しくて、思わず笑みがこぼれるが、いつもは強気で通している自分が殊勝なそぶりを見せてしまっているのはプライドが許さず、そしらぬふうを装い文庫本を読んでいる。


この辺りもよくわかる描写なんだが白眉はそのあとの色紙をプレゼントするシーンだ。こういう場ではよくある設定でクラスみんなからガンリュウにあてた励ましのメッセージを渡すんだが、クラスの子供たちは日頃の強気のガンリュウとのあまりのギャップに圧倒され、事態が切迫していることを思い知らされる。

そして「早く元気になってね‼️」とか「また一緒にケンカしような〜」みたいな寄せ書きが本心からガンリュウのことを心配して書いた文面ではなく、みんなが書いてるからとかちょっと気になるから程度の真心のこもらないおざなりなものであることを深く自覚するのだ。

子どもは変な思い詰めることがあるから「こんな色紙持ってくるんじゃあなかった」とか「書いなおしたい‼️」はては「色紙は手の届くところにあるから、今すぐ破り捨てたい‼️‼️」とまで思うのだ。

たかがクラスメートのお見舞いですよね、心の底から心配しないといけないわけはない、おざなり、その場限りのきれいな言葉で何の問題もない。大人だったらそれが正しいことはよくわかっている。でも子どもってバカだからね〜

ここら辺はうまいよね、さすがは重松清と認めざるを得ないなあ。

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2020-06-24 13:07:00

古本屋の経営に関して不思議に思うことがある。
お客さんから連絡をもらって本を読んで買取に伺うのだが98%くらい、最近の文庫本や小説の単行本です。
佐伯泰英や宇江佐真理の時代小説、半沢直樹、小川洋子、その辺りが多い。この売れ筋の本は店舗販売であれば捌くことができる。
店頭に100均で並べておけば売れる。

しかし通販で売れるかというと、売れないことはないが1円と送料という価格設定になってしまい商売として成り立たない。

わたしがホームページやヤフオク、Amazonなどで販売しているような本はなかなか客からの買取では揃えることが難しい。

もちろん店舗を構えて昔からやっている古本屋の中にはその手の売れる本でなおかつ価値のある本を客買いで調達できるお店もある。
それはその店に付いてる客がいてその辺の普通の人ではないから可能なんです。一応大学の先生や医者、マスコミ関係、出版業界など仕事として本を使う人を客として抱えているので、定期的に売れる本を入手できるルートが確保してあるわけだ。

でもそれは一部の古本屋にのみ当てはまることで大半の古本屋はそうではない。

だから仕入れる本の処分にいつも頭を悩ませることになる。時にはせっかくエレベーターなしで5階から下ろして、ダンボール詰めして車に積み込んで、汗みずくで店や倉庫に運び込んだ本をつぶしにしてほかすこともしばしばある。「こないなアホなことしとってええんかなあ〜〜」という疑問が去らないのだ。

 


以前かなりたくさんの社科学系と単行本を売ろうと思って、大阪が誇る天牛書店にメールで相談したことがある。連絡がメールであって「ご住所が旭区でかなり遠いし、社会科学系の本は古くなるとあれなので、店までお持ちになれば買取りますが、出張買取はできません」とのことだった。
確かにせっかく車で買取に伺っても商品化できないものばかりでは難しい。


先週本の雑誌社から「本の雑誌の坪内祐三」が出た。


坪内が死ぬまでに本の雑誌に書いてきた様々な論考や座談などを集めた本だ。


この中に東京の町田にあった高原書店の話がある。高原書店は4階建てのビル一棟が古本屋で店主はどんな本でも、雑誌でも基本的には断らず買い取る方針で経営していて、倉庫を徳島に構えてものすごい量を抱えていた。


「どんな本でも探している人はいるんだ」さらに「本に高いとか、安いとかはないんだ」と社長はよく社員にのたまわっていたそうだ。
「どんな本でも探している人はいる」これは古本屋ならうなずける話ですが、後者の「本に高い、安いはない」との主張は衝撃的です。
確かにネット通販が普及した今日、どんな本でも必ずあるのは間違いない。
「今、ここでこうとかんともう会われへんのん、ちゃうか」などということはない。


毎日会える、24時間会える。


だからプレミアなんか付けて利益をあげることに血道をあげずに、どんどん仕入れて安く売るのが大切だという主張には説得力を感じずにはおれない。
ただ問題なのはその天下の高原書店が去年倒産してしまったことで、これにはびっくりしたなあ。

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2020-06-23 10:49:00

今月初めから小学校も、自粛蔓延から抜け出してようやく再開している。

門真市でも高槻市、大阪市でもそうなんだが、5年生はもう週5日、6時間目までやっていると子どもから聞いた。その上朝に15分、始業を早めて国語、算数、理科、社会をローテでプラスする、給食は従来30分確保していたが、再開後は15分に短縮されるなど、なかなか休み明けの子どもにはストレスフルな状況のようだ。

学校の先生にも知り合いがいるんだが、何でも進度が全然行かないという。予定していた問題や単元をこなせない、子どもが集中して聞いてくれないからで、わずか50分程度の授業中に手を挙げて「トイレいかして‼️」と頼む子がえらい増えたそうだ。

子どもにしたら2ヶ月以上自粛蔓延で、外出もままならず、家に軟禁される状態が続いて、いきなり朝から勉強漬けでは慣れるのが大変だろう。

もちろん、常識もあって、世間知にたけた子どももいて、大人が何を言おうが「バカが何ゆうとんねん」でスルーするのだが、かなりの子どもは判断力もないし、悪い意味で素直なので、大人の言うことを何でも正しいと受けとるやつもいる。

その辺は指導者が一人一人の資質をチェックしてアドバイスすべきなんだが、学校現場は忙しいからそんな理想は追求できないよなあ。


2020-06-22 16:00:00

山本博文が新潮新書から「関ヶ原の決算書」を出した。

本書の奥付裏には山本が「本書の校正をすべて終え、直後」亡くなったことが書いてある。また60くらいなのに残念だ。


山本によると大名の年収は10万石の場合年収は4億8千万くらいなんだそうだ。
かなりなものだがこの中から居城の維持費、直属部隊の槍やヨロイの装備費、さらに戦争時の兵糧米の費用、馬の飼葉代、運搬の諸費用などを捻出しなければならず、なかなか大変だった。


何せ兵隊は1日に5合の米を食べる計算になっているそうだから1000人の兵隊を1日動かすと米代だけで40万かかるというから、特に戦時には大変な負担になる。


山本は資料を博捜して賤ケ岳の合戦時、秀吉は合戦場近隣の村々にふれをだして、兵糧米を持参したら買い上げるようにして、迅速な進軍を実現したという。


合戦を支えた財政事情を明らかにした点で極めて独創的な研究だよなあ。


関ヶ原の合戦の真相に関しても東軍が7万くらいの軍勢を抱えていたのに対して、そもそも西軍は3万にも満たない劣勢だったこと、大津城を攻め落とした立花宗茂や小早川秀包ら1万5千の西軍精鋭が到着する前に合戦が終わってしまったことが書いてあって、徳川家康の機敏な動きに翻弄されたことがよくわかる。

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2020-06-21 16:52:00

角田光代の「キッドナップツアー」は小学生の課題図書として定番で、中学入試にもよく取り上げられている作品だ。

しかし小説作品はそもそもレベルが低く、つまらないものでも需要は旺盛なのでいくらでも出版されてしまう。

この作品も夫婦喧嘩で父親が娘を連れて家を出てしまうことを「ユウカイ」と表現してそのドタバタ劇を描いたものなんだが話の水準が低いことはいうまでもない。

父親は娘を連れて旅行しているのだが、母親から追及され、所持金もないので娘を母の元に戻すことにするシーンがある。
父親は娘に「電車賃がないので、この近くの友人のところに行く。電車賃ぐらい貸してくれる」と言うのだが、その近所に住んでいるという友人のところまで行く電車賃すら無いという設定だ。

さて父子はどうするんでしょうか❓

普通なら友人に電話して金を持ってきてもらうでしょうな、あるいは事情を話して駅員からお金を借りるか、切符を手配してもらう、交番に出向いてお金を貸してもらうあたりが常識ですな。子供連れだし問題は何も無いのに、この設定は極めて不自然だ。

結局なんと父親は駅の自転車置き場に出向いて泥棒しようとする。


娘は「それだけはよそうよ」と必死で止めて結局自転車の残骸が積み上げてある墓場のようなエリアに出向いて「3時間悪戦苦闘して」一台のまともな自転車を作り上げようとする。

3時間も廃車置き場で真夏の熱い盛りに異様な2人組がごちゃごちゃしたたら、いくらなんでも通報されるか、その前にいろんな人から声をかけられるだろう。極めて不自然なストーリーだよなあ。

要するに自転車泥棒のような犯罪に手を染めることなく、人様のものには手を出さないで、がんばりましたという話にしたいだけだ。
まあこれを読んで納得する子どももバカなんだが、書く方はもっとバカだよなあ。

角田光代はエッセイはまだマシで、旅が好きだという話を書く。ガイドツアーのようなお膳立てされたものや、高級なホテルを泊まり歩くような旅行ではなく、それこそバックパッカーのように路地裏や裏町を訪ね歩く。言葉も通じないし、アクシデントにも見舞われてそれこそ二度と旅などごめんだとつくづく思うんだが、それでも懲りずに出かけていく。

彼女によればそれは「信じられないような瞬間」に引き寄せられるからなんだという。

中国の大都会の車がビュンビュン行き来する幹線道路になぜか子犬が取り残されて、今や信号は変わろうとしている、あわやという時に、なんでもないように3人の少年が道に駆け出して子犬を拾い上げて道の脇に移してやって、「ハンカチをひらうような自然ななんでもない動き」だったという。



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