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古本屋日誌

2020-06-15 16:00:00

神戸の西に「ふらり堂」というリュースショップがあって古本もたくさん扱っている。
ここのブログも仕入れがあった時の模様があれこれ細かく書き込んであって面白い。


なんでも去年の11月末にはダンボールで150箱を超える出張買取があったし、その直後にも何度も35箱や40箱の買取も続いたそうだ。
ブログにはお客さんの許可を取って買い取った本を縦に積み上げた、巨大な本のタワーが林立するさまが誇らしげに掲載してあって圧倒される。
なんでも三階から下さなければならず、大変だったとか、作業開始時は気温は2度しかなくブルブル寒かったが、作業しているうちに暑くなった、終了時にはさすがに肩がバキバキになったのだそうだ。


あれですね、150箱の本というのは私がかなり前に宿替をした際と同じで、もちろん業者に運搬を依頼しているので、自分では箱に本を詰めただけなんですが、それでももう嫌になりましたし、埃まみれにもなりました。
私なんかはもうそれだけで「二度と宿替なんかいやや〜」となってしまいました。


でも古本屋の仕事は宿替が毎日毎日で、梱包から運び出し、倉庫への搬入まで全て自前でやるわけですから、想像しただけで怖気づきます。


これはもう職業倫理の問題ではないでしょうか❓世間さまのお役に立てるように粉骨砕身がんばるのがおとなというものだ、骨身を惜しまず、しんどい思いをすることが仕事なんだ、お金を大事にするのは厳しい仕事に耐えたという証であるからだというやつで、宇野浩二が「大阪」の中で縷々述べていました。


でも考えてみたら商売はだいたい同じようなもので八百屋にせよ果物屋にせよ朝早うから卸売市場に出かけてええもんを競り落として、重量にもめげずに店まで持ち帰り、お客さんのお眼鏡にかなうように美しく整えてお出しする。
商売の街大阪は極めて因習的な職業倫理に忠実な街なわけですよね。


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2020-06-14 11:53:00

ユニクロで下着から靴下、セーター、カッターとなんでも面倒なので揃えてしまう。


お客さんのところに買取に出向く際の薄手のズボンも黒い同じのを2枚こうている。
ベルトをすることもできるが、腰周りにするりと紐が通してあってこれをおへそのあたりで結んだらずってくることもないような作りだ。


紐の結ぶ強度を変えたら、腹具合に応じたウエストを実現できるので、ベルトの規則的な穴でしか調節できないズボンに比べてズボラ度も上がっていて魅力的だ。


お客さんの家に伺って査定したり、段ボールに本を入れたり、あれこれお話をお聞きしているうちに催してきてお手洗いを使わせていただいた。


ズボンの紐は引きとけ結びだから、長く垂れた紐を強く引っ張れば瞬時に自由になるはずで、危機も迫っていることもあり、かなり力を込めて引っ張ったら、結び目が小さくなってひきとけない。


何か引っかかっているだけだろうとさらに力を込めて引っ張ったら黒くまあるい絡まった輪っかができて紐は狭まったきりで腹を圧迫してくる。
まあそういうこともあるかと軽く考えて、自分のヘソの辺りを首を曲げて見下ろして両手の親指、人差し指でなんとか緩めようとするのだが、案に相違していっかな緩まない。


普通に考えたらボールペンか何かがあったら、先端を固くしまった紐の中に割り込ませて強く力を込めれば緩められそうだ。ところがボールペンは部屋の外のリュックの中にしかない。
さて、私はどのようにしてこの難局を乗り越えたでしょうか❓



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2020-06-13 10:55:00

「もう一つ上の日本史」を書いた浮世博史は中学受験進学塾の浜学園や希学園に長らくいたという。
難関中学に合格させることが目的の進学塾で、学会の最新の歴史のトピックスに常に興味関心を持ち続けるのは可能だったんだろうかね。

とまあ人の生き方にあれこれ口を挟むとはおこがましいんだが、塾ではういていたんではないのかなあ。

私は天王寺高校の出身なんだが、文系、理系に関わらず、授業は極めて恣意的で到底文部省の指導要領に準拠していたとはいえないものだったなあ。

英語はシェークスピアを購読したがそれはいいとして、16世紀の彼の在世時の英語を読まされた。確かに今日の英語とは大きく異なることは理解できたが、普通に現代の英語を学ぶ方がいいのではないかと当時も思ったなあ。

国語は半年かけて源氏物語を購読するもので、確かに日本最高の物語であることは実感できたが、宿題は竹取物語の全文を写してくることで、意味がよくわからなかった。

教師に「えー習字やあろまいに、何の意味あんのん‼️」と尋ねてみたが「あーあれやな、古文の理解を深めるゆうのはそれが一番ええのや」とわけのわからない話だった。

漢文は「論語」を一年かけて教師の手書きのガリ版で学ぶものであり、それはまだいいとして、内容がわけのわからないものだった。
なんでも「論語」の各文末には語調詞なるそのセリフを口にした際の口調を表す記号が付いているとのことでいくつもに分類した語調詞の意味を学ばされた。
当然「先生〜これって聞いたこともない話なんやけど、あなたが勝手にゆうてはることですよね」と聞いてみたら苦笑まじりに「いや、わしだけやのうて、〇〇先生もゆうてることやねん」と全く説得力のない話をしてくる。

倫理社会はデカルトの「方法序説」、ベーコンの「ノヴムオルガヌム」を購読する授業で、面白くはあったが指導要領には抵触しそうだ。

数学は予習などは禁止でその場で考えさせて解き方を言わせる、あれこれの解法や規則性は教えない、基本事項から自力で導かせるものだった。教師は「それが一番力が付くんや」と得意げだったんだが、私はそもそもマイペースな人間で、びびりだし、弱気なのでこの授業方針そのものに馴染めなかった。
だいたい基礎事項から様々な解法を導けるなどというのはバカの思い上がりだろう。アマゾンの原住民の数学得意な子どもが80年かけてその生涯の果てに微分方程式にたどり着いたとして何の意味もあるわけない。それにそもそも入試の数学でそこまでのセンスやレベルは必要ない。

というわけで天王寺高校にせよ北野高校、四天王寺高校、聖光学院でも似たり寄ったりでまあ受験指導なんかしてないわけですな。


これはこれで意味がないわけではない。知的好奇心をくすぐり、将来伸びる子どもの土台を作る作業かもしれない。ただまあちゃんと力のある子は別にどんな教育でも芽は出ますけどね。

というわけで、浜学園や希学園のような難関校に的を絞った塾では同じような適当な教育を許す土壌があったのではないかと言いたいわけです。

でもまあ天王寺高校もそうなんだが教師は落ちこぼれの成れの果てなんですよね。おそらく学歴はへんにいいんです、京大文学部、東大文一とかごろごろしています。でも根が怠惰で努力できない、才能も中途半端で辛抱して自分を認めさせる余裕を持てない人ばかりです。
その連中が難関高校に職を得てまあ好き勝手やってるわけで、私は決してこういう怠惰で投げやりな種族を評価しません。だいたいがバカですからね。

でもその掃溜から彗星のようにあらわれた浮世博史は認めざるを得ないよなあ〜

ただまあ、進学塾ではういた存在で生徒からもアンケートやらでは評価されず、同僚の教師からも「進路指導をなめている」とうとんじられていた可能性はある。そのプレッシャーがバネになってますます研究にのめり込んだり、見返してやるんだという執念に拍車がかかったりもしたのではなかろうか。
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2020-06-12 11:38:00

浮世博史の「もう一つ上の日本史」の下巻は明治以降を扱っているのだが、白眉は大東亜戦争に関する部分だ。

百田尚樹の「日本国紀」をネタに真実を語る体裁で、自己の見解を表明するだけにとどまらない資料の博捜が最大の特色だ。

例の三月十日の東京大空襲に関して百田尚樹は当然「一般市民の大量殺戮を狙って行われたものだった。……その結果一夜にして老人、女性、子供などの非戦闘員が十万人以上殺された。これはハーグ陸戦条約に違反した明白な戦争犯罪行為だった」と書く。

浮世博史はその通りだと書いた上で興味深い資料を出してくる。

まず無差別爆撃を立案して実行したカーチス・ルメイに後に、航空自衛隊の育成に功ありとして勲一等旭日章を贈った件に関して、当時の総理、佐藤栄作は「今はアメリカと友好関係にあるから功は功として報いるのが当然」と発言した。それに対して昭和天皇は、通例勲一等旭日章は天皇自ら授けるものなんだが、ルメイには授けなかったとある。


またNHKが特番でルメイに「東京大空襲の戦争責任は❓」と問いただした話も書いてあってルメイはそれに対して授かった勲一等旭日章を取り出してきて見せたのだという。

さらに安倍晋三の見解についても2013年の5月の閣議決定「東京大空襲は当時の国際法に違反して行われたとは言い切れないが、国際法の根底にある基本思想の一たる人権思想に合致しないものであったと考える」も引用してあります。安倍晋三はこれに続けて東京大空襲は「歴史的な事象」であり、その判断は専門家に委ねられるべきものと考えるなどと発言しているそうです。


なるほどね〜よく調べたものだよなあ〜
まああれですね、確かにアメリカのやり方はナチスドイツのユダヤ人虐殺と何にも変わらない犯罪であることは間違いない。その上で戦後の我が国はそのアメリカにおんぶに抱っこで現在に至るまで恩恵を蒙っているわけだから、問題は百田尚樹の言うような単純なものではないよね。

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2020-06-11 15:09:00

うちの猫は今年6つになりますが、これまで獲物を持ってきたことはありませんでした。

いろんな雑誌を見ているとやれスズメを目の前に落としただの、バッタをくわえてきただのが載っていて、そういうこともあるのかでした。

なんでも狩をして獲物を捕まえられない飼い主を哀れんで、恵んでくれているのだそうだ。

もっとも家に出没するアブラムシはそれなりの速さで動くのが楽しいのか、執念深く追いかけて捕捉し、バラバラにして足を除いて全て召し上がっていることは何度もありました。

しかし今朝廊下の真ん中に動かない黒いものがあり、よく見てみたら、足が全てないアブラムシで、横に雌猫かちょこんと座っています。
先日も外に出した際、背高泡立草の巨大な群落にモンシロチョウがフラフラやってきた。
雌猫はしめしめと飛び出してジャンプしましたが、もちろん簡単にかわされていました。
まああれですね、チョウはハードル高すぎる。

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