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古本屋日誌
昨日は昼間はかなり暑かったが、カラッとしていて日陰や風のあるところでは涼しくしのぎやすかった。
久しぶりに甲子園まで出向いてジャイアンツ戦を見た。ジャイアンツの先発ピッチャーの制球が定まらず、ファーボールを5つも出してくれたり、センターが飛球をダイレクトキャッチしようと突っ込んで取ることができず、後逸したため、糸井のシングルヒットがスリーベースになったりしたおかげで、タイガースは危なげなく完勝。
しかしまあ野球にファーボールはつきものだし、エラーもあって当たり前なんで、常にランナーが塁上を賑わすベースボールらしい試合でした。甲子園は土のグラウンドなので、人工芝のドーム球場に比べて、凸凹も多い。つまりそのぶんだけイレギュラーバウンドも増えるわけだから、エラーもしやすくなっていて、見ていて面白いはずなんですが甲子園園芸の整地能力は高く、なかなかそうはならないのが残念だ。
試合が終わってから近所のバー「GROUND」に出向いてウイスキーを飲んだ。ここは世界の盗塁王福本豊の経営する店だそうで立派なカウンターとテーブル席が揃っていて、飲み物のメニューは置いていない。バーテンに「これこれこんな感じのウイスキーはないのか?」と相談しながら決めていくシステムで、なかなか面白い。
仁徳陵は断層の撓曲部分に作ってあって、地形は海に向かって下がっている。大阪湾に向かい長い縦方向を見せていて、大阪に入ってくる船にその巨大さを見せつけている。朝鮮半島の古墳は円墳が多く、規模も小さいからデモンストレーション効果は大きかっただろう。
墳丘は元は石で覆われ、円筒埴輪の列が取り巻いていて、その数は3万くらいあったのではないか。墳丘を覆う石は近くにはなく、かなり離れたところから運んでいる、石棺は高砂市から来ていることが判明している。
百舌鳥古墳群と古市古墳群を結ぶ竹内街道は古道で攝津と和泉の国境となっており、堺は国と国の境目ということで中央からの統制が届きにくく、ために自由な雰囲気があった。
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今朝は雨も上がりしのぎやすい。
先日「月刊京都かわらばん」の創刊号から冬眠号までの揃いを手に入れました。
1976年に出来た京都のイベントガイド誌で1978年まで発行、これまで何冊か手に入れたことはありましたが、26冊揃ったのは初めてです。もちろん大阪の「プレイガイドジャーナル」を意識した雑誌で本家がいしいひさいちの「御漫画」ならこっちは同志社大学漫画研究会の貧乏学生マンガ、青春街図に対して「京都見て歩る記」なるイラスト付きのルポてな感じです。
同志社大学漫画研究会の作品は赤ヘルの学生のデモ隊を物干し場から見て「デモもえらい数が減ってしもて」と後輩が先輩に呟く、デモ隊が各々持つ竹竿に目がいってたたみかけるように「竹竿もすけのうなってますな」となって先輩が物干し竿にしている竹が描いてあって、トドメに「そういえば先輩は学生運動してはったんですね」でおしまい。
説明しすぎで、才能は感じられませんな。
是非お求めください。
けさは夜前からの雨でしのぎやすいです。この数日30度を楽々と超えてくる猛暑で大変でした。
最新号の「週刊ポスト」に呉智英の連載があってフェルマーの定理の証明に貢献したという数学者の志村五郎の著書の話が載っていました。
志村五郎の本は平凡社から2010年に出た「鳥のように」というエッセイ集で、早速一読しました。御歳80を優に超えていながら博覧強記な上に減らない毒舌が何の未練会釈なく炸裂する面白い本だ。
批判の矛先は中学時代の数学の教師から始まって、東大時代の数学の講義のくだらなさ、さらには功なり遂げた画家、例えばシャガールやピカソは世間受けする構図でしか描かなくなったと批判する。
さらに北斎は下手くそな画家で人物はワンパターンで変化もなく生々しさは微塵もなく、その欠陥が風景画にも滲み出ているという。
丸山真男は漢籍の知識がありそうに見えるが、実は大したことはなく「春秋の筆法」すら知らなかった。マナーにも問題があって部下を連れてアメリカの筆者の家を訪れた際に寒いのに皆コートを脱いで玄関に並んでいた。つまり丸山はつい日本の習慣で上着を脱いでしまったんだが、部下が変な顔をしているのにそれに気づきもしないというのだ。
果ては天皇制は愚劣であり、こんな神がかったものを作った明治の元勲はどうしょうもない。天孫降臨の神話など子どもに教えていたが、ありもしないことだからいくら子どもでも信じることはなく鴎外の「かのように」同様に扱っていただけだし、御真影などと称して子どもに拝ませるなどあきれるばかりだ。薩長は単に権力を奪い取りたい野望があっただけで、その後のビジョンなどなくとんでもない連中だ。「教育勅語」などはじめの方などあまりのくだらなさに怒りを覚えるという。
こんな調子で面白い。天皇制批判は確かにそうだろうが、梅崎春生の「馬の顔」の痛烈な批判に匹敵するものだ。
呉智英はその上で自分はもちろん君主制など認めないし、いわんや民主主義のような平等思想に基づく体制は認めないとして徳治制が良いとする。
今朝も朝はよう晴れて暑い。
昨日で「白い巨塔」のドラマが終わったが、勧善懲悪の話にしてはできが悪い。「南総里見八犬伝」と比べるのは酷だとしても、何でもかんでもいいものと悪いものに分類して疑うことをしないストリーメイキングは退屈な上にリアリティはない。
ただ世間には大変な数のヤブ医者がいることも事実で、これは大変なことだか、どうしょうもない。かなり前に結核に感染して寝屋川市の「大阪病院」に入院したが、痰の検査をしても菌の数が少なく確定できないからしばらく培養して菌を増やして、結核菌がいるかどうか調べたい、その間は「もちろん入院してくれ」とのことだった。
ここまではありがたいのだが、医師の診察の際「結核菌とエイズの菌はよう似ていて、今の段階では結核なのかそれともエイズなのかわからないな、それでね、これまでの女性関係のあれこれを話してもらわれへんかな?」と言われたのにはびっくりしました。
またこれもだいぶ前のことなんですが、朝起きてなんか胸のあたりが苦しい、息苦しい、締め付けられるような脂汗が流れるような感触なので、近所の総合病院に出向いて診てもらいました。心電図やレントゲン、血液検査などあれこれをして、それらの画像を前にお医者様は「うーん、うーん、これなあー」と独り言を言いながらこちらの方はお向きにはなりません。なんか好ましくはない事態になってるのか、診断が付かず迷てるのか、はたまたこの医者は単に腹痛に苦しんでるのかようわからなかったが、とにかく長い。5分くらい考え込んで「まあ、あれやな、筋肉疲労やな、数値に異常はあらしまへんな」でした。この医者は体に悪い。