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古本屋日誌

2019-05-26 10:41:00

この2日非常に暑い。さほど湿気はないもののまるで7月の盛夏のような気温でクーラーをつけたくらいだ。

ABCのドラマ「白い巨塔」は主演が岡田准一で、初代の田宮二郎同様甘いマスクで、どんな風に醜く歪むのか興味深く拝見しました。 

岡田は当初金で票を買うことや、苦しむ患者に寄り添う苦しさを表情ににじませる気弱なところもある医者として演じていたが、教授になってからは傲岸不遜を地でいく演技になりました。なかなか器用で素晴らしい。

このドラマの問題は経験豊富で、オペの腕もたつ岡田准一がミスを犯すことで、どうも説得力がない。「いくら腕があっても、人を人とも思わない態度ではいつかその報いがきます」みたいな退屈な勧善懲悪思想がありますね。

これは大阪の大衆に顕著な特徴で可愛げがなくて威張っているタイプが嫌いなんです。

もともと山崎豊子は財前が教授戦に勝ち、教授となり、第一外科に君臨し、医療ミスで訴えられた裁判も乗り切って帝国を作り上げるところで完結させていました。その後「これでは悪人がのし上がるという話で支持が得られない」との編集サイドの要望で無理やり控訴審だの胃がんに倒れるだのを追加した経緯があります。

 


2019-05-25 11:43:00

今朝NHKの例の「チコちゃんに叱られる」で「なぜ大阪のおばちゃんは派手な服装をしているのか?」なる質問がありチコちゃんの正解は「お上の言うことを聞かなかったから」だった。

解説で相愛大学の前垣和義が徳川時代、華美になりがちだった庶民の服装を水野忠邦の天保の改革で取り締まったが、大阪はお上に従わない風潮があり裏地に贅沢な素材を使ったり、下着を華美にしたりしていてその流れが今に至るまで受け継がれているのだと言う。

井上章一などが関わっていた雑誌「現代風俗」には何回か大阪、京都、神戸、東京でヒョウ柄やアニマル柄の服を身につけている街ゆく人の実数調査が掲載してあるが、一貫して大阪は最下位である。神戸や東京の方が多い。したがってNHKの出してきた質問自体が間違いであり、大阪を貶めたい偏見に満ちたものであることは明白である。

また前垣和義は天保の改革以降も大阪人はこっそり服に金をかけていたと言うが、じゃあ京都はどうなんだ?着倒れと称して徳川時代から極めて衣服には贅を尽くしていることが様々な文献にもあるのだが、これは水野忠邦に逆らって「お上の言うことに逆らっている」わけだ。前垣の論からすれば京都人はさらに輪をかけてヒョウ柄やアニマル柄を身につけていないといけないことになるが、もちろんそんなことはない。

だいたい前垣も言う通り大阪人の衣装の金のかけ方は人目につかない裏地とか下着なわけで、ヒョウ柄などのように人目を驚かせるような上着ではない。この程度の説を説いて大学の先生だと称しているんだからバカはどうしょうもないな。

昭和32年に朝日新聞社が出した「アサヒ写真ブック」には大阪の特集号があって「食い倒れ」を取り上げてある。見開き2ページに食い倒れの証拠となる写真が載っているんだがまず道頓堀の「くいだおれ」が「表通りから裏通りに抜ける料亭」なるキャプションで紹介がしてあるがどう見ても料亭ではない。コの字型のカウンター席があって、普通の一杯飲み屋でしかない。他にも新世界の串カツ屋、阪急百貨店最上階の家族食堂などが載ってるだけでどこが食い倒れなんかさっぱりわからない。

 


2019-05-24 13:51:00

このところ明治維新が薩長のクーデターであり、幕末の世情も別段騒々しいものではなかったし、諸外国との交易も関税は相対的に日本に有利になっていたこともあって、落ち着いたものだったことなどが言われるようになり、これまでの進歩史観の見直しが進んでいる。

かなり前に渡辺浩が「近世日本と宋学」で細かく論じていたが、昨今は一般に膾炙するようになった。去年森田健治が「明治維新という幻想」でこれまでは岩波文庫やら角川文庫やらでペリーの書いた日本遠征記は刊行されているのに、肝心の幕府側の林大学頭が残した

墨夷応接録  

の刊行が行われていないと書いていた。林は幕府きっての海外通でこれまで日本に接近してきた諸外国とのやりとりを綿密に調べ上げ、その対処法を建白していた人物だ。森田の発言もあり、このところの風潮にも押される形でようやくこの本が刊行の運びとなった。

さらに先日のNHKで林大学頭のペリーとのやりとりをまとめた特集が放送された。

幕府はオランダからの連絡で、アメリカが来ることはわかっていて阿部は長崎に侍を集めて英語を学ばせてその日に備えることにした。

その上でイギリスはアヘン戦争でシナを侵略したとんでもない国だし、、ロシアとも国境紛争をかかえているから、アメリカを相手にするのが相対的にはましだと判断し、むしろ積極的に交渉相手をアメリカにした。

さてやってきたペリーの要求は漂流民の保護、薪や燃料の補給、貿易の三項目だった。1854年の1回目の交渉でいきなりペリーが「日本がこれまでのように沿岸に近づく外国船を砲撃するなら戦争に訴える。」と脅しにかかると、林は「これまでもきちんと薪や燃料を供給している。いつの話をしとるんや」と説いてペリーを黙らせた。
2回目の交渉ではペリーが「長崎の他にもたくさんの港を開いてくれ」「あなたは幕府の全権なんだからいちいち問い合わせることなくこの場で返事をくれ。」と強硬な姿勢を見せた。

林は前年の国書に開港地の数への言及がなかったことを思い出して「それやったら何で去年の国書にようさん港を開いてくれと書かへんねや。突然の要求では返事のしようがない」と逆襲して7日の猶予を得る。
てな感じだったとの話でなかなか面白かった。

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2019-05-23 07:49:00

昨日の朝日新聞の「天声人語」で評論家の加藤典洋が死んだことを取り上げ、その「敗戦後論」につながる文脈でマークゲインの「ニッポン日記」が出てきた。
GHQから日本国憲法を示されて「15分だけ時間をやるから見てみろ」と指示される、しばらく経って現れたGHQの担当者は「原子の力を感じる太陽の下でくつろいでいたよ」と言い放って原爆を落としてやったよなと圧力を加えてきたと言う話だ。

加藤典洋は憲法が押し付けであったこと、アメリカへの服従が依然として続いていることを指摘して、護憲派のいう憲法擁護に一石を投じようとした。この流れは今もくっきりしていて白井聡がそうだ。
加藤典洋や白井聡は日本が国家として不十分で、アメリカから自立しないといけないと言っているわけだが、何の説得力もない。戦後の70年以上アメリカに依存して、特段問題なくやってこれたわけだから、彼らの言動にはリアリティがない。プラトンの「国家」やルソーの「社会契約論」を読みかじり、一知半解に無い物ねだりをしているだけだ。
伯夷叔斉は殷周革命を嫌い、周のぞくははまぬと首陽山で山菜を食べて餓死した。加藤典洋にせよ、白井にせよ、せめてそのくらいの気合は示してもらいたかった。まあ口だけの曲学阿世には思いもよらなかったろうけどね。

加藤にせよ白井にせよ、御都合主義の節操のなさが気になる。アメリカの核の傘で防衛されて、繁栄を謳歌、両人ともにその恩恵を十二分に受けつつ、なお反米を唱え、自立をゆう根拠がよくわからない。

伯夷叔斉でも「食っているその山菜は周のものやろ、周の世話にはならんと言うのなら、何で食べるんや」という批判もあった。


ラテンアメリカの左翼ゲリラ「センデロルミノソ」は現行の政府権力を一切認めず暴力で権力簒奪を目指したが、その是非はさておき現行の政府が提供する社会福祉や年金、その他は全て受け取りを拒絶していた、当然のことだろう。


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2019-05-22 01:21:00

呉座勇一の「一揆の論理」はもともとトンデモ本で一世を風靡した洋泉社から出た本だった。ボレミティックで、若い頃の呉智英を思わせる傲岸不遜で、挑発的な行文が楽しかった。
呉座の大風呂敷が愉快だ。曰く「日本では大衆がデモなどで集まって政治を動かす伝統がない」「戦後の食料メーデーは25万を動員したし、60年安保もかなりの人が国会前に集まり抗議したが安保条約は批准されてしまった」
なるほどそうかもしれない。別に大衆が世間を動かさないといけないわけでもない。

網野善彦は後醍醐天皇がバサラで、鎌倉幕府に対抗するために土民や大衆を組織して戦ったと主張し、お高くとまったイメージの皇室の歴史的なありかたに一石を投じた。しかし網野も結局左翼であって、大衆のエネルギーなるものに幻想を抱いていた。

しかし呉座勇一はそんな旧時代の幽霊に一切とらわれない。

唯物史観に毒されて一揆は反体制的で、竹槍で武装していて非妥協に戦った階級闘争だとか、直訴はご法度で佐倉惣五郎のようにいくら百姓に分があっても処刑されてしまうとか、われわれが高校で教わった知識がおかしいことは岩波新書の勝俣「一揆」などで明らかになってきた。
呉座のこの本はその流れを決定づけるもので、徳川時代の一揆の武装は竹槍ではなく、鎌や鋤であり、不当な年貢を要求する代官の罷免を藩主に願い出るもので、決して体制変革的なものではない。また直訴した首謀者も処刑と決まっていたわけではなく、許されたケースの方がずっと多いとある。

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