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古本屋日誌
このところ明治維新が薩長のクーデターであり、幕末の世情も別段騒々しいものではなかったし、諸外国との交易も関税は相対的に日本に有利になっていたこともあって、落ち着いたものだったことなどが言われるようになり、これまでの進歩史観の見直しが進んでいる。
かなり前に渡辺浩が「近世日本と宋学」で細かく論じていたが、昨今は一般に膾炙するようになった。去年森田健治が「明治維新という幻想」でこれまでは岩波文庫やら角川文庫やらでペリーの書いた日本遠征記は刊行されているのに、肝心の幕府側の林大学頭が残した
墨夷応接録
の刊行が行われていないと書いていた。林は幕府きっての海外通でこれまで日本に接近してきた諸外国とのやりとりを綿密に調べ上げ、その対処法を建白していた人物だ。森田の発言もあり、このところの風潮にも押される形でようやくこの本が刊行の運びとなった。
さらに先日のNHKで林大学頭のペリーとのやりとりをまとめた特集が放送された。
幕府はオランダからの連絡で、アメリカが来ることはわかっていて阿部は長崎に侍を集めて英語を学ばせてその日に備えることにした。
その上でイギリスはアヘン戦争でシナを侵略したとんでもない国だし、、ロシアとも国境紛争をかかえているから、アメリカを相手にするのが相対的にはましだと判断し、むしろ積極的に交渉相手をアメリカにした。
さてやってきたペリーの要求は漂流民の保護、薪や燃料の補給、貿易の三項目だった。1854年の1回目の交渉でいきなりペリーが「日本がこれまでのように沿岸に近づく外国船を砲撃するなら戦争に訴える。」と脅しにかかると、林は「これまでもきちんと薪や燃料を供給している。いつの話をしとるんや」と説いてペリーを黙らせた。
2回目の交渉ではペリーが「長崎の他にもたくさんの港を開いてくれ」「あなたは幕府の全権なんだからいちいち問い合わせることなくこの場で返事をくれ。」と強硬な姿勢を見せた。
林は前年の国書に開港地の数への言及がなかったことを思い出して「それやったら何で去年の国書にようさん港を開いてくれと書かへんねや。突然の要求では返事のしようがない」と逆襲して7日の猶予を得る。
てな感じだったとの話でなかなか面白かった。
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