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古本屋日誌

2021-02-28 20:04:00

会社の定期検診というのがある。

特に問題がなくても年一回指定のクリニックに出向いてあれこれ体を調べる。

正社員なら胃カメラなんかも必須のようだ。

かなり前だがまだ若い友人がこれに引っかかって胃癌の診断を受けたことがあった。

なんでも定期検診では「胃の形が歪になっているから、精密検査を受けてくれ」と言われて、バカ正直に再検で胃カメラを飲んだら、「腫瘍がある、これはがん細胞の疑いがある、がん細胞が正常な細胞を食おうとして、正常な細胞が逃げようとするので胃の形がおかしくなっている」との話だ。

再検査の医者は胃癌の診断をして「3分の2くらいは切り取らなあかんやろおもうわ、だだ確定診断は病理医になるので、このデータを回すからね」と10日くらい待たされたという。

本人は自覚症状は全然ないそうで、やがて病理医からの診断も戻ってきて「切った方がいい、5分の3くらいになるだろうが、腹腔鏡で大丈夫だから」との診断だった。

でも自覚症状もないのに切除手術となると嫌だと思うなあ。

術後は禁煙だし、胃をかなり切り取るわけだから今までのようにバクバク食べたり、飲んだりもできないだろう。

つまり生活水準がかなり下がってしまう。
彼女はまだ30代だし、これからの長い人生、タバコも吸えない、酒もチビチビ、食事もおっかなびっくりというのでは楽しめないのではなかろうか。

手術などせずに経過を見るというのもありだ思うよ、セカンドオピニオンも聞いて判断したらどうかな❓とアドバイスしてみた。

結局彼女は手術して胃の6割がた切除して、今は元気そうだ。



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2021-02-27 00:10:00

私は萱島に住んでいるが、京阪電車の萱島駅の高架下に「つうつう」といううどん屋がある。
出汁がうまくて、定期的についつい行ってしまう店だ。

この名前のことなんだが「うどんをすする音から来てるのかなあ」とか

「つ」の変態がなは「川」だよなあ、また「う」のそれは「宇」のはずだから、「つうつう」は「川宇」だよなあ。「宇」という漢字には「家」という意味でがあるから(八紘一宇)「つうつう」は「川の家」ということかなあ。
などと考えていた。

 

昔の萱島駅の地図を見てみたらちょうど駅の西側で寝屋川が分岐して、その支流がちょうど「つうつう」のましたを流れていたことがわかった。

そうか‼️元は川の上でしたという謎解きなんだなあと考えたりもした。


でもそんなわけないよね、妄想にも過ぎる。だいたいここはうどんやであって、けっして「家」なんかではない。

その後、今も十丁目筋にある古本屋の「杉本梁江堂」が昭和39年に出した「大阪ことばのしをり」を眺めていたらそこに「うどん、つうつう」とあるではないか。

つまりちょっと昔の大阪弁で「うどん」を「つうつう」ということがあったということだ。

同じ欄には「むし芋、ほっこり」「ゆで玉子、にぬき」「餡餅、大福」「雑炊、おみや」「米、どうじま」も出ている。

そうなのか。

「にぬき」は今も使うけどあとは牧村史陽の「大阪ことば事典」でみたことがあるくらいで実際に使うことはないな。むしろ「大福」は逆で小さい頃は「あんもち」としか言わなかったけどなあ。

雑炊をおみやというのも知らなかったな。わたしは住吉区の出だが雑炊は「おじや」とみな言っていた。味噌を入れたら「おじや」は「おみぃのおじや」とゆうてる人もいたけど「おみや」はお土産という意味でしか使ったことがないなあ。

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2021-02-26 11:47:00

桂米朝は講談社文庫の「桂春団治」の解説を書いているなど、春団治に関してあれこれ発言している。

わたしが印象的だったのは初代春団治の「阿弥陀池」に関するコメントだ。

この落語の中で主人公のアホが人をかついでやろうと近所で強盗殺人事件があったという虚偽の受け売り話をするシーンがある。

強盗が懐から抜身のあいくちを出して八百屋の親父に切りつけた。「おやっさん、ぱっとあれかわした」「何かわしたんや❓」
てなやりとりになって、つまり「体をかわす」が出てこないで、四苦八苦する模様が西ノ宮のえべっさんまで引き合いに出して面白く語られる。

米朝はこのくだりについて「しかし『あれかわした』で意味は問題なく通じる。それを『何かわしたんや❓』と尋ねるのはそもそも不自然だ」という。

これは米朝が春団治に嫉妬しているのがよくわかる話だよなあ。

そんなもの相手は「体をかわした」だということなど先刻承知で、おちょくってやろうとして嫌がらせを仕掛けていることなど一目瞭然だろうよ。

聞いてる方も「さ〜て、どないしてこのアホを困らしてやるんやろ、おもろいなあ」と思って一生懸命聴いているわけで、米朝ともあろうお方にしてはバカげた発言だ。

自分にもあるんだけど、思うように表現できない領域って誰にでもある。

米朝にとってはこの辺の途方もないおちょくりの面白さはなかなか出せない話芸の一つで、それを難なくクリアしていく春団治にへんねしを覚えるのはよく理解できる。

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2021-02-25 18:37:00

初代桂春団治のCDが新たに出た。

桂文我のプロデュースで様々なSPレコードから6巻にまとめている。

春団治のCDはたくさん出ていて取り分け「春団治三代」はほぼ全集といっていい博捜ぶりで驚かされた。

今回のは春団治が時間を変えて吹き込んだネタがそのまま収録してあって面白い。

第1巻は「馬の田楽」なんだが7分、13分、12分と3種類だ。長いネタでもうまい具合に切り縮めて不自然さを感じさせない話芸を楽しんで欲しいということだろう。

各巻には冒頭桂文我の解説が収録してある。

春団治に関しては既に富士正晴の浩瀚な「桂春団治」があるのでその焼き直しのような話は聞き飽きている。

文我が何を付け加えているのか❓

例の有名なレコード煎餅の話がよかった。これは煎餅にレコードとしての機能も持たせたもので、春団治の小咄を聞いたあと食べることもできるとの触れ込みで売り出されたものだが、煎餅もそれを収納していたカンカンも発見されていなかった。

ところが10年ほど前そのカンカンに入った煎餅レコードが会津若松で発見されたという。文我は「わたしもそれを手に入れて米朝師匠にお見せしたら『長生きしたんでええもんが見れた』というていただけた」と話している。

このレコードは確かヤフオクに出品されていてかなり高額で落札されていた記憶がある。おそらく文我が落札したんだろう。

それはさておき文我はもう一つ興味深いことを話している。

それは煎餅レコードのお披露目は天理教の開祖40周年祭に合わせたものだったということだ。春団治は天理教と関係があったわけだろう。

そういえば「血だるま剣法」の平田弘史も天理新聞に教祖中山みきの伝記をもちろんマンガで連載した。彼も関係者なんだろう。

しかし、なぜか単行本になってない。

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2021-02-24 16:27:00

講談社学術文庫は国内外のいろんな古典を出版している。

2019年には「古今和歌集全評釈、全三巻」や「宇治拾遺物語、全2巻」が出た。これらはいずれも一冊が500ページを超える厚冊だ。

他にも全4巻の「平家物語」や「醒睡抄」「和英語林集成」「言海」「十八史略」「歌舞伎十八番」「靖献遺言」など枚挙にいとまがないのだがどれもすごく分厚い。

以前はこんなことはなく、今流行の渋沢栄一、全8巻の「論語講義」や全10巻の「今昔物語集」はペラペラでそれぞれ100ページくらいしかない。

これは定価を低く抑えないと買うてもらえないんじゃないかという懸念があったからだろう。

しかし蓋を開けてみたら少々高くてもお客さんは買うてくれるし、逆に薄すぎて何冊にもシリーズがわたるとめんどくさいとのクレームがあって、それではと今のような厚冊かつそれなりの値段が定着した。

それにしても500ページを超えるとなると重たいし、強く開くと開き癖ができそうだし、背割れの危険もある。

電子書籍ならそういった懸念もないわけで、講談社も紙の本と同時に電子版も出している。ただ値段が紙と全く同じというのはいただけないよなあ。ものでなくて情報なんだからその分安くするべきだろう。

電子書籍は高い伸び率で普及していて出版物全体に占める割合も25%に達している。

ただ電子書籍はその85%以上はマンガだ。つまり学術書はもとより、啓蒙書、新書、文庫に至るまで紙の本が圧倒的にシェアを占めているわけだ。

この状態はもう20年くらい続いている。





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