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古本屋日誌
古本屋は「高価買取」をうたっているところが多い。
「高く買うて安う売る」などと大書してる店もある。
ただ買い取ってもらおうと電話してみたら「すみませんがどんなジャンルの本ですか?」「文学書ですか、ほとんど値打ちはないですね、持ってこられても引き取れませんからほかしてしまわれた方がいいですよ。うちの店もいっぱい捨ててます」
「古い社会科学書ですか、そういう類の本はもう古くなると値打ちもありませんから引き取れません」
「お客さんのお住まいは千林ですか、うちからは遠いのでちょっと買取には参れません」とかトーンの低い言葉で、いかにも要らんものを押し付けないでくれとのオーラ全開の応対だ。
これは例えば大阪でNo.1の古本屋である「天牛書店」でも同様だ。
その理由はその古本屋で扱う本のジャンルが狭すぎることにある。
天牛書店ならほとんどの雑誌は扱わない、理系の専門書も、医学書、パソコンのマニュアル本、実用書全般、エロ本、エロDVD、大半の漫画、タレントの写真集すべて、ハーレクインやBLといった文庫本全て、ほとんどの文学全集、これらの本は取り扱っていない。
それ以外の本屋も似たり寄ったりでこうなると客の持ってきた本の大半とか全ては買い取らなくなってしまう。客も不快だし、店も迷惑だからもう電話が来た段階で拒絶しようとするわけだ。
これに対して「ブックオフ」はだいたいなんでもジャンルに関係なく買うてくれる。
電話してみたら「お住まいはどこらへんですか?あー、門真の城垣ですな。何冊くらいありますか?60冊、はいわかりました。最短で行けるのは今週の金曜です。あと本が多すぎてバンに乗らなかった場合は分けて持って帰ることになりますから。また買い取れない本は持って帰りません」てな感じだ。
ジャンルで買い取れない‼️とは言われない。これは客にとってはまことにありがたいことなのだ。
買取の際は一冊一冊値段を付けてプリントアウトしたものを手渡してくれる。
これも普通の古本屋なら「全部で420円です」で終わりなのと比べると客にとってはありがたいよなあ。
ただ60冊の本でパンに乗らないてなマニュアル通りの対応はバカだよなあ。
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郷土雑誌の「大阪春秋」が財政的な事情で休刊するという。
大した赤字でもないのだから半世紀にならんとするこの雑誌は貴重だし、なんとか存続させないといけない。
それにしても郷土誌てへんな存在だよなあ。
万葉集の研究者なら日本で10人くらいはメシが食えるだろう。応仁の乱でも5人くらいは大丈夫だ。
ところが堺市の浜寺公園の研究者なんて存在はそもそもありえない。そんなものにかかずらわっても飯の種にはならないからだ。
でも大阪に住む人間にとっては浜寺公園の歴史、与謝野晶子や中江兆民との関わり、鉄道や近代建築のことを知りたいなどという業がある。
かつて大阪には牧村史陽とか伊勢戸佐一郎とかいうかすみを食って生きているのかという趣味人もいた。しかしそれは例外でしかない。大衆の業や欲に応える待ち合わせはない。
それで出来上がった地域の特集号はどうなるかというとかならず次の三つからなる。
①その地域の大まかな歴史の説明
②鉄道がらみの話
③近代建築や近代文学がらみの話
①は特に執筆者が自分で調べなくても、概説書があるから引き写せばいい。浜寺公園の研究者はいないが日本の中世史の研究家は飯が食えるから自分の研究分野に引き寄せて適当にアレンジすれば原稿は書ける。
②も鉄道がらみはファン層が分厚いから鉄道の歴史にせよ、車両のことにせよ専門家は多いから、これまで分かっていることを引き写して原稿も出来上がる。
③に関しても文学や建築史は大学で講座もいくつもあるし、これまでの積み上げがあるので特に自分で調べなくても大丈夫だ。
このようにして雑誌の大半は焼き直し原稿で埋まってしまうのだが、中に1、2の論考は足で書いて調べた内容で驚かされる。
読者はいつも物足りない思いに苛まれるが、考えてみれば雑誌とはもともとそういうものだ。
「週刊文春」など下らない芸人のゴシップや政治家のスキャンダル記事が毎号載っていて実にしょうむない。私はこんなものに金を払うのかと思うと腹立たしくなる。
しかしその一方で坪内祐三の連載や(死んでしまって読めないのが痛恨の極みだ)「家の履歴書」などは面白いからついつい買うてしまう。
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歌舞伎の「女殺油地獄」の放送がNHKで先日あった。片岡仁左衛門が与兵衛役を務めた2009年の歌舞伎座の舞台だ。
この作品は徳川時代のものとしては珍しい特徴があって、それは極めて分かりやすいことだ。
とんでもない人物である与兵衛に注目が集まる向きもあろうが、やはりなんといっても殺されるお吉の問題ある人物像が白眉だ。
今の世の中にもバカはたくさんいる。
仕事ができない、人のせいにする、努力しても続かない、失敗しても学べないなどいくらでも特徴を挙げられるが、それとは全く次元の違う元からダメで、殺人をも厭わない異常者の問題もある。
その問題を扱いつつも実はこの作品はその周りの人間を分かっていない連中にスポットをあてているのだ。
殺されるお吉は与兵衛が放蕩ののらくらもので親からも勘当されているのも承知していながら野崎参りの参道で呼び止めて世話を焼く。
与兵衛が侍に泥をひっかけて大騒動になった時も泥まみれの与兵衛を隠しどころに連れて行って泥をぬぐってやる。
与兵衛の二親もお吉に勝るとも劣らないバカ揃いで、家から追い出した与兵衛の身を案じてお吉に金をことづける。
こういう死んでしまうほど長らく人生を送ってもまるで人間がわかっていないおかしな連中ばかり出てくるのだ。
唯一お吉の夫はまともな人間で、いちいち与兵衛の世話を焼くお吉に「人の世話などせんでええ」とにべもない。これが普通だよなあ。
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