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古本屋日誌

2021-02-02 14:37:00

郷土雑誌の「大阪春秋」が財政的な事情で休刊するという。

大した赤字でもないのだから半世紀にならんとするこの雑誌は貴重だし、なんとか存続させないといけない。

それにしても郷土誌てへんな存在だよなあ。

万葉集の研究者なら日本で10人くらいはメシが食えるだろう。応仁の乱でも5人くらいは大丈夫だ。

ところが堺市の浜寺公園の研究者なんて存在はそもそもありえない。そんなものにかかずらわっても飯の種にはならないからだ。

でも大阪に住む人間にとっては浜寺公園の歴史、与謝野晶子や中江兆民との関わり、鉄道や近代建築のことを知りたいなどという業がある。

かつて大阪には牧村史陽とか伊勢戸佐一郎とかいうかすみを食って生きているのかという趣味人もいた。しかしそれは例外でしかない。大衆の業や欲に応える待ち合わせはない。

それで出来上がった地域の特集号はどうなるかというとかならず次の三つからなる。

①その地域の大まかな歴史の説明
②鉄道がらみの話
③近代建築や近代文学がらみの話

①は特に執筆者が自分で調べなくても、概説書があるから引き写せばいい。浜寺公園の研究者はいないが日本の中世史の研究家は飯が食えるから自分の研究分野に引き寄せて適当にアレンジすれば原稿は書ける。

②も鉄道がらみはファン層が分厚いから鉄道の歴史にせよ、車両のことにせよ専門家は多いから、これまで分かっていることを引き写して原稿も出来上がる。

③に関しても文学や建築史は大学で講座もいくつもあるし、これまでの積み上げがあるので特に自分で調べなくても大丈夫だ。

このようにして雑誌の大半は焼き直し原稿で埋まってしまうのだが、中に1、2の論考は足で書いて調べた内容で驚かされる。

読者はいつも物足りない思いに苛まれるが、考えてみれば雑誌とはもともとそういうものだ。

「週刊文春」など下らない芸人のゴシップや政治家のスキャンダル記事が毎号載っていて実にしょうむない。私はこんなものに金を払うのかと思うと腹立たしくなる。

しかしその一方で坪内祐三の連載や(死んでしまって読めないのが痛恨の極みだ)「家の履歴書」などは面白いからついつい買うてしまう。

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