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古本屋日誌
NHKの『イケズな京都旅』という番組に毎回、井上章一が出てくる。
旅人の西川貴教に京都の隠れた魅力を教えるのだが、教え方が中途半端で、ヒントだけ示すとか、最後まで言わなかったりしている。
前回の放送は「京都のパン屋がコロナの自粛期間中でも潰れなかった」というものだった。
大阪や東京は職場と家が離れているので、リモートで、職場に労働者が来なくなったら、近くにあるパン屋は途端に顧客を失って閉店に追い込まれてしまった。
ところが京都は職住接近なので、リモートになっても、相変わらずお客さんは店に来てくれたというのだ。
なるほどそうなんだろう。
井上章一は「パンはもはや和食といっていい」という。
その根拠としてベーグルを挙げる。
アメリカのベーグルは生地が歯応えのあるものが多いが、京都で今売られているものは生地がしっとりして、その中にチーズやクルミやいろんな種物を入れ込んでいる。
これは日本人の好みに合わせて進化したものなのだ、という。
井上章一は京都の人々が、伝統に固執するよりかは、実は新しい物好きで、割合簡単に新しいものに馴染むんだと言いたいのだろう。
彼は前に「実は京都市内の国宝(建築物)の数は多くない。」とか
「京都はああ見えて、古くから続いている会社はそんなに多くないんだ」と書いていた。
向井透史の『早稲田古本劇場』があまりに面白いものだから、調子に乗って彼が2006年に未来社から出した『早稲田古本屋街』も通販でこうて読んでみた。
この本は戦前からの早稲田古本屋街の歴史を書いたもので、店にやってくる客とのやりとりをテーマにしたものではなかった。
このへんが通販の問題点で、実店舗なら手に取って立ち読みができるので、間違えて買うことはないのになあ。
タイトルと著者に惚れこんでこうてしまう通販はまだまだ改善すべき点が多い。
ただこの本で驚いたのは、昭和50年(1975年)あたりまで東京の古本屋は皆、仕入れに苦労していたということだ。
なかなか本が仕入れられないから、店舗の通路に山積みなどということはなく、朝一番の店員仕事は、通路に水を流して掃除することだったというのだ。
また古書会館の交換会で本を仕入れるときも、大した量ではないので、店員が風呂敷を持参して運んでいたともある。
今は大きな、2メートルは高さがありそうなカゴに何倍も本を持ち帰っているという話だから隔世の感があるよなあ。
一昨日、12月26日に朝、8時20分くらいに京阪電車の萱島駅に着いたら、人身事故が東福寺駅で起こったために不通になっていた。
改札前には50人からのリーマンやら学生やらが所在なさげにたむろしている。
駅のアナウンスを聞いていると「運転再開は8時45分くらいになる予定です」とのことだ。
俺としては10時過ぎに阪急の高槻市駅に着きたいので、9時過ぎにでも列車に乗れたら問題ない状態だ。
だから、ただ待っていたらいいわけだ。
しかし、8時45分に運転再開となるにしても、後20分あまり、寒空の下佇んでいるのも嫌なのだ。
こういう時、最も合理的な選択は近所のサテンで、運転再開を待つことだろう。
なんせ萱島駅周辺には5軒も喫茶店があるのだ。
しかし何故か「このまま3駅歩いて、門真市駅まで行ったら、モノレールがある。それで高槻まで行ける。」と考えて門真市駅に向けて歩き出してしまった。
途中、周りを見渡しても歩いてる人は全然いない。
そうこうしているうちに、一駅目の「大和田駅」に着いた。
券売機の前には前が見えないほどの人だかりだ。
「こんな人混みの中で、運転再開を待つのは嫌だ。そんなことをするくらいなら、次の古川橋駅まで歩こう」
と決意しててくてく歩き出した。
ところがその直後高架上を京都方面行きの電車が走って行くではないか。
時刻は8時47分で、確かに予告通りだ。
「古川橋駅からまだそんなに歩いてきていない。今から引き返したらすぐ電車に乗れる可能性があるな。でもあんな大勢客がいたんだから、簡単にはさばけないだろう。やはり古川橋まで行く方が合理的だ」
と歩き出してしまった。
しんどくなるくらい歩いて、ようやく古川橋駅到着。
「やれやれ、ホームに上がりましょ」と大阪方面行きのホームに行くと、ものすごい人だかりだ。
運転再開まもないんだから、当たり前だが、これでは電車が来ても積み残しが出るかもしれない。
しばらくして大阪方面行きの普通電車が到着したが、予想通り満杯だ。
ドアが開いても降りる人はいないのに、たくさんの人が乗ろうとするものだから、立錐の余地もない。
「こんな電車に乗りたくないな、またすぐに次の電車が来るだろうから、これはスルーだ」
ところーが待てど、暮らせど次の電車は来ない。
このように次から次へと間違った判断をやるものだから、とてもくたびれたよ。
向井透史が本の雑誌社から「早稲田古本劇場』を出した。
向井は早稲田界隈で古本屋「古書現世」を経営している。
俺の印象としては東京の連中は上底だということだ。
マスコミや出版社、大学など本を商売に使う産業が集中しているわけだから、古本屋商売は楽だよなあ。
大阪の古本屋なんか、本は集まらないし、売れないし、東京の連中の出す古本屋本なんか、いい気なもんだと冷笑していた。
でもまあ、読んでやってもいいかと手に取ってみたら、実に面白い。
お見それしました。確かに東京は仕入れが楽だというのは間違いない。
古本屋にとっての最大の問題点をあっさりクリアしているのだから、いい気なもんだという先入観は間違ってはいない。
しかしこの本のポイントは店にやってくるおかしな客の話だ。
「今日、ちょっとくじけそうになりました。
毎日来店される近所のおじいさんがいるのですが、その都度、白水社の『ブルゴーニュワイン大全』という本を棚から抜いて、『この本、どういう本?』と説明を求められるのです。そろそろ一か月になります。……怖いです。」
辺見庸の小説をマンガ化した『ラーゲリ』が文春現代史コミックスで出た。
河井克夫が作画で、敗戦後のシベリア抑留の話だ。
主人公の山本は、戦時中、情報局に勤めていたことが、ソ連にばれてシベリアから帰国途中、列車から再び奥地の収容所に連行されてしまう。
それでも腐ることなく、俳句の同好会を組織して、強制労働の最中皆に生きがいを提供していた。
また、仲間が病に倒れて亡くなってしまった時も、葬式の最中に入ってきたソ連兵に強く抗議して追い返すなど、骨のあるところもあった。
その山本が齢45で帰らぬ人となって、彼が残した妻や家族宛の遺書を6人の兵隊が少しずつ暗記して伝えようとする。
メモなど書き記したものは、ソ連兵に没収されてしまうからだ。
6人は記憶したものを帰国後に改めて文字起こしをするなどして、遺族のもとに届けたのだ。
シベリア抑留は、ソ連による戦争犯罪であり、無辜の大衆を大量に誘拐して、強制労働させた暴挙だ。
「鉄条網の3メートル以内に入ったものは射殺する」というルールや、少ない食料、極寒の中での長時間労働など想像を絶する。
その中で赤の他人の遺書を、危険を冒してまで暗記して、伝えようとするのは不思議なことだ。
よほど山本に思い入れがあって、悔やんでも悔やみきれない強い思いがあったのだろう。
それは彼がソ連兵にゆうべきことを堂々と主張して、言い分を通した英雄的な面や、帰国の途中で再び連行されるという同情すべきところがあったというだけでは説明できないのではなかろうか。
やはり心の拠り所となっていた俳句同好会の主宰者であったことがポイントだろう。
極限の環境の中、不安だけが心を占めている、唯一の慰めが句会であったのだ。
寒い、ひもじい、侘しいなか知恵を絞って吟じた一句一句がその日を生きる糧となったのだろう。