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古本屋日誌
「本の雑誌」の新年号が出て、今年のベストスリーがいろんなジャンルで掲載してある。
意外なのは西村賢太の『雨滴は続く』を誰もあげてないことだ。
西村は、長らくこの雑誌に愉快な日記を掲載していて、ゆかりもある人物だし、なによりも私小説として『雨滴』は傑作だと思うんだけどなあ。
この号で雨白かったのは岡崎武志の連載だ。
岡崎は古本ライターや書評家としてさまざまな本を上梓している。
本人によれば20年前は年収も1000万を超えて、その勢いで家を買えたという。
不安定な自由業でも、この年収があったからローンの審査が通ったのだそうだ。
ところが最近になって、長年続けてきた「サンデー毎日」の書評連載が打ち切りになってしまった。
部数の減少が理由だという。
岡崎は1ページ分の書評を担当していたが、1回の原稿料は3万で、月4回だから都合12万の収入が閉ざされたことになるという。
これをその他の連載で埋めるのは無理で、仕方ないから自分でやって古本屋を経営することに決めたという。
なるほど東京や京都なら、いくらでも本は集まるから、無難な選択だろう。
岡崎が奥の帳場に座り、時折店を見渡しつつ、原稿を書く、傍には愛猫が鎮座ましましているなどと空想もしてしまう。
このところ気になるのは池崎書店のブログが全く更新されなくなったことだ。
この古本屋は大阪の古本組合に所属している通販専門の店だ。
店主は70がらみの男性で、古本屋にありがちな、一山当てて儲けてやろう❗️みたいなやまこを張るところもなく、本が好きでたまらない感じの紳士だ。
通販なんだが、大規模な古本市(天王寺さんや阪神百貨店など)には参加していて、珍しい文学書、詩集、マンガ、文庫本などを並べていた。
池崎書店のブログは、全く途切れることなく、毎日更新してあって、古本屋としての活動、見つけた本やレコードの話が書いてあった。
ところが先月の23日の更新以降そのままなのだ。
実は数年前にも一か月程度、パタリと更新が止まってしまったことがあった。
その後再開されたブログの報告によれば客の家に買い取りに出向いて、本を車に積み込んで、一服しようとコンビニに入ったところまでは覚えているが、その後の記憶がないという。
なんと店内で心臓発作を起こして倒れたのだ。
幸い、コンビニはたくさん人がいて、AEDも備えてあるから、直ちに救急車で病院に運ばれて、的確な措置が施されて、一命を取り留めたのだ。
そういうこともあって、気がかりで昨日はホームページに記載があった池崎書店の買取専用の携帯にかけてみた。
元気に主人がお出になったら、誠に結構だし、「毎日愛読しているブログなんだから、頑張ってでも、更新続けて下さいよ」てな。一ファンとしてのメッセージを伝えようと思っていた。
ところが電話は5コール、6コールと重ね、やがて「ただいま電話に出られません」との留守電に切り替わった。
スマホでかけているから、俺の番号は向こうに確実に伝わっているし、何せ「買取専用ダイヤル」なんだから、今は手が離せなくても、そのうち折り返して向こうからかかってくるだろうと思った。
ところが未だにかかってこない。
小林泰彦の「日本百低山」(文春文庫)は人気の本だ。
低山といっても、標高1500メートル以下とのことで、俺の基準からしたら充分高山だけどね。
関西でいえば、六甲山、比叡山、二上山、多武峰なんかが入っている。
小林はイラストレーターなので、登山の記録に柔らかいイラストが、オールカラーで添えてあって、見ていても楽しい。
六甲山を芦屋から登った話の冒頭は次のようになっている。
「また、六甲山のすばらしさは、大都会と隣り合わせに整った自然という組み合わせの妙にあると思う。これは比叡山と京都の組み合わせにもいえるのだが、残念ながら関東には例がない」
「街にあって、ふと目を上げると都会の甍の先に思いがけない山の姿があ大きく迫る、そんな胸をつかれたような経験が誰でもあるのではないか。」
この後、小林はそんな長尺で市街と山がとらえられる町として、オーストリアのインスブルックを挙げている。
うちのパソコンはこうてから6年目、だいぶ動作が遅くなっている。
立ち上がりに時間がかかり、しばらくフリーズすることも多い。
今日は印刷をしようとしたら、プリンターがうんともすんともいわないのだ。
確認してみたら印刷タスクの指示は送られているから、接続に問題があるようだ。
そこでタワーを再起動させ、パソコンも同じ措置をとり、プリンターも電源を入れ直したが、全く動く気配がない。
とりあえず印刷はしなければならないので、スマホから直接プリンターに指示を送る設定を、ホームページなどを見ながらなんとかやり遂げて、スマホ上のページはきちんと印刷できた。
しかし何故かクリックポストの印刷ができない。
スマホの設定を調整したり、用紙を変えたりと試してみたがダメ。
その上でスマホからの印刷は、デスクトップと違い、別ウインドウが開かず、コピペが不便なことにようやく気がついた。
結局デスクトップ上から印刷指示を出して出力する方が面倒もなく、スピーディーなのだ。
さてあと考えられる問題はプリンタードライバーだ。
パソコンやプリンターを買い換えるたびに古いドライバーがコピーされてデスクトップ上には表示されている。
以前突然その設定が変えられていたことがあった。
Windowsから送られてくる更新情報を鵜呑みにして、その都度パソコンに取り入れていたら、突然おかしな印刷をするようになった。
印刷が終わったデータがその都度デスクトップ上に蓄えられ、次の印刷指示を出すと以前のデータも合わせて印刷されてくる。
前のデータを消去してやれば、問題はないのだが、その手間があまりにもめんどくさい。
結局この現象は、印刷時にいつも使っていたプリンタードライバーではなく、更新されたプリンタードライバーで勝手に印刷していたから起こったのだと気がつくまで1時間くらいかかった。
今回もそれではないかとようやく思い当たり、確認してみたら果たして勝手にプリンタードライバーが変更されているのにようよう気づいた。
今回も修復までに1時間を要してしまった。
ここは明治、大正時代に三井家の当主の隠居所として、もとは三条木屋町に建てられたものだ。
三条通りといえば、長らく京都のメインストリートだったところだ。日銀の京都支店、京都新聞社、郵便局などが当時建ち並んでいた。
重要文化財となっているのだが、予約すれば会議スペースやヨガの練習場としても貸し出してくれる。
今回は朝10時からのランチだ。(料金は3500円)
写真でもわかる通り、4階建ての高層建築だ。
三条木屋町にあった時は、鴨川のへりに立っていて、あたかも川が城郭の堀のように見えただろう。
また川べりから何段にも石垣を積み上げて、その上に建てているので、明治の人たちにはまるで天守閣のように思えたのではないだろうか。
井上章一は明治の商売人が建てた社屋の錦絵によって面白いことを書いている。
徳川時代には身分の違いから到底許されなかった、天守閣状の高層建築が建てられているというのだ。
井上はそこから、明治維新が身分制度を覆すという点で、非常にラディカルなものであったのではないか❓というのだ。
確かに旧幕時代には商売人風情が、天守閣を建てるなど、言語道断、直ちに欠所を命じられたであろう。
それが明治の御代では、誰憚ることなく、繁華な、町の中心部で金の力を見せつけられるわけだ。
ただ、徳川時代の天守閣は殿様の住居ではない。大名は天守閣近くに建てた本丸御殿に住んでいた。
まあそりゃそうだよなあ。天守閣など階段はきついし、寒いし、機能性にかける。
しかし三井の当主の部屋は三階にあった。そこはすぐ目の前が、通りに面した玄関で、ガラス窓を通して見下ろせる作りになっている。
昨日、部屋を案内して解説してくれたお姉さんによれば
「ここから家を訪ねてくる人が誰なのかすぐわかるから、嫌な人だったら居留守を使うこともあったんじゃないでしょうか」とのことだ。
確かにそれもあるけど、やはり三階の高みからやってくる連中を見下ろして、優越感に浸るのが最大の魅力だったんではなかろうかと邪推してみるのだ。
