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古本屋日誌

2022-12-10 11:33:00

849F209D-F530-4B6C-8911-62468B49F22B.jpeg昨日は下鴨にある旧三井家の別荘に出向いた。

 

 

ここは明治、大正時代に三井家の当主の隠居所として、もとは三条木屋町に建てられたものだ。

 

三条通りといえば、長らく京都のメインストリートだったところだ。日銀の京都支店、京都新聞社、郵便局などが当時建ち並んでいた。

 

 

重要文化財となっているのだが、予約すれば会議スペースやヨガの練習場としても貸し出してくれる。

 

 

今回は朝10時からのランチだ。(料金は3500円)

 

 

写真でもわかる通り、4階建ての高層建築だ。

 

三条木屋町にあった時は、鴨川のへりに立っていて、あたかも川が城郭の堀のように見えただろう。

 

 

また川べりから何段にも石垣を積み上げて、その上に建てているので、明治の人たちにはまるで天守閣のように思えたのではないだろうか。

 

 

 

井上章一は明治の商売人が建てた社屋の錦絵によって面白いことを書いている。

 

 

徳川時代には身分の違いから到底許されなかった、天守閣状の高層建築が建てられているというのだ。

 

 

井上はそこから、明治維新が身分制度を覆すという点で、非常にラディカルなものであったのではないか❓というのだ。

 

 

確かに旧幕時代には商売人風情が、天守閣を建てるなど、言語道断、直ちに欠所を命じられたであろう。

 

 

それが明治の御代では、誰憚ることなく、繁華な、町の中心部で金の力を見せつけられるわけだ。

 

 

ただ、徳川時代の天守閣は殿様の住居ではない。大名は天守閣近くに建てた本丸御殿に住んでいた。

 

 

まあそりゃそうだよなあ。天守閣など階段はきついし、寒いし、機能性にかける。

 

 

しかし三井の当主の部屋は三階にあった。そこはすぐ目の前が、通りに面した玄関で、ガラス窓を通して見下ろせる作りになっている。

 

昨日、部屋を案内して解説してくれたお姉さんによれば

 

「ここから家を訪ねてくる人が誰なのかすぐわかるから、嫌な人だったら居留守を使うこともあったんじゃないでしょうか」とのことだ。

 

確かにそれもあるけど、やはり三階の高みからやってくる連中を見下ろして、優越感に浸るのが最大の魅力だったんではなかろうかと邪推してみるのだ。