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古本屋日誌

2018-02-28 12:52:00

今朝もかなりぬくうて春本番かな。このところ風呂上がりに冷たい水を飲みしばらくくつろぐ習慣ができてその間猫たちが遊べーとうるさいのですが、取り合わないでしばらくそのままでいるとあきらめて大人しくなってしまい、さて十分にくつろいだから今度は遊ぼうとこっちがなった頃には猫様はえらいしずかになっていて、おこたの中で寝てしまってますので、ここで起こすのも悪いなあと気を遣って結局遊べないままになっています。

先日お客さんから谷岡ヤスジの「ギャグトピア」などをお譲り頂きました。白夜書房が1980年に出した本で1000ページ以上もある大冊ですがあんまり高くはなくて古書価は3000円から5000円くらい。わら半紙を集めたような仕立てなのでどうしても酸化が進んで劣化しています以前またネット環境が整備されていない時期は本を探すのは大変で、知り合いの古本屋に頼んで探しておいてもらうか自分で全国の古本屋を行脚して探すがそういう無駄な時間ばかりかかる方法しかありませんでした。私はその頃から谷岡のファンでどうしてもこの大冊が欲しくてしかし入手するすべすらなく、インフォーシークという古本のサイトに探求書コーナーがありそこに30000円で買い取りたいので、持っている方よろしくお願いしますと出してしばらくして京都の「安寿書房」とかいうおそらくネット専業の古本屋から連絡があり「この値段でしたら送料はサービスします。」とのことで非常にうれしかった覚えがあります。

谷岡は高校生のときからすでに新聞の連載を持っていて本もあれこれ初めから出てましたからさほどの稀覯本はないような気がします。これがいしいひさいちのなると例の「バイトくん」のチャンネルゼロより前の全3冊のやつは稀覯本でなかなか目にしません。私の友人にいしいひさいちが大好きなのがいて「なかなバイトくんは見つからないからなんとかならないか」と頼まれそんなにレアなものとはつゆ知らず安請け合いしてしまったのが10年くらい前でそれから一度手に入れたことはありません。ヤフオクで10万を越えているのは見たことがあります。


2018-02-27 13:18:00

今朝は少し寒かったが気温はどんどん上がり春めいてきています。朝7時頃メス猫が押入れの二段目に仁王立ちして盛大にもどしている音で起こされました。なかなか開放的でよろしい。

木村一八の「父 横山やすし伝説」を購入して一読、例の暴漢にしばかれた事件の真相が書いてあるかと思いましたが、なんでも事件の後知り合いの親分衆とかに電話で問い合わせて犯人は特定できたが父から口外しないように言われた。やすしはなぜ口外してはいけないのかについて、「向こうはお前がそうしたら必ず復讐に来る。その時お前は自分の家族や仲間を守らんのか」という。それを聞いて一八は復讐を思いとどまるんだが、日本の警察は優秀なんだからホシを挙げてほしいとある。そういうものなのかなあ。以前京都で変なヤクザが車をどかさんかい‼️とバットを持ち出して車をどついた事件に巻き込まれまして、犯人は逮捕されたがお礼参りがあるかもしれないからと警官が定期的にくるようになり、たまにあれこれ話をして向こうは喜んで酒とかをおごってくれることがありました。といっても鶴橋に出向いて得体の知れないフグらしきものをたべるということなんですがね。

ミネルヴァ書房から「関西ことば辞典」が出て、これは早速なぜかお客さんから買取できました。従来の方言だけでなく関西地方で使われる様々なことばを収録するということで、いろんな漢語が載ってます。「政治」とか「勢力」とかなんですが、これは要らんだろう。著者の意図するところは典型的な方言以外も含めて、表現の全体を示したいということなんだろうけど、そりゃあ話し言葉以外に拡大したらいくらでも見つかるだろうよ。そんなんではなくて普通の話し言葉を網羅してほしかった。

 


2018-02-26 12:06:00

今朝は少し気温は低かったが昼前にはずいぶんぬくなってます。門真郵便局からゆうパックの新たな契約はしないと言われました。まあ去年はあんまりゆうパックは利用しなかったからなあ。ゆうパック自体も値上げとなるほか従来のお届けハガキ制度も廃止となる。これは仕方のないことです。

以前大阪駅前第一ビルに何軒かの古本屋があり、「浪速書林」にしばしば出入りしてました。ここは有名なぶんがくの専門店で、きれいに整えられた初版本や稀覯書が並んでましたが、私はもっぱら郷土史やオタク本(と学会や北尾トロ、大藪春彦)に興味があり、たまーに安い値段でその手の本が出ていることのあるので、高尾書店などによるついでに冷やかし半分で足を運んでいた。店にとっては迷惑だったんでしょうね、ある日狭い通路で棚を見ていると「あんたの欲しい本はないから!」て言われました。おっしゃる通りです。すごすご退散しました。よく見てはりますね。まあ気を許していたらいろんなお客さんがお越しになって思わぬ時間を取られることがありますからね。わたしが以前住んでいた千林は割と古本屋があるんですが、店としては客のリクエストをあれこれ聞いてやるほうがいいかなというお店もあってわたしこんな本はないですかな?とよく聞きに行くお店がありました。すると若い学生風の客が来て店主に「今日は少しお時間をいただいて北朝鮮の状態を報告したいんです。やはり年明けには核で日本を攻撃することになります」という。最近のことではなく1994年のことです。わたしなら帰ってもらいますが、その店主は嫌がってましたが話は聞いてました。


2018-02-25 11:07:00

今朝は少し寒うてやはり直ちにストーブつけました。雄猫は以前は外に出ている時にひとがとおりかかる、バイクが行く程度では逃げ帰らず、話しかけられるとかトラックが近づくような段階で逃げ帰ってきましたが、このところはおばあさんが向こうから近づいてきたのを見ただけで駆け込んでくるようになりました。こっちとしてはありがたいのですが、ビビり症が拡大してきたようで少し心配です。

ハルカス美術館では先日まで北斎展があり、京都ではゴッホ展が開催中で、ゴッホの方では浮世絵の影響をうけたと徳川時代の文化の高さを誇示する感じがしてます。でもまあゴッホが模写してる浮世絵風の美人画の類は全然魅力的ではない。上方にも役者絵が江戸より小ぶりなサイズなんですがたくさん残ってますが、全然美しくない。様式にとらわれて個性がないために死んだ表情だし、何より構図が不自然です。それにしてもなんで北斎にばかり人気があるのか不思議です。長谷川貞信はどうなんだといいたい。

先日お客さんから郷土研究「上方」全151冊をお譲り頂きました。表紙には長谷川貞信の錦絵が掲載してあり非常に魅力的です。少し照明を落として眺めていると奥行きが感じられていいんですが、なんといっても二代目貞信の年齢です昭和15年に93で亡くなるんですが直前まで健筆をふるい、上方の版画には九十二翁とかその年齢を誇る銘が入っています。たぶんに葛飾北斎を意識しているのですが実力は北斎をしのいでいます。極端なクローズアップが得意で私が気に入ってるのは住吉の高灯篭の版画です。これは戦後再建されて今は住吉公園の端にありますが、そう大して大きなものでもないのに画面いっぱいに取り込んで直ぐ右の細い道を住吉っさんに歩む小さな小さな参詣人との対比が面白い。

貞信は現在も5代目が健在で、できたら歴代の作品を一堂に会して拝見したいものだ。大阪の人はそんなものは儲からないと思うのだろうが、それこそバカの独りよがりでそういうものこそ実は儲かるんだということです。

 


2018-02-24 00:00:00

昨日は風はありましたがわりとぬくうて梅田に出かけました。雄猫は体重が去年3月動物病院に予防注射で連れて行った時の測定で6.8キロで前年比0.2キロ増加で、今年は怖いのでまだ量ってません。腹が出てきていて寝ている時に枕にできますが、しばらくして臭いに気づいてペロペロ一生懸命なめて自分のにおいに戻そうとしています。

20日の朝日新聞朝刊に竹生島に豊臣時代の大坂城の極楽橋の遺構が残っていて、扉の上部が切り取られているとか見事なボタンの彫り物があるという内容でした。これは以前から周知のことですが、ただ切り取られたのは家康の嫌がらせだとかそうでなく寺のサイズに合わせるためだとかいう推測が書いてありました。

やはり我々が知りたいのはなぜ本丸の北側の橋がこんなに豪華絢爛なのかや、名前が極楽橋なのか、ついでに言えば極楽橋を渡って大阪ビジネスパークに出るところの門をどうして青屋門というのかも知りたいところなんですが、この記事は全く答えようとはしてません。まあ死体を本丸から運び出して極楽に行ってもらうから極楽橋だし、死体だから青い顔だし、もともと霊は青いんだという観念がありましたからその流れもあって青屋門なんだろう。本丸の西側にある重要文化財の千貫櫓はここを落としたら千貫やると言われたところから来ているそうですが、つまりは大坂夏の陣とは違い本願寺合戦の時は本丸まで攻め寄せられても難攻不落だったし、そこで死んだ侍は極楽橋、青屋門を通り寝屋川に水葬されたんだろう。しかし本願寺を打倒して新たに城を築いたのに、同じ名前の橋を作り、おまけに死者の送葬を意味するしつらえにするのは不思議です。内藤湖南が京都の蚕ノ社で主張したまつろわぬ者の祖霊を征服者が形を変えて祀るという日本の伝統を見るようです。

それにしても不思議なのはなんで本丸まで攻め込まれても問題なかったのかですね。大坂の陣の概説書は全て城は南側以外は水路があり攻められないとあるけれど、本当にそうなんだろうかな?むしろ南側は平板な大地なので力攻めをしたら大変な損害が出るわけで、合理的に考えたら西側とか東側の方が水路も狭くてやりやすいようにも思える。なんかおかしな呪いで必ず南側から攻めなさいとなってたんじゃあないかな。戦国時代はずいぶん合戦も合理的ではないことは川中島の戦いとかでしられてますからね。他にも極楽橋の意匠の牡丹の螺鈿風も不思議です、牡丹はシナではエロスの象徴たる花で王宮にたくさん植えられてました、日本でも同じで徳川美術館の広大な庭園にもたくさん植えてあります。そういう花が葬式の場に所狭しと輝くのはなぜなんだろうか。


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