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古本屋日誌

2018-02-24 00:00:00

昨日は風はありましたがわりとぬくうて梅田に出かけました。雄猫は体重が去年3月動物病院に予防注射で連れて行った時の測定で6.8キロで前年比0.2キロ増加で、今年は怖いのでまだ量ってません。腹が出てきていて寝ている時に枕にできますが、しばらくして臭いに気づいてペロペロ一生懸命なめて自分のにおいに戻そうとしています。

20日の朝日新聞朝刊に竹生島に豊臣時代の大坂城の極楽橋の遺構が残っていて、扉の上部が切り取られているとか見事なボタンの彫り物があるという内容でした。これは以前から周知のことですが、ただ切り取られたのは家康の嫌がらせだとかそうでなく寺のサイズに合わせるためだとかいう推測が書いてありました。

やはり我々が知りたいのはなぜ本丸の北側の橋がこんなに豪華絢爛なのかや、名前が極楽橋なのか、ついでに言えば極楽橋を渡って大阪ビジネスパークに出るところの門をどうして青屋門というのかも知りたいところなんですが、この記事は全く答えようとはしてません。まあ死体を本丸から運び出して極楽に行ってもらうから極楽橋だし、死体だから青い顔だし、もともと霊は青いんだという観念がありましたからその流れもあって青屋門なんだろう。本丸の西側にある重要文化財の千貫櫓はここを落としたら千貫やると言われたところから来ているそうですが、つまりは大坂夏の陣とは違い本願寺合戦の時は本丸まで攻め寄せられても難攻不落だったし、そこで死んだ侍は極楽橋、青屋門を通り寝屋川に水葬されたんだろう。しかし本願寺を打倒して新たに城を築いたのに、同じ名前の橋を作り、おまけに死者の送葬を意味するしつらえにするのは不思議です。内藤湖南が京都の蚕ノ社で主張したまつろわぬ者の祖霊を征服者が形を変えて祀るという日本の伝統を見るようです。

それにしても不思議なのはなんで本丸まで攻め込まれても問題なかったのかですね。大坂の陣の概説書は全て城は南側以外は水路があり攻められないとあるけれど、本当にそうなんだろうかな?むしろ南側は平板な大地なので力攻めをしたら大変な損害が出るわけで、合理的に考えたら西側とか東側の方が水路も狭くてやりやすいようにも思える。なんかおかしな呪いで必ず南側から攻めなさいとなってたんじゃあないかな。戦国時代はずいぶん合戦も合理的ではないことは川中島の戦いとかでしられてますからね。他にも極楽橋の意匠の牡丹の螺鈿風も不思議です、牡丹はシナではエロスの象徴たる花で王宮にたくさん植えられてました、日本でも同じで徳川美術館の広大な庭園にもたくさん植えてあります。そういう花が葬式の場に所狭しと輝くのはなぜなんだろうか。