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古本屋日誌

2017-10-31 12:20:00

今日も秋晴れで爽快です、3匹猫をこうてますが、どの猫も寒がりで布団に入ってきます。2匹は真っ黒なつまりは招き猫仕様なんですが、前にも書きましたように古川橋のスーパーさたけのゴミ捨て場に捨ててあったのを嫁がひろてきたやつで、生後間もなくなんだが、異様に耳が大きく顔の半分が耳でした。今は巨大になり手足も長く体重も7キロあり、どうやってやせさすか困っています。先日お客さんから「大阪の歴史」という大阪市市編纂所が発行している雑誌のシリーズをお譲り頂きました。天下の台所というキャッチフレーズは江戸時代からあるものだと漠然と思われてきたが、そうではなく大正時代に出来た新しいフレーズだ。当時力をつけ始めた大阪資本が何か大阪を代表する言葉が欲しいとなり初めの大阪市史を編纂した幸田成友にはかり、幸田は東京の人間ということもあり、たとえば東洋のマンチェスターとか日本の中心、扶桑の枢軸、あきづのなからいてなフレーズは東京の面子を失わせると判断して天下の台所に落ち着いたという。確かに台所てまあ飯の支度をするところで座敷でもないし、居間でもないし、なんか中途半端で下働き風にも取れる、まあ縁の下の舞と言えないこともないが、縁の下ですからね、表舞台じゃあないわけです。幸田からしたらしてやったりではないでしょうか。これは私の意見ですが、そういう中途半端なフレーズだでよしとする大阪の人の感覚は理解できません。事大主義なんでしょうか?阪神間モダニズムとかいっているあれこれ建築や雑誌、ファッションですが、井上章一先生の言う通り完全に東京スタイルですからね、船場のええし連中の感覚は完全に東京スタイルでそれがええとおもてるわけです。バカ丸出しですよね、そのくせ反権力とか反骨わけのわからないことを売りにしようとするのですからますますもってバカですね。私はこういうバカな精神の拠り所が知りたい。

 


2017-10-30 21:40:00

今日は一転して肌寒く感じられる日で私もチョッキにカーデガンをはおりました。先日お客さんから高島俊男先生の「お言葉ですが」の文春文庫全10冊と連合出版から出た11巻などをお譲り頂きました。高島先生は挑発的、挑戦的で読んでいてスッキリします。女子アナがよう使う「ご覧になれますでしょうか?」はおかしいと諄々と解くのだが、ですとますが一緒になっているのは変だろうとなってきて「だいぶ謎が見えてきたぞ」と書くはしゃぎようがなかなか面白い。

以前も書きましたがNHKのドラマ「なにわの源蔵」で源蔵役の桂枝雀がハレの場で集まった知り合いを前に「今日はお日柄もよろしく、みなさんにはようお集まり頂きますです」ときんちょうしてつい喋ってしまったというシーンがありました。

それにしても「週刊文春」に10年くらいは連載していたのに、高島先生自らおっしゃるように突然の打ち切りとなった、その理由を考えているのだが未だにわからないと。文春の長期連載では椎名誠のがありましたがあれも打ち切りになりました。面白くなかったからでしょう。椎名のはいい時もあったんですがね、中学の時にいじめられていて、そのグループと対立して家にまで乗り込んできた、ここで怯んではいけないと家にあった日本刀を抜いて立ち向かって…という顛末など非常に楽しかったんですがね。


2017-10-29 12:18:00

今日は雨で倉庫の整理です。昼前に摂津本山のお客さんのところに伺いましたが、着いたのが12時すぎで、なぜかものすごい風でビックリしました。割と頑丈なビニール傘なんですが全て反転し唐傘お化けのようになり、身体も持っていかれそうになりました。強風注意報というのが出ていましたがそのようなものでは説明がつかない怪異現象です。気象庁はいつも大げさに警報を乱発しているくせにこういう局所の細かい気象などは全く予想もできないわけで、バカ丸出しです。それにしてもなぜ台風が大して近づいてもいないのにこんなに風が強いのか説明してもらいたいものです。まあ気象庁の連中にそんな能力もなければ気概もないでしょうけれどもね。

先日お客さんから角川文庫の「火の鳥」をお譲り頂きました。巨匠といわれるマンガ家でも昨今子供たちには通じなくなっています。巨人の星なんか誰も知りません。もちろんドカベンなどとうの昔に忘れ去られています。まあドカベンは大したマンガではないので、当然ですが巨人の星が葬り去られるのはやや残念です。しかしなぜか手塚は小学生にも根強い人気があり、今も「私失敗しないので」とかいう決め台詞のドラマも人気を博しています。では「火の鳥」ですが、子供向きとは思えないし、出てくる人間はどうしょうもない感情移入できにくいのばかり、何か諦めみたいなものがありますね。不思議な作品です。


2017-10-28 12:13:00

今日は倉庫の整理です。先日入手した南木芳太郎日記2は昭和11年の記述が多いのですが、郷土研究上方を毎月発行するのに奔走する様子が詳しく書いてあります。谷口という印刷所から仕上がった雑誌が納品されるのですがおおよそ800冊はあるわけです、ところがものの2時間足らずで発送準備が完了している。私の場合は20通くらいの発送に1時間くらいかかっているので驚異です、誰か手伝わせてはいるのだろうし、宛名なんかは予め大量に用意したりするのでしょうがそれにしても不思議です。彼の財政状況も不思議で50くらいでこの雑誌に全力を傾注するのですが、あまり儲かるとも思えずその間の生活費はどうなってるのかなんですが、日記を読むと家賃の収入や公債の収入があったようで、商才もあったんでしょうね。戦前は年金などは整備されていないなで、仕舞屋となってからは家賃の収入で老後を過ごしてゆくというのが標準的な金持ちのスタイルだったようです。


2017-10-27 13:39:00

今日もいい天気です、先日吹田のお客さんから雑誌上方の元のやつをお譲り頂きました。長谷川貞信の版画の魅力は圧倒的で、見ても見ても飽きません。東洋陶磁美術館で例の浪花百景の版画を見たことがありますが、ケースに入り部屋は照明を落として薄暗い中で鑑賞するように工夫されていて絵が浮き上がるようにクリアに見えました。できれば長谷川貞信の版画も工夫された薄暗い空間の中に置いて見て見たい、それも一枚やそこらではなく、一堂に会するのが所望です。

この雑誌に全国の有識者に大阪に望むことというアンケートがあるんですが、東京から見ても大阪は機械化、近代化を進めすぎる情緒がないという。そうですかね、どう考えても関東大震災、安政大地震もあって東京の方が激変しているわけで、今もそれは容赦無く進行していて1964年のオリンピックで東京の街並みは激変し破壊し尽くされました。さらにバブルの土地ころがしがあり、その上次のオリンピックでと切りがありませんな。富田林の寺内町なんか一日中歩いても飽きないんですがああいうのは他にもあるのかなあ。


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