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古本屋日誌
例の呉座勇一が朝日新書で『動乱の日本戦国史』を出した。
呉座は『応仁の乱』などで知られる中世史の研究家で、井上章一の日文研に勤務していたが、同僚の研究員への中傷をSNSに投稿したかどで、免職となり、現在係争中だ。
この本は桶狭間や三方原、川中島、大坂の陣など戦国の主要な戦いの研究を辿り、従来の理解がかなり変更を余儀なくされていることをコンパクトにまとめたものだ。
大坂夏の陣では、大阪方は戦争慣れしているベテランの侍が多かったのに対し、徳川方は各大名の寄せ集めであったし、世代交代していて、経験不足だったという。
そのため功を焦って、てんでに突撃を繰り返して大損害を出したりしていた。(真田丸のこと)
また窮地に陥ると、周りが裏切るのではないかと疑心暗鬼に陥り、足並みが乱れるのだという。
実際夏の陣の最後の天王寺口の戦いでは、和歌山の浅野が裏切ったとの情報が東軍の諸将に伝わり、動揺が広がる。
そこをついて真田が家康の本陣に突撃することとなった。
家康の本陣は切り崩されて、三方原以来初めてその馬印も倒されてしまったいう。
しかしそれでも真田が家康を打ち取れなかった原因について、呉座は大野治長が秀頼の出馬を促すために城に戻ったためだという。
戦場には秀頼の馬印が掲げてあったが、これを残して治長が城に戻ったため、さては真田、大野は敗れたのかと西軍に動揺が広がってしまったからだというわけだ。
ということは夏の陣の最終曲面においても、西軍の諸将や兵卒は勝てる見込みが十分あると思っていたことになるよなあ。
それはなぜなんだろうか。
どう考えても東軍に勝てるようには思えないんだけどね。
秀頼は開戦に先立って、天王寺口を始め、防衛拠点各所に激励のため出向いている。つまり、彼の人心掌握術が発揮されたということなのか❓
それともやはり真田や大野の実力に裏付けられた説得力が将兵の心に響いたのだろうか❓
昨日は昼過ぎから嫁と新しくできた門真のコストコに出向いた。
ロットが大容量なので、クルマで来ている人が多いが、うちの家からは自転車で20分くらいなので、自転車で行く。
コーヒー豆(1キロで2000円くらい)、クロワッサン、貝柱のサラダ、マカデミアナッツ(132粒で2000円くらい)、ヨーグルト(1キロで800円くらい)などを購入。
帰りにはコストコ食堂でホットドッグ(ソーダー付き)180円、レイコー(150円)などを食べた。
以前は樟葉まで京阪電車で行き、バスに乗り換えて八幡のコストコまだ出向いていたので、ずいぶん便利になったものだ。
帰りは163号線を東に向かったのだが、途中にdocomoの門真店があって、「予約なしのお客様も歓迎❗️」とあるので、いそいそ入って、スマホの不具合を相談してみた。
このところ、毎日夜中が多いのだが、しばらく圏外になって、ネットに接続できないし、電話も使えなくなってしまう。
店員は、はじめに店備え付けのSIMカードをわしのスマホに入れて、読み込むかどうかチェックしていたが、それは問題なく読み込んでいた。
ということは機械の問題ではなく、(1ヶ月前に新しいのと取り替えたばっかりなので当然なんだが)SIMカードの問題なのではないかとなる。
「SIMカードの交換は無料ですから」とのことで、さっそく新しいものと交換してもらった。
司馬遼太郎の『城塞』という歴史小説は大坂の陣を扱ったものだ。
初出は1969年の「小説新潮」なので、随分前の作品だよな。
今では否定されていることも、その当時の司馬には史実と考えられてしまって、あれこれ書いてあるので、たかだか小説に過ぎないのに、洗脳されたみたいにいつまでも覚えているのは大問題だ。
例えば冬の陣の講和条件は外堀だけを埋めるとなっていたのに、徳川方は内堀まで埋めてしまったとなっている。
しかし、これはこのところの研究で否定されている。やはり内堀も埋めることになっていたのだ。
俺が一番気になる司馬の記述は、落城後の秀頼のことだ。
天王寺での真田や、岡山での大野治房の奮戦も虚しく、天守閣も焼け落ちてしまった後も、北の山里曲輪にあった蔵にこもって、助命を願っていたと司馬は言うのだ。
「城が落ちてしまったにもかかわらず、その責任者がおめおめと生き残り、蔵にこもっている」といい、秀頼は卑怯者で、武将としてなってないとこれでもかこれでもかと書いていく。
助命嘆願については家康は息子の秀忠に「何とかしてやれ」と言ったのだが、秀忠は拒否したと書いてある。
確かに城が落ちたのに、なお切腹もせず、おめおめと生き延びているなど言語道断だ。
俺は司馬遼太郎の作品で、秀頼や淀殿にいい印象は持たなかったな。
しかしこれも昨今の研究で嘘ではないかといわれているのだ。
秀頼は落城の日、天守閣の千畳敷で切腹して果てたとの記録がいくつも残っているのだ。
もちろん翌日まで生き残り、蔵に入っていたところを、外から銃撃されたという記録もあるが、それは豊臣家を傷つけるためのプロパガンダみたいなものだろうというのだ。
だいたいそんなに命が惜しいのなら、冬の陣の後、さっさと大阪を捨てて、大和なり、どこなりへの国替に応じるだろう。
それを拒否して一戦構えるわけなんだから、司馬の表現はおかしいのではないか。
1980年に木崎国嘉が『秀頼の首』を出した。
これは今の追手門学院の敷地から若い成人男性の骨が、首を切断されたかたちで出土したのを扱ったものだ。
地面にアサリなどの貝を敷き詰め、副葬品の唐津焼きの大皿や巨大な馬の骨も出土した。
木崎はこれは秀頼の首ではないかというのだ。
大坂の陣については天守閣の北川央なんかが、いろんな本を書いているが、なぜかこの秀頼の首に触れていない。北川としては否定したいということなんだろうか。
ただミネルヴァ書房から『豊臣秀頼』を出した九州大学の福田千鶴の本にはこの首について触れた部分があって、肯定的な書き方になっているし、その首が京都の寺に埋葬されていることにも触れている。
このところスマホが突然圏外になる不具合が起こる。
夜中、10時くらいに家で、通じなくなり、再起動したり、Wi-Fiの設定をいらったりして、しばらくすると復旧していた。
ところが今日は、電波状態の悪い出先で、まず圏外となり、やむなく外に出て復旧させようとしたが、全くうんともすんとも反応しない。
折りあしく、出先には「Hello cycling」で電動自転車をレンタルして来ていて、スマホが動かないと、キーを開けることができない。
仕方がないので出先のお客さんにお願いして、ノートパソコンから「Hello cycling」のサイトにアクセスしてもらい緊急連絡先を探ろうとしたのだが、なかなかわからない。
そのうち、ノートパソコンの近くでスマホをいじっていたら、突然少しアンテナが立ってネットに繋がるようになったので、お客さんに「助かりましたわ、すみません」と礼を言って、外に出て、さあ自転車の鍵や開けましょうとサイトにアクセスしようとしたら、また圏外になってしまう。
「Hello cycling」の問い合わせ電話番号は把握できたので、早速かけようとしても、なんと‼️電話機能も使えないのだ。
またお客さんに頼るのも、さっきお礼まで言ってたので、バツが悪い。
仕方なく地下鉄の駅まで、自転車を出先に置き去りにして、クソ暑い中、出向いて、知り合いのいるdocomoショップに相談しようと思った。
緑地公園を経て、やがて梅田あたりで突然また接続出来る状態に戻った。
わけがわからないが、レンタルしたままの電動自転車をそのままにはしておけないので、また出先にとんぼ返りして、今度は、さすがに圏外ではないのでキーロックを解除できた。
その後、調べてみたら機内モードをいったんオンにしてしばらくしてからオフにもどしたら復旧することがあるとのことだ。
それにしてもつい最近新しくした、サラのiPhoneなのにこれでは、仕事に差し支える。
うちの猫は2匹とも9つなんだが、雄猫はとくにお腹や太もものあたりが禿げ上がっている。
理由はわからず、動物病院に連れて行こうとしたが、嫁と2人がかりで押さえ込もうとしたが、大暴れして果たせず、結局はハゲた部分の写真を撮って医者に出向いた。
医者の診断は「ようわからんな」だったのだが、そのうちリビングの板の間に黒いのみが散見されるようになり、雄猫をブラッシングすると、櫛の目の隙間にヒクヒク動くのみがいたことで、ようやく原因がわかった。
かいいので掻きむしったりしているうちに毛がなくなってしまったというわけだ。
体につけるのみ取りの用剤をこうて使うが、根絶は出来ず、金属製のブラシで身体をすくと、毎日毎日5匹から、多い日には10匹くらいのノミが取れる。
この頃は帰宅してすぐに、大きなプラスチックのボールに水を張り、雄猫にブラッシングする。
のみは水には弱いので掻き取ったのをボールに入れて退治するのだ。
ねこさまは、のみ取りの最中は、特に暴れたり、嫌がったりもなさらず、時折体勢をみずからチェンジなさっり、時にはお腹をゴロンとお見せになったりもして、「さ‼️次はこのエリアだよ‼️」と催促なさっておられます。
しかしこのやり方では卵を取ることはできないから、確かに数を減らせはするのだが、どうしても根絶できないのが大問題だな。