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古本屋日誌
昨日は河原町三条のアサヒビアホールで、久しぶりに中国の蘇州から帰国した友人と飲んだ。
中国でもケーブルテレビ程度の料金でほぼリアルタイムのタイガースの中継を見れたとのことで、便利な世の中になったものだ。
今後は東京で、中国からの留学生相手に、大学入試や院試対策に日本語を教えていくという。
コロナ騒ぎが収束して、その反動でたくさんの留学生が訪日していて、日本語の先生の需要が高まっているのだそうだ。
なんでも、蘇州では昔ながらの市街地は、高さ制限や建物の改造、新築にさまざまな規制がかけられているほか、道も曲がりくねったままで、つまり、昔ながらの街並みが保存されているとのことだ。
観光客をあてこんだ振興策といえないこともないけど、京都は街並みを保とうという発想自体がないように思うので、羨ましい感じがしたな。
俺が小学校六年だった1973年にタイガースは優勝するチャンスだった。
甲子園での最終戦でジャイアンツに勝つか引き分けるかで、久しぶりの優勝だった。
この試合は負けるのだが、それはこの際どうでもいいことだ。
小学六年の俺の目には当時のタイガースは極めて都会的で、洗練されたチームに見えた。
片や、ジャイアンツは何か訳のわからない信仰、つまり何がなんでも優勝したいというやつに取り憑かれた異様で下らない集団に見えた。
まず、ピッチャーは江夏豊であり、400奪三振であり、カッコいいことこの上ない。
この年には延長戦でのノーヒットノーランを達成したのみならず、自らサヨナラホームランまで放っている。
キャッチャーは田淵幸一であり、ファールフライをきちんと追わなかったりする真面目でないところがいい。
そして、その後でホームランを打たれる面白いところもあった。
そして、なんといっても滞空時間の長いホームランは魅力的であった。
打つ方ではカークランドがいて、この選手は、この年の最終戦の最後の打席に立っていたのだが、いつも爪楊枝を咥える独特のスタイルであって木枯し紋次郎みたいで、これまたかっこよかった。
ジャイアンツの長嶋茂雄は都会的とは全くいえない、意味不明な選手に思えたし、王貞治などは、努力してます感を前面に出している変なバッターと感じていた。
その当時一世を風靡していた梶原一騎の『巨人の星』にも、その雰囲気がよく出ていると思う。
タイガースの花形満は花形モータースの御曹司であり、中学生なのにスポーツカーを乗り回してカッコいいし、容姿も長い前髪が特に印象的で、キザと思えるくらいのイケメンだ。
他方、ジャイアンツの星飛雄馬て、バカだよね。
全然イケてないし、大リーグボール養成ギブスなどといって、変態的な特訓に明け暮れる異常な人物に思えた。
これがその当時のタイガースとジャイアンツのイメージだったのだ。
昨日は甲子園でジャイアンツ戦を見た。
雨の予報で、確かに途中雨足が強くなり、中断となったが、それも10分程度で、かえって涼風が吹く好ましい観戦環境となった。
試合は最終回に佐藤がツーランを放って2点差まで迫る面白いものだった。
ただこの試合もチケットは完売なんだけど、かなり空席が目立ち、特に三塁側のアルプスは6割くらいしか埋まっていなかった。
優勝も決まった消化試合をわざわざ見に行こうとは思わないということかな。
でもね、タイガースはチャンピオンチームなんだよなあ。
俺は心の余裕を持って試合を見れるのでありがたいと思ったなあ。
さて、サンスポの記者をしていた喜瀬雅則が光文社新書で『阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?』を出した。
タイガースが弱い原因を綿密な取材で分析した本だ。
個々の細かい話は面白いのもあったが、俺には納得できないところが多々あった。
その中の一つが人気球団ゆえ、番記者が常に張りつき、漏らしたちょっとした言葉を本人の意図とは関係ない方向で記事にしてしまうことを挙げている。
いたいけない高校生上がりの新人はショックを受けるそうだ。
こんな話はこれまで散々聞いてきたが、無能な選手の見苦しい言い訳にしか思えない。
マスコミが選手の話しを捻じ曲げて伝える。そんなもの当たり前ではないか。
プロ野球は興行であり、人気があってなんぼの世界、注目されているのだから、逆手にとって利用してあげればいいだけのこと、ショックを受ける筋合いのものではなかろう。
そもそもタイガースの新人連中は、実力が欠如しているし、努力も怠っているだけのことだ。
それはそういう無能な人材をスカウトしてくるタイガースの給料ドロボーのようなスカウト(ずーっと結果も残せない連中をドラフトで指名し続けるんだから、どうしょうもない)に最大の問題があると思う。
昨日はNHKでタイガースの優勝特番があった。
OBの赤星と岩田が出てあれこれ、優勝の原動力を分析していた。それはそれなりに興味深いものだったが、とりわけ心惹かれたのは尼崎の商店街のタイガースファンの話だ。
60台とおぼしき、おばさんは「10年前に夫を亡くして、何も手につかず気力もなくしてたんです。それが甲子園に行って試合を見て、応援してたら元気が出て生きる活力になっています」と言うのだ。
そうかなあ。
不思議な話だ。
たった6チームしかないセーリーグで18年も優勝出来ない、実にいい加減なチームであり、無能な選手と監督でもあるのに、その試合を見て、何が嬉しいんだろうか。
取材クルーもそのあたりを聞いておくべきなのに、やはり無能な連中で聞き流してしまう。
俺がこのおばさんの心を推理すれば、タイガースの選手の能力が、カープの栗林や菊池、スワローズの村上や小川に比べて劣ってるのはよくわかっている。
監督も矢野とか無能だし、選手を下の名前で、まるで友達みたいに呼んでいて、抑えも効いてない。
だからこの私が甲子園で声援を送って、弱くて脆い選手を激励したいと思うのだろう。
それは自分の不遇な人生と重なるもので、非力ながら懸命に生きてきた自分をも鼓舞するものだったと思う。
ゲストの赤星にしても2005年9月初旬のドラゴンズ戦の9回裏、センターフライをグラブの土手に当てて落球してノーアウト満塁の大ピンチをもたらした張本人だ。
岩田は2008年9月末のドームでのジャイアンツ三連戦の最後に登板して、金本の連続ホームランで2点のリードをもらいながら、5回の裏に突如崩れて大量失点したピッチャーだ。
この辺もクルーなら突っ込んで欲しかったな。
シャーロックホームズ全集はいろんな版が出ているのだが、中でも、ちくま文庫の『詳注版』は人気だ。
この中に「犯人は二人」という短篇がある。ゴシップ(結婚前にショーパブの男に恋文を出していたとか、タチの悪い男と付き合っていたとか)をネタに上流階級の紳士、淑女を脅して金をせしめる男、ミルバートンの話だ。
この話は探偵小説ではなく、ホームズが悪漢を追い詰めるだけのものなのだ。(まあもともとホームズは推理をしているようには思えないけどね)
ホームズとワトソンは夜闇に紛れてミルバートンの屋敷に侵入して、浮気の証拠となる手紙の類を処分しようとする。
それはとりもなおさず、住居不法侵入、器物損壊などの犯罪ですな。手段、方法を選ばず、必要なことはどんどんやる、これにみんな惹かれるんです。
そこへ、ミルバートンが帰ってきてしまい、2人はカーテンの向こうに隠れるのだが、またそこへ、10数年前にミルバートンの奸計で夫となるべき紳士を自殺に追い込まれた女が現れて、ピストルでミルバートンを撃ち殺すのだ。
ワトソンは止めようとするのだが、ホームズに強く制止される。
2人は、銃声を聞いて駆けつける召使から何とか逃れるのだが、翌日デストレード警部が現れて、二人組の犯人の人相を語り、どうもそれがワトソンによく似ている。(そりゃそうだ)
しかしホームズは「普通は被害者に同情すべきものだが、復讐となれば、加害者の行いももっともなことだ」などと言って殺人をこともなげに正当化するのだ。
ここがホームズ人気の原点だよな。やられたらやり返す、殺人には当然殺人で報いる、これは人間の本質をよく示している。
復讐してこそ人間らしさを取り戻せるし、平穏でいられるのだ、と俺も思うよ。
明治の法学者、穂積陳重が『復讐と法律』で述べている。
徳川時代の仇討ちを禁じたのは、処罰の権限を国家権力が独占したいからである。
別段復讐が人間を堕落させるからでも、野蛮であるからでもない。
こういう当たり前の話が素晴らしいのだ。