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古本屋日誌
ハラスが1994年に出した「沖縄シュガーローフの戦い」に帝国陸軍の機関銃の性能の話がある。
南部製九九式軽機関銃がそれで1分間の発射速度が800発あり、米国製のM1919軽機関銃の倍の速度があって「まるで女の叫び声のような音がした」という。帝国陸軍の狙撃兵の正確無比な射撃も取り上げてあって、敵の階級をしっかり確認して士官以上を狙い一撃で命を奪っていくので恐ろしかったという。
海兵隊は次から次へと戦死傷病者が増えていくため、あまり実戦経験のない若い兵隊もどんどん最前線に送り込まれる。恐れを知らない新兵たちがシュガーローフを望む麓にやってきて「さっさとジャップの野郎をやっちまいましょう❗️」と盛り上がっているところに迫撃砲弾が直撃して5人とも首から上がなくなってしまう。
吉田満の「戦艦大和の最期」に特攻出撃の際厨房の係りから「今日の夕食のメニューをおしらせします〜〜」と能天気なアナウンスが明るく流れてくるシーンがあっていつも心打たれる。海兵隊の新兵たちも恐怖に打ち勝つためになんとかいつものように明るく楽しく振る舞おうとしたんだろう。
この本の巻末には現在の那覇市にあるシュガーローフの姿を写した写真と翻訳者である猿渡青児が訪ねたルポも載っている。3つの丘のうちシュガーローフは山裾は少し改変されているが山容全体は戦争時のと比べても大きな変わりはないように見えるし、ハーフムーン丘陵もその面影が窺える。
海兵隊は勝ったから日本を支配下におき、「民主主義の礎を作った」とか「圧政から解放した」だのというたわごとに身を任せて自らを正当化して過ごしていける。
残念なのは帝国陸軍の将兵でその勲が讃えられることもなく、「悲惨な地上戦だった」などとひとくくりにされて終わりというのはバカバカしい。那覇現地にシュガーローフ丘陵がしっかり残されているのはそれこそ歴史を重んじる沖縄県民の保守の魂の現れであると思いたい。
うちは朝日新聞を取っているんですが今回の肺炎騒動で安倍が全国の小中学校の休校を要請した件で、新聞に載るのは家にいるしかない子どもを共働きの家族が面倒をみられないとか、看護婦なんかが家庭に戻らなければならなくなり、その数が減るから外来を診る余裕がなくなるとか、そういう話ばかりなのが不思議だ。
学校に勤務している正社員はそんなに多くはない。ガードマン、清掃員、給食の担当、納品の業者など相当非正規労働者がいて、これらの人は仕事がないからとかいう理由でなんの補償もなく放り出される。
なぜそれが問題ともならないのか実に不思議。
3月2日から2週間、全国の小中学校は休みにしてほしいと安倍が要請した。なんでも肺炎が蔓延しないための措置なんだそうだが、全く意味のない愚行ですな。
新型の肺炎といっても大した病気ではなく、致死率は極めて低い上に、重症化しない。重大な感染症はインフルエンザであって、毎年新しい型が出現して大量の罹患者を出し、致死率もはるかに高い。
そもそも物流がこれだけグローバル化した現代社会にかつての黒死病やスペイン風邪のようなパンデミックは起きようがない。
れわれの体はコロンブスを受け入れざるをえなかったインディアンのように虚弱ではなく様々な遺伝情報やウイルス、菌類にさらされて鍛えられている。ウイルスからしてもあっという間に寄生主を死に至らしめるような激甚、猛毒な性質ではグローバル化したこの社会には適合できない。
むしろもっと穏やかで少し熱が出て身体がだるいでも動けないほどではない程度の症状の方が、広範囲に広がることができるから好都合だろう。
安倍は根本的にバカだからその辺りは何もわかっておらず今回の愚策に出たわけだ。
全国の学校を休みにするというが正社員はまだ給料が保証されるからまあいいとして、非正規の職員や出入りの業者やガードマンやら掃除の係りの人など、仕事があって初めてペイが発生する人たちは、今回の安倍晋三の蛮行によっていわれなく、一方的に仕事を奪われ命の危機に直面するわけだ。
要するに貧乏人のことは何一つ考えないし、考えたこともないわけなんだから素晴らしいよね〜〜
カンボジアのトンレサップ湖には今も水上生活を送る人たちがたくさんいる。
水上にまず竹を組んで浮力をつけてその上に木を斜交いに組み上げて上に家屋を建てる。学校も同様、マーケットやお寺、結婚式場まである。
これらの建築群は岸辺近くに生えている木々にくくりつけて漂流してしまわないように気をつけている。しかし乾季になって水位が下がって来ると、住居も学校も少し水深のある地点に移動させてまた木にくくりつける。
食料は定置網で魚を捉える他、水上にスペースを作って土を盛り上げて野菜を栽培する。
私の住んでいる門真市もかつては広大な河内湖に面する漁村だった。だからトンレサップ湖と同じような生活を送っていたのではなかろうか。
最寄駅の京阪萱島には例の樹齢700年を越すという楠の大樹がそびえているし、その大木の脇を蛇行する寝屋川にはこの木に劣らない大樹がまだ何本もそびえている。
また城垣町、かつての馬伏には大阪に綿花や米を運ぶための集散所が設けてあり、たくさんの巨木がそびえていた。
というわけで萱島でもかつてはこれらの木々に家々をゆわえつけて固定して水上生活を営んでいた人々がかなりいたのではないか?と想像している。
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コンサートやプロバスケットボール、サッカーの公式戦が延期や中止となり、北海道は学校も休校にするという。
この時期は異動期でもあって、会社の送別会やら懇親会やらのシーズンなんだがこれらも中止となるところもたくさんあって、そのために会場のホテルにも損害が出ている。
まあ野球であれバスケであれサッカーであれ所詮はエンターテイメントでしかなく、やってもらわなくても困りはしない。ただ問題なのはイベントを中止することで従業員や出入りの業者にしわ寄せがきてしまうことだ。正社員はまだしも非正規の労働者や短期に雇われている人なんかは何の補償もなく放り出される。
巷でも石鹸で手を洗う時のポイントがあれこれ言われていて長い時間手を洗うのは意味がない、親指と人差し指の間の水かきのところが汚れがたまりやすいところなのでよく洗うことが大切で短い時間で2回洗うのが大切だという。
しかし新型肺炎てそんな大したもんかね、インフルエンザの方が圧倒的に蔓延しているし、重症化して死んでしまう人も比べものにならないほど多い。
そもそもインフルエンザこそ毎年新しい型が現れるので、予防注射も必要になるが、それでも感染して重症化する病気だろう。
22日に「小説新潮」3月号が発売、坪内祐三の追悼文があれこれ載っている。
重松清は「評論」と題した追悼文を書いている。
その中で印象的だったのは坪内が自分のことを「電信柱がなくなって困っている子犬」だと例えていた話だ。坪内は確かに保守の論客なんだが随分過激な発言もあった。それは今まで生活の一部であったものが奪われてしまうことへの生理的な嫌悪感や怒りにもとづくものだった。
重松清は早稲田大学を出て角川書店に入り、すぐに頭角を現して「野性時代」の編集長も務めたのだが、何が不満だったのかあっさり退社して作家となった、なかなかやんちゃな一癖も二癖もある人物だ。
その重松が初めて坪内の本の書評を書いてビクビクしていたら、受賞パーティで出くわして「あの書評、読んだよ〜〜」と言ってもらえて「なんとか合格点をもらえたかな」と子どものように喜んで書いていたのが面白かった。
新型肺炎が広まってるということで「マスクをしてください」とか「電車の手すりは持たない方がいい」とかまびすしいが、マスクなんか何の意味もなし、手すりなんかどんどん触るべきだろう、そもそも電車で手すりにつかまらないと危ないではないか❗️
ウィルスの大きさがそもそもわかってない。そんなもんマスクごときで通過を防げるサイズではない。
今日地下鉄谷町線を天満橋から乗ったが手すりにぶら下がりながら数えて見たらすぐ前の両側の座席に座っていた10人のうち7人がマスクをしていましたよ。
なんのかんのと大騒ぎしてマスクやら消毒薬やらを買い回って製薬会社を大儲けさせている。
今日はニューヨークやら東京やらの株式市場が先行き不透明で大きく値を下げているのだが、株式は上であれ下であれ大きな動きが起これば儲かるわけです。下がるときはドンドン空売りするだけです。というわけで証券会社や投資家をこれまた儲けさせるだけですな。