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古本屋日誌

2020-02-09 11:04:00

昨日はJR高槻駅前にあるジュンク堂に出向いてあれこれ坪内祐三の追悼文を読み、編集工房ノアから出ている涸沢の「遅れ時計の詩人」も購入。

「文學界」は中野翠と鹿島茂が書いていた。中野は坪内の死んだ日に腕を骨折してしまい満足に書けないことを嘆きつつ「坪内はスルスル歩く、せっかちなところがあった、その坪内が棺の中だ」と書く。
鹿島茂は山口昌男が坪内を連れてきて始めた明治大正の文献研究の思い出を書いていた。
「群像」は橋本倫史。
水了軒の汽車弁の話だ。
坪内はよく大阪の水了軒の弁当の話を書いていた。橋本は坪内の亡くなった翌日、東京に帰る前に大丸梅田店の水了軒に出向いて坪内の好んだ「汽車弁」を求めようとしたが、閉店間際で見当たらない。店員に「汽車弁はないんですか?」と尋ねたら、「どの弁当でも汽車で召し上がられます」と上手いこと言う。
仕方なく八角弁当を買った。水了軒は1度倒産してその後復活したのだが、味に厳しい坪内がそれを食べてどう言うのか、想像してみたら、怖いという。

まああれですね、水了軒が美味いのは間違いないのだが坪内はとりわけ「汽車弁」を好んだのが面白いよね。

私は新幹線に乗るときは常に「御堂筋弁当」を食べてました。これは大阪の様々な名物を弁当に盛り込みたいとのコンセプトで作られた観光客向けの弁当で大阪のウスイエンドウのご飯、タコの入った天ぷら、銀杏、タイの焼き物てな感じで見ていても楽しい。

だが坪内の好みはそこにはなく、「汽車弁」。これはどこにでもある幕の内弁当だ。つまりはごく普通のがよかったんだよなあ。昔ながらのものがいい、気をてらわない好みでまあわからなくはない。


「新潮」は福田和也、平山周吉。福田は自分と坪内は正反対だと書く。自身は行き当たりばったりだが、坪内は周到に話す内容を細かく準備してきて「SPA」の対談に臨んでいる。
また坪内は怒りっぽい。たとえばその店に好きなメニューがないと本気で怒る、なぜそんな小さいことが気になるのか不思議だったという。

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2020-02-08 11:09:00

朝日文庫からテレビでおなじみの夏井いつきの「子規365日」が出た。

夏井が同郷の俳人正岡子規の俳句を365日間にわたって1日一句選んで解説するスタイルの本だ。

夏井は論理的な、俳句的な添削能力は高いようだが、句を味わう力には問題があって、この本の子規の解説もよくわからないものが多い。

例の「赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり」の解説なんだが「小学校の時も、中学校でもこの句を習ったが、さてどこがいいのかさっぱりわからなかった」と書く。

ところが「俳人になってかなり長くたってからある時パッとわかった」のだそうだ。

おーそれは聞きたい、ぜひお教えくださいと思うじゃないですか。

いつき先生の解説は「赤蜻蛉ってほんとうにきれいなんだとわかりました」で終わり。

 


2020-02-07 13:44:00

今日7日は純文学雑誌4誌、総合誌「文藝春秋」「中央公論」の発売日だ。

新聞の二面の下に掲載された目次や各出版社のサイトを見たところ「文藝春秋」「文學界」「新潮」「群像」には坪内祐三の追悼文が載っているようだ。

「文藝春秋」には例の「人声天語」がいつも巻末に載っていて2月号は「この頃若くして死んでしまう人が多いよなあ」と嘆く話だったが、最新号には掲載はないように見える。

また10日発売の「本の雑誌」には例の坪内の日記が載ることがサイトの目次からわかる。なんでも「本の雑誌」は4月号が坪内祐三の追悼特集号になることも予告されている。

うちの近所には本屋がそもそもなく、京阪電車で一駅、寝屋川まで出向いて駅から伸びる商店街の中の書店や、駅前にそびえる「イズミヤ」の本屋をチェックしてはみたが文藝春秋は芥川賞ということもあって、平積みになって10冊、20冊とあるのに、「中央公論」はただの1冊もない。もちろん純文学雑誌は影も形もない。

東海大学が出している「望星」はなぜか2軒とも置いてあって不思議。

さて「文藝春秋」は巻末の「人声天語」のところに同じスタイルで中野翠が追悼文を書いている。

亡くなるつい二、三日目前も電話で話をしていつも通りの「ツボちゃん」で13日には泉麻人らとともに大相撲を見に行く予定だったともいう。

葬式で最後に、棺桶に入った坪内の顔を見たら「目を閉じていてもういつものツボちゃんではなかった」と書いている。

そうなんだよなあ、死んでしまった人の顔はなぜか以前とは似ても似つかないものに変貌してしまう、その喪失感は衝撃的だ。

最後に中野は「もうツボちゃんは歳をとることはないんだなあ」としみじみ書いているが、これもまったくその通りだ。死んだ人はいつまでも若々しいよなあ。

 


2020-02-06 10:38:00

先月突然いなくなってしまった坪内祐三の本はコンスタントに注文が入ってくる。

毎月1日発売の「月刊HANADA」に「今月の一冊」と銘打たれた単行本の書評を坪内は連載していて、最新号つまり2月1日の号にもしっかり梅宮辰夫の「不良役者」の紹介が載っている。

梅宮辰夫も最近亡くなったし、「文藝春秋」の最新号でも橋本治が死んだことを取り上げて「戦争を乗り越えてきた世代は90に達するまで生きているのに、その後の世代が早く亡くなってしまう」と嘆いていた。

なんか皮肉な話でそういう本人があの世からのお迎えを即座に受けてしまうのだから、まるで「オリンピックみたいなバカなことしか起こらないこの世にいても仕方ないでしょう、こっちの世界で楽しもうよ〜〜」とのリクエストに応えたかのようだ。

坪内の本で1番お目にかかれないのは「別れる理由が気になって」だ。亡くなってからはもちろん生前も一度しか見たことがない。小島信夫の長編「別れる理由」を読み込んだ長編評論だ。

他にも「酒中日記」の正、続「慶応三年生まれ7人の旋毛曲り」「総理大臣になりたい」なども人気があってあまり目にしない。

 


2020-02-05 16:32:00

1992年に創元社から出た中井正弘の「仁徳陵」は古墳築造後の盗掘や遺物の流出、利用方法など多岐にわたる「その後の仁徳陵」を描いたいい本だ。

帯には同志社の森浩一が推薦文を書いていて「謎に迫る本だ」とある。

徳川時代には自由に墳丘に出入りできていて、春は花見を楽しみ、茶屋もあり、薪や芝を取ることができた、堀では釣りができたのはもちろん周りの田畑に農業用水を供給していた、後円部には巨大な盗掘穴と露出した縦穴式石室があり、遺物はすでにない、明治5年に前方部から縦穴式石室が出土して大きな石棺が出た、ボストン美術館にここから出たといわれる遺物4点が所蔵されていること、履中陵は墳丘の等高線が極めてきれいなのに、仁徳陵は千々に乱れていることなど興味深い話が載っている。

なかでも新井白石が記しているのだが堺の奉行所、政所の庭の踏石に石棺の蓋石を使用していたというのは驚かされる。かなり 大きなものなので、盗賊が運び出したものではなかろう。中井は秀吉が鷹狩りにかこつけて運び出したものではないかと想像しているが、不思議なのは尊王攘夷派の勝利に終わった明治維新以降、この巨石は行方不明になってしまったことだ。

天皇陵、それも世界最大ともいわれる墳墓の蓋石には何の値打ちもないとばかりの仕打ちは気の毒としか言いようがない。


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