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古本屋日誌

2020-02-14 11:45:00

坪内祐三が廃刊になった「新潮45」に連載していた」昭和の子供だ、君たちも」は4年前に単行本になった。これは昭和の世代論で生年の少しの違いが実は感覚の上では相当深い違いになっているという話だ。

戦前の話では15で予科練に志願した世代はそれこそ誰でも入隊できたのだが、戦争末期になって潜航艇の特攻隊に志願させられるなど「パイロットになりたかったのに」という本人の希望は踏みにじられたという。

まああれですよね、予備学生とかはもっと年上のつまり学生が志願したわけで、これなんかは早く士官になって楽したい、理不尽な理由でどつかれたくないという話だ。結局彼らも戦争末期には特攻隊にさせられてしまうのだが、確かに予科練の子供たちとは感覚は違うだろう。だいたい学生は戦後は「きけわだつみのこえ」てな具合に祭り上げられてしまい、志願の動機が不純でよこしまなものだったことは忘れられている。

「本の雑誌」3月号には近刊として坪内が「本の雑誌」に書いてきた日記以外の全てを集めた本を出すと載っている。


2020-02-13 15:53:00

野村克也もサッチーも心不全で亡くなったという。「虚血性心不全」

まあ野村夫妻は歳も歳だからあれなんだけどね、突然死ぬ人て困るなあ。

3月号の「本の雑誌」には例によって坪内祐三の「読書日記」の2019年の12月分が載っている。

熟読してみたが体調不良を読みとることはできない。歯医者に通い、古本市に顔を出し、購入した本の感想を記す。年末きわきわには歯医者は昼からなので図書館に出向いて5冊借りてきたとか書いている。

礒崎純一の「龍彦親王航海記」に関して装丁家のMが「編集者ブンザイがそんな本を書いていいのか⁉️」と発言したことに憤慨して「Mはクズだな」などといつも通り遠慮会釈なく書いているし、講談社の野間賞の式典に出たが「どっちみちスピーチが長かろうと予想して遅れて行ったが着いてもまだだったので、終わるまで外で待っていてパーティに出た」というようにイラチぶりを発揮してもいる。

クモ膜下出血とかは発作の前に食欲がない、吐き気がする、頭痛がひどいとか前兆がある場合も多いそうだが急性心不全はそういうことはないのだろうか。

前に職員室でクモ膜下出血になって意識を失った先生がいたが、みんないたからすぐに病院に運び手術して今は元気だということがあった。坪内祐三の場合は家にいたわけだから仕事をしていたんかね。

そうなると家族は邪魔しないように坪内の書斎には近寄らないだろうし、発見が遅れてしまう場合もありそうだ。これがバーとかスナックならそうでもなかっただろうけどな。

予告では来月号は坪内祐三の追悼特集になるとのことだ。


2020-02-12 12:01:00

タイガースの監督でもあった野村克也が亡くなった。朝日新聞はなんと一面トップに掲げ、スポーツ面は言わずもがな三面にも大きな記事を載せていて、相変わらずバカな新聞だな。

1992年に野村はスワローズの監督をしていて終盤までタイガースとせっていた。9月に入って甲子園での直接対決で9回裏となり八木裕が左中間に大飛球を放って一旦はホームランとなりサヨナラ勝ちしたのだが、野村は執拗に抗議して「あれは直接インしたんやのうてフェンスに当たったやつが弾みで入っただけや、せやさかいにホームランやのうてツーベースなんや、さっさとやりなおしたらんかい」という。

私は家でテレビを見てましたがいつまでも、いつまでも抗議するわけですよ。結局判定は覆ってツーベースとなりタイガースは勝ちを逃しましたよ。

二塁塁審は平光だったが、タイガースの中村監督に「俺は責任とって引退するから、ここは折れてくれ」との話があったとも言われている。

まああれですね、野村克也だったから審判団も折れたのではないですかね。これがタイガースの中村だったらおんなじように抗議しても一蹴されたんではないかなあ〜〜

ちくま新書から中川右介の「阪神タイガース、1985〜2003」がこないだ出ていわゆる暗黒時代の話ばかりを詳細に書いている。

岡田がまだ若いのに球団から引退するように言われて、本人は納得せず移籍球団をあれこれ探していた話ももちろん書いてあってブルーウェーブの監督だった仰木が興味を示したがうまくいかなかったことも述べてあり「田淵、掛布、岡田と花形選手の引退は例によって後味の悪いものとなった」とある。

今もタイガースは実に弱い。もう15年も優勝してない。たった6球団しかないのに、異常事態としか言いようがない。その上でさらに輪をかけて弱かった暗黒時代のことを詳細に調べて本にしようと企てるとは中川右介てほんまおかしなやつだよなあ。


2020-02-11 20:57:00

週に20時間以上その会社で勤めていたら雇用保険に入れなければならないわけです。

仕事を辞める時は離職票をもらって失業給付なんかを受けられる場合があるてな話はなんとなく知っていた。

だがなんでも同じ会社に引き続き勤めていても週に20時間未満の勤務になった場合は「離職した」とみなすそうで、その場合も会社は離職票を労働者に渡さないといけないそうだ。

もらった方は雇用保険の加入年数や月収に基づく「失業給付」を基本日給の120日分とか150日分とか受けられるのだそうだ。

例えば1日分が5000円なら60万くらいになるからバカにならない。

でも労働者の方も会社の方もそんなシステムがあるなんて知らないケースがままあるようだ。なんでも雇用保険から抜けて一年以内に離職票をもって申請しないと時効になって失業給付を受け取る権利を喪失してしまうそうだからことは重大だ。


2020-02-10 11:04:00

編集工房ノアは中津にある老舗の文芸書の出版社でその歴史は1975年にさかのぼりすでに50年近い歴史を刻んでいる。

なんといっても美しい装丁の造本、グリーンの帯、推薦文、奥付の後にある目録、これは一つ一つ本の梗概が手短に記してあって興味をそそられる。

その出版社の代表、涸沢純平が関わりのあった詩人たちの最期を丹念に追想した本が出た。

たとえば港野喜代子の話、港野は新しく出した詩集を持って涸沢と一緒に在阪の新聞社を訪ね歩いてPRに努めた。死ぬ前日のことだ。

その時港野はぽつりと「こうして回ってもむなしいだけや」とつぶやいたという。

まああれですね、出版のPRなんだからむなしいことなんかないし、新聞社の文化欄担当記者が心に留めて記事にでもしてくれたらありがたいことは間違いない。

そんなことは港野にも十分わかっていながら、親しい涸沢にはふと弱気なことばをつぶやいた。後から考えたら「この世とはもうおさらばなんだよ〜〜」てな伏線だったのかもしれないわけだ。

司馬遼太郎は頼まれもしないのに港野へのレクイエムをしたためて、自ら朝日新聞社に電話をかけて「載せてもらいたい」と話をしたのだが朝日の記者は「できない」と答え、理由は「港野喜代子が無名で知られていないから」だったという。司馬は読売新聞に持ち込んでもちろん掲載された。

 


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