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古本屋日誌
神戸の中学受験の進学塾で働く非常勤の社会の先生が雇用延長になって、年収が6割程度に削減されてしまったのを不当として、神戸地方裁判所に提訴しています。
その関係で私の友人の社労士の先生に雇用延長時のこれまでの様々な裁判のことを教えてもらいました。
といってもこれまでの裁判は全て正社員であった人が定年で雇用延長や再雇用となり賃金が減らされたことを巡ってのものなので参考になるかどうかよくわからない。
例の長澤運輸の事件も正社員の話できちんと退職金も受け取っているわけですよ。
他にも正社員で定年後、同じ仕事をしてるのに給料が減らされるのは不当だという裁判はいくつもあるんですが控訴審での判決では「定年後に給料が2割程度に削減されるのは社会的に容認されている」とか「日本は終身雇用なので、定年前が一番給料が高い傾向がある、だからそこからある程度下がるのは認めていい」などとなってますね。
塾関係の訴訟では学究社という塾の正社員で定年前に638万もらってた人が定年後は時間給の授業だけする講師にさせられて時給は50分で3000円となり年収では前の3〜4割程度になってしまったのを不服とするのがありました。
この判決も「正社員と時間講師では権利義務に相違があるから給料の削減は不合理とは言えない」となってます。
まああれですね、裁判官でほんまにバカばかりやな。これに尽きる。
朝日新書から呉座勇一の「日本中世への招待」が出た。今われわれが誕生日を祝ったり、クリスマスや誕生会を行うのはいつ頃からなのかを明らかにした啓蒙書だ。
誕生日を祝うのは満年齢で歳を数えるようになってからだと思っていた。それまでは1月1日に歳を全員とるわけだ。
しかし天皇や貴族の間では早くから誕生日を祝う習慣があり、祥月命日以外の月の命日も法事をする人がいるの同様、誕生日も毎月やっているケースまであるそうだ。他にも氏と名字の話やルイスフロイスが日本と祖国を比べての話もまあそれなりに面白い。
ただまあ呉座勇一にしては物足りないな。例の井沢元彦への批判は今回もそれなりにあって、井沢が死者の穢れを忌避してそれを避ける行動を第一にとったと主張しているのを実証的に批判している。
呉座勇一によると関係ない他者からの穢れは嫌うが、近しい肉親や友人のそれは避けるわけではないというのだ。
まああれですね、そりゃそうでしょう。機械的になんでも穢れだとはいえない悲しみもあるだろうからな。
井沢元彦へはまあよろしいとして、じゃあもう一人の論敵、本郷和人へはどうなっているかというと〜〜
これがなーーんにもない。
本郷は昨今啓蒙書を次から次へと「東大教授が〜〜」ては煽り文句をまとって量産しているんだがな。確か呉座勇一は「本郷は最近何ら学問的業績がない、書いている本も下らない」とこき下ろしていたのにいったいどうしたんだろう。
巻末には呉座勇一が尊敬する先輩諸先生の著書をオススメ本として紹介して、本の内容の紹介よりもヨイショに気合を入れている。
網野善彦の「日本の歴史を読みなおす」を名著として紹介した上で「刑吏や白拍子や傀儡なんかが初めは聖なる存在で凋落して差別される立場に落ちたというのは最近批判されている」と批判めいたことは書いてはいる。
しかし網野善彦の問題はそんなところにはないだろう。
後醍醐天皇をバサラと取り上げて奈良坂の差別されていた大衆を組織して行動したというのを左翼の連中が「天皇制は前は全然違っているやん❣️❣️」てな感じで大喜びしていたわけですよ。
しかし大衆が蜂起するとか、行動するとかそもそも何の価値があるのだろうかね❓天皇が大衆とともにあったと主張して、なんか価値観を転倒できたみたいに喜んでいたわけだが、大衆だけであろうが、天皇付きの大衆であろうがそんなものに三文の値打ちもないだろう。
京阪電車の香里園駅は高級住宅街の最寄駅として計画されたものだ。
駅の北側はかなり広い緑地が設けてあり桜やキョウチクトウがきれいに並んでいる。ミッションの聖母学院や成田山不動尊もある。大阪造兵工廠の労働組合である向上会の会長であった八木信一の居宅もあったし、ひらかたパークの前身の遊園地も作ってあり、菊人形展もここから始まっている。
以前は古本屋もたくさんあって駅前南口の大きな円形のビルの二階には「関西ブックセンター」があった。ここは50坪くらいはあって図書館を思わせるような巨大なスティールの本棚が林立して、たくさんの単行本があったし、雑誌などはクリーム色のピータイルに無造作に積み上げてあってしばらくいても飽きがこなかった。
ここでアルバイトをしていたおばさんは「これくらいの仕事やったら出来るわ〜〜」と不敵な笑みを浮かべて独立して京阪電車の牧野駅の前に店舗を構えた。
このおばさんが言う古本屋が繁盛する条件は次のようなものだった。
❶いい大学があること。バカは本を読まないから。
❷年寄りが多いこと。若い人はゲームやスキーや音楽やらに目がいく。年寄りは保守的で新しいことを学ぶ意欲がないから。
❸さびれていること。古本は一冊50円とかで安いから、金が無くても買ってくれる。
まああれですよね、かなり物の見方がひねくれてますな。なんか❶と他の項目は対立するような気もしますよね。
娯楽がテレビとビデオと映画と本くらいしかなかった暗い時代では古本屋は儲かる商売でもありました。なにせ対抗馬の映画は歩留まり率が極めて悪くほとんどはゴミクズ同然の作品でしかなかったですからね。まだ本の方が安いし、くだらなかったら読むのをやめて投げ捨てればいいだけ、長時間拘束される映画よりマシでした。
光人社からハラスの「沖縄シュガーローフの戦い」が2007年に出た。その後文庫化されているのだが今回初めて入手して一読、いわく言いがたい感動を覚えた。
1945年の4月下旬、10日にわたって丘を血に染めた日米両軍の戦闘を描いたルポだ。
牛島司令官が「水際で米兵を迎え撃ってもやられるだけだ、地下に張り巡らした塹壕にこもり一人でも多くの米兵を殺す」ことを作戦の目的としたことが書いてある。そのため無駄な散発的な抵抗は一切慎み、敵を日本軍が設定した防御ラインにまで引きずり込んで一斉に攻撃する方針がとられた。
アメリカは初めはなんらの抵抗も受けずに上陸に成功し、以後も順調に進撃できたので「日本軍は戦争をする意思がないのか」と呑気なことを言っていたがたちまち阻止線に阻まれ多大な損害を出すようになった。
ここで日本軍の陣地の後方に上陸して挟み撃ちにする作戦を立てたのだが、上陸用の艦船が神風特攻隊の激しい攻撃で損傷していてこれ以上割けない事情もあったし、「とにかくこのまま戦車、機関銃、火炎放射器、そして新手の部隊を投入すれば勝てる」との方針が採用されてしまった。
そのため米軍は多大な損害を被ることになる。
まああれですね、塹壕にこもって敵兵を殺すことのみを目的に作戦を展開するというのは当時の彼我の力関係から見たら極めて合理的な作戦ですよね。
昨日のNHKの「チコちゃんに叱られる」で「なぜ大阪ではエスカレーターは右に立って左開けにするのか?」というのが出た。
番組の答えは「初めはエスカレーターは見せ物で入場料をとって乗せたから歩く人はいなかった。それが駅などに広まってきて歩く人も増えてきたから1967年に阪急電車がアナウンスで左を歩く人向けに開けてくださいと言ったのが始まりだ」という。
ではなぜ左開けになったかに関しては阪急電鉄に聞いてみたがはっきりしなかったという。
また東京で右開けになったのは1989年に地下深くに地下鉄ができ40メートル以上もあるエスカレーターができて歩く人が増えたので左を進むようにアナウンスし始めたことに始まるんだという。
なぜ右開けになったかに関しては車道で日本は右が追い越し車線で、それを応用したものではないかという。
諸外国はどうかということで、人はどっち側通行?エスカレーターは人はどっち側?といろんな国の人に聞いていた。
オーストラリアやドイツなど多くの国では人は右、エスカレーターも右との答え、ただイギリスは人は左でエスカレーターは右だった。
うーんそうなんかな。じゃあどう考えても大阪のやり方の方が世界基準で、東京のは変だよね。まあどうでもいい話だけどね~~
雑誌「大阪春秋」で橋爪紳也は「万博の時にエスカレーターのマナーが問題になり、諸外国に合わせて右開けとなった」と書いていたけどなあ。
そもそも香港なんかはエスカレーターの上がるスピードが日本より格段に速い。そのためわざわざ自分の足で上がっていく人はいない。「チコちゃんに叱られる」では大阪の人は1秒間に1.6メートル進み、これは世界一でつまり大阪人はイラチなんだと、これまたくだらないステロタイプを得々としゃべっていた。
そんなもん香港のエスカレーターはどうなんだ一度行ってみたら〜〜まあ偏見に毒されているバカには無駄だろうけどね。
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