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古本屋日誌
朝日新書から呉座勇一の「日本中世への招待」が出た。今われわれが誕生日を祝ったり、クリスマスや誕生会を行うのはいつ頃からなのかを明らかにした啓蒙書だ。
誕生日を祝うのは満年齢で歳を数えるようになってからだと思っていた。それまでは1月1日に歳を全員とるわけだ。
しかし天皇や貴族の間では早くから誕生日を祝う習慣があり、祥月命日以外の月の命日も法事をする人がいるの同様、誕生日も毎月やっているケースまであるそうだ。他にも氏と名字の話やルイスフロイスが日本と祖国を比べての話もまあそれなりに面白い。
ただまあ呉座勇一にしては物足りないな。例の井沢元彦への批判は今回もそれなりにあって、井沢が死者の穢れを忌避してそれを避ける行動を第一にとったと主張しているのを実証的に批判している。
呉座勇一によると関係ない他者からの穢れは嫌うが、近しい肉親や友人のそれは避けるわけではないというのだ。
まああれですね、そりゃそうでしょう。機械的になんでも穢れだとはいえない悲しみもあるだろうからな。
井沢元彦へはまあよろしいとして、じゃあもう一人の論敵、本郷和人へはどうなっているかというと〜〜
これがなーーんにもない。
本郷は昨今啓蒙書を次から次へと「東大教授が〜〜」ては煽り文句をまとって量産しているんだがな。確か呉座勇一は「本郷は最近何ら学問的業績がない、書いている本も下らない」とこき下ろしていたのにいったいどうしたんだろう。
巻末には呉座勇一が尊敬する先輩諸先生の著書をオススメ本として紹介して、本の内容の紹介よりもヨイショに気合を入れている。
網野善彦の「日本の歴史を読みなおす」を名著として紹介した上で「刑吏や白拍子や傀儡なんかが初めは聖なる存在で凋落して差別される立場に落ちたというのは最近批判されている」と批判めいたことは書いてはいる。
しかし網野善彦の問題はそんなところにはないだろう。
後醍醐天皇をバサラと取り上げて奈良坂の差別されていた大衆を組織して行動したというのを左翼の連中が「天皇制は前は全然違っているやん❣️❣️」てな感じで大喜びしていたわけですよ。
しかし大衆が蜂起するとか、行動するとかそもそも何の価値があるのだろうかね❓天皇が大衆とともにあったと主張して、なんか価値観を転倒できたみたいに喜んでいたわけだが、大衆だけであろうが、天皇付きの大衆であろうがそんなものに三文の値打ちもないだろう。