Welcome

古本屋日誌

2018-11-30 13:40:00

今朝は少し冷えましたが、おてらしでぬくなってきました。

岡山のあきづ文庫からいしいひさいちの同人誌「ドーナツボックス」の6を買いました。あきづ文庫はいしいひさいちの出身地岡山の出版社で社長はいしいのファンでその縁からいしいに自分のところで出す本の装丁や挿絵を頼んで描いてもらっているといううらやましい会社です。

この本は未収録や書き下ろしを集めたもので表紙の一コマ漫画からたくさんのふたコマ、さらに将棋ネタやロッカーネタの4コマと多彩な作品が収めてあって飽きが来ません。タクシーの運転手に「コラー、くもすけが‼︎」とからんでくる酔客に運転手が「くもすけさんだろう」と釘を埋め込んだバットを手に逆襲してくるふたコマ漫画があります。駕籠かきのことですが、酒手と称して大枚の運賃をふんだくったり、ご婦人方と見るとてんごしたりと、悪い噂の絶えない連中で髪型もくもすけ頭といえばざんばらがみのことでした。男が偽名で働いているというふたコマ漫画ではその偽名が「熊沢天皇」となっていて、これまたわかる人には面白みがわかるというもので、どれも遊び心あふれる魅力的な作品です、ぜひお買い求めください。


2018-11-29 10:57:00

天気予報通り、昨日は夕方からかなりの雨となり、一雨ごとにとなるかと思いきや、今朝はからりと晴れてしかもぬくい。

晶文社から1974年に出た杉浦茂の「モヒカン族の最後」初版を入手しました。晶文社の昔のカバーはご承知の通りカラフルで、ポップで見ていて本当に楽しい。今のは全然ダメですけどね。

杉浦茂の魅力は融通無碍な絵ですね、化け物や幻獣、怪獣を描かせたらどこからこんな発想が湧き出てくるのかとしばし見入ってしまうくらいの想像力の湧出がとめどなく、絶好の癒し系の漫画です。その杉浦茂が史実に向き合い、悲劇に真正面から挑んだシリアスな作品で戦闘シーンではおちゃらけな三枚目キャラとシリアスな劇画調の描写を駆使して不思議な感動を呼び起こしています。アメリカ大陸を巡ってイギリスとフランスが戦争を繰り広げていて、どちらの国も自国民が矢面に立って殺されるのは嫌なわけです。そこでインディアンを懐柔して味方にして殺し合いをさせて漁夫の利を得ようとするわけでモヒカン族はイギリスにいいように操られてもはや残すところ親子2人となってしまいます。冒頭からこの2人がフランス軍に捕らえられまさに処刑されんとするシーンなんです。親父の方はモヒカン族の伝統的な衣装をみにまとい無念の硬い表情を浮かべてますが、子供の方はパロディタッチで描いてあって表情もべかこにいーんですからね、笑ってしまいます。ぜひお求めください。


2018-11-28 12:43:00

今朝は雨を予感させるぬくとさで、冬とは思えない過ごしやすい曇天です。

コメンテーターの勝谷誠彦が死んだ。なかなか面白いいちびったやつで、まだ若いのに残念だ。日垣隆もだいぶ前から有料の個人サイトを運営していたが勝谷誠彦も同じように運用し、それも非常に安い料金で毎日のようにたくさんのネタを提供してくれていて驚いたものだ。ただ残念ながら大して研鑽を積んでいるとは思えず、知識教養の不足からヘマをやらかすこともあり、それがまた面白かった。金正日がよう肥えているのを嘲りたいために、勝谷誠彦は一生懸命表現を工夫して「あいつは金豚だ」と一応彼なりに愉快と思える比喩を思いついて使う、ひつこい性格でもあるので何回も使っていたが、ちょっと考えたら金の豚は朝鮮やシナでごく普通に縁起物として使われるめでたい品物なわけだから金正日をおちょくったことにはならないのだが、本人はそれも含めて楽しそうに多用していて、本当にいちびった男だったな。

朝日新聞をおちょくろうと「築地おどり」なる比喩表現を生み出して、勝谷誠彦はお気に入りでよく使っていたが、あまりセンスのある表現でもなく、大阪は雑誌や書籍にだけは神経を使ってかっこよくつくる土地柄なのに、もうちょっとなんとかしてくれよとも思っていました。


2018-11-27 11:51:00

今朝は薄曇りだがな冬に似つかわしくないほど穏やかな気温で寒くもないし、暑くもなく誠にご同慶の至りです。ただこのまま暖冬が続くとおだいや白菜、水菜といった旬の野菜が高騰するやもしれません。雄猫は雌猫に頭の後ろを引っかかれて毛が抜けてしまい直径ニミリ程度のハゲができていて、毛が抜けたあとは赤い血がにじんでいて痛々しい。そっとしときゃあええものをむず痒いのか、爪を立ててかいたりするものだから、また治りが遅くなりそうで心配です。

昨日は嫁と京阪の祇園四条からカレーうどんの「おかる」「カカオマーケット」、知恩院、高台寺と回りました。三連休明けにもかかわらず観光バスも多くて、引きも切らぬお客さんの入りで各寺院は笑いが止まらないでしょう。このところ女も男も着物や和服を着ての観光が非常に増えていて、隔世の感があります。着物のレンタルショップが増えたことが一因でしょうが、手織りではなくカラフルな柄をプリントしただけの着物が目立ちます、まあそれはそれで結構なものですが、ああいうカラフルな柄は以前は見られなかった。知恩院は国宝の山門から女坂から鶯張りの廊下、庭園、千姫の墓というルートで参拝しましたが、取り立てて心が揺さぶられるようなものでもなく、こんな程度のものにたくさんの人を集める力があることは実に不思議です。でもまあ四条河原町などの繁華街が近くにあるのでそれとのセットであれもこれもとおまけで楽しんでいるのではないでしょうか。

だいたい神社仏閣のねきには遊郭やその類の遊興設備が必ずあります。神信心を口実にして実はここで遊ぼうというのが本音だと思います。でもまあ京都に観光に来る人たちはかなり本気で神社仏閣巡りを楽しんでいるようにも見えて、その意味では歴史上類を見ない変態の集団だと言えますね。確かに京都の繁華街にも五条楽園のような風俗街はあるにはあるがそれも風前の灯火で、客はこういうところを目指しているわけではない。

しかし1980年代の京都にはまだまだいかがわしさがいくらでもあって、ノーパン喫茶の濫觴が京都だったことは有名だし、私が最も不思議だったのは四条木屋町から三条木屋町までの高瀬川に面した北行きの道でおびただしい風俗店が並び、これまたこれでもかこれでもかと客引きが行われていたことです。あのいかがわしい京都はどこへ行ったんでしょうね。


2018-11-26 18:13:00

今日は寒さも和らぎ、薄曇りながら暑うの寒うもない快適な陽気でした。

私の祖父は1909年の生まれで、生涯和服しか身につけず、また祖母もおないどしでしたがやはり足袋を履き、帯を締めた着物姿で過ごしていました。ところが褌はしてませんでしたし、また祖母はパンツを履いていました。近所には褌を身につけている爺さんもいましたが、われわれ子どもからは注目の的で嘲笑されておられました。祖母に「なんでパンツはいてんのん?何も履かへんのんちゃうのん」と尋ねたこともありますが「汚いやろー」ゆうてました。

祖父母の居宅は住吉区の紀州街道沿いにあり、街道に面して三階建ての不思議な洋館があって宮大工をしていた祖父が倉庫として使っていて、中は材木やらノコギリやらかんなやら鍵、あれこれあれこれ、要するに大工道具で埋まっていました。その奥に青木や椿、シュロ、枇杷の木、ヒマラヤシダ、やつで、つまり全て常緑樹で覆われ、真ん中に泉水のある庭園がありさらに泉水のねきには周りに玉垣を巡らして朱色の屋根を持つ神社風の祠がありミーさんと称する白い蛇を祭っていました。玉垣は朱色に彩色されていますので、その板に沿って地中に巣をこしらえている地蜘蛛は極めて目立ちました。赤に白く細長い糸状の巣が延々と下に伸びているわけですからね、われわれは易々と糸を手繰り寄せて蜘蛛を手に入れていました。

庭の北側には南面して母屋があって東側から風呂、台所、仏間、座敷、汲み取りのせんちば、離れとなっていて庭の南側は木を削る工作機械を何台も備えた作業場でした。

今でも不思議なのがせんちばが小用と大用に完全に分かれていて、祖母も普段は着物の裾を捲り上げておそらくですが立ち小便をしていたことです。小用のせんちばの外には南天が植えてあり、手水鉢がありました。一応水は張ってあり、その上に手ぬぐいも吊るしてあるのだが、その水は使わず手ぬぐいを吊るしてある横にプラスチックの提灯みたいなものが下げてあって下に突き出ている金属状の金具を上に押し上げると蓄えてある水が下に流れて手を洗えるようなっていました。それなら手水鉢にわざわざ水をはらいでもいいわけですが必ず水はあり夏にはボウフラがわいていました。

1月の20日には庭にお祭りしてあるミーさんの大祭で神主を呼んでお祓いをしてもうてから出入りの業者を座敷に招いて饗宴となりました。この宴会も不思議でものすごい寒い時期なのに石油ストーブは一切使わず、ひたすら火鉢で暖を取っていました。大して温まることはなく、お客さん方はひたすら熱燗を召し上がって盛り上がっておられました。

 


1 2 3 4 5 6